第三千五百四話 神の剣なるもの(三)
王立親衛隊は、三隊同時期に設立された。
王の盾たる《獅子の牙》隊、王の剣たる《獅子の爪》隊、そして、《獅子の尾》隊。《獅子の尾》には明確な役割は与えられておらず、王の親衛隊というよりは、極めて強い権限を持つ戦闘部隊といったほうが正しかった。
実際、《獅子の尾》が設立されたのは、セツナのためといっても過言ではなかったようであり、ファリア、ルウファを含めたたった三人だけの部隊となったのも、そのためだろう。
それ故、《獅子の尾》を設立する名目として、《獅子の爪》と《獅子の牙》が設立されたとまで噂されたといい、その噂がミシェル=クロウやラクサス=バルガザールの心に暗い影を落としたとして、なんら不思議ではなかった。
表向きには、そういった感情を一切見せなかったとしても、だ。
そして、ならばこそ、それがいままさに発露したのだとして、なにもおかしくはない。
(でも)
見事なのはナルノイアのほうだ、と、ミリュウは想った。
ミリュウがこの戦場を掌握しているという事実を把握し、状況を理解することができているという点だけを見ても、十分すぎるといっていい。並の戦士ならば、彼がいったように、為す術もなく、ミリュウの想うままに敗れ去ったはずだ。
最小単位にまで分解したラヴァーソウルの刀身の破片が、まるで霧のようになってこの戦場全体に散らばっている。重力に従って地面に落ちるのではなく、破片同士が反発し合って空中を漂い続けており、ラヴァーソウルを通じてミリュウの命令を受け取るたび、その能力を発揮した。
ミリュウが擬似魔法の術式をこれ見よがしに構築していたのは、もちろん、擬似魔法の発動で大打撃を与えるためだったが、ひとつには、この状況を作るためでもあった。
ナルノイアからしてみれば、術式を完成させるわけにはいかず、呪文が構築されるのを見れば、一刻も早く粉砕しなければならないという考えに囚われるはずだ。ならば、術式の構築をこそ囮にすることができると考えたのだ。
そして、その甲斐あって、戦場全体に刃片を行き渡らせることに成功した。
こうなれば、こっちのものだ――とは、言い切れなくなったのは、ナルノイアが一瞬にしてこの状況を看破したからだ。
さすがは、ナルノイア、と想うほかあるまい。
ただし、彼女は、それを言葉にはしなかった。ナルノイアが素直に賞賛と受け取ってくれるとは想えなかったし、仮に受け止めてくれたとして、それがなんだというのか、という気分もあった。
相手は敵だ。
それも、こちらへの感情を拗らせ、嫉妬に身を焦がしているような相手なのだ。賞賛の声が、言葉が、ねじ曲がって伝わう可能性があった。
(まあ、どうでもいいけど)
ミリュウは、内心苦笑しつつ、ラヴァーソウルの柄を握り締めた。刃片群を制御し、分厚い斥力場を発生させる。そのまま、斥力場を中空のナルノイアに叩きつけようとするも、神将の長剣が閃き、斥力場そのものが真っ二つに切り裂かれた。
(嘘でしょ)
彼女が愕然とする中、ナルノイアは後方に短剣を投げつけることで構築中の術式を破壊すると、さらに上方に向かって長剣を振り抜いた。すると、彼の頭上で作られつつあった術式が進路上の磁力場ごと切り裂かれ、霧散する。
そのままの勢いで、遠く離れたミリュウに向かって長剣を閃かせてくるものだから、彼女は透かさず自分自身をラヴァーソウルの磁力の反発でもって跳ね飛ばし、飛ぶ斬撃を回避した。
飛ぶ斬撃。
普通、斬撃というのは、刀身の届く範囲にしか発生しないものだ。しかし、剣の達人にもなれば、刀身の間合いよりも離れた対象を斬りつけることができるといい、それを飛ぶ斬撃と呼んだ。
もっとも、武装召喚師ならば、たとえ剣の達人であろうとなかろうと、召喚武装の能力を利用して飛ぶ斬撃を放つことくらい容易くできるものだ。セツナも、黒き矛でもって飛ぶ斬撃を放っていたし、ミリュウだってラヴァーソウルを太刀形態で振り回せば、似たようなことはできるだろう。
飛ぶ斬撃そのものは、別段めずらしくもなんともないのだ。
なにより、神将ナルノイアの力をもってすれば、それくらいのことができないわけがなかった。
問題があるとすれば、斬撃の飛距離がとてつもないことと、威力がとんでもないこと、その両方だ。
(受けるのは、悪手よね)
ミリュウは、背筋に冷たいものを感じながら、自身を何度も跳ねさせた。戦場には、ラヴァーソウルの刃片が充ち満ちている。ラヴァーソウルの能力で刃片群を制御し、磁力を生み出し、斥力と引力を上手く操れば、この戦場を飛び回ることも不可能ではない。
そして、それを上手く操らなければ、ナルノイアに一刀の元に切り捨てられること、必定だ。
ナルノイアの長剣による飛ぶ斬撃は、この広い空間の果てにまで届くほどだったし、その間、斬撃の威力が減衰するような様子は窺えなかった。
ミリュウは、人間だ。武装召喚師とはいえ、ただの人間なのだ。飛ぶ斬撃の直撃を喰らえば、当たり所次第では命を落とすこと請け合いだ。
だから、飛び続けなければならない。
飛び回りながら、跳ね回りながら、飛ぶ斬撃を避け、機を見ては攻撃を繰り出し、あるいは、術式の構築を行う。術式は瞬時に破壊されてしまうが、ナルノイアの攻撃の手数を減らすという意味でも、絶対に諦めてはいけなかったし、もし、擬似魔法の術式が完成し、発動すれば、それだけで状況は好転しうるのだ。
可能性がある以上、やり続けるしかない。
「逃げ回っているだけでは、わたしを斃すどころか、傷つけることもできんぞ」
「そんなこと……!」
いわれなくとも、わかっている。
ミリュウは叫ぼうとして、止めた。意識をほかに回せば最後、飛ぶ斬撃の餌食になりかねない。
ナルノイアは、ミリュウの超高速移動に慣れ始めていた。移動先を見越して飛ぶ斬撃を放ってきており、危うく顔面を掠めそうになったこともあったし、前髪がわずかに切り飛ばされたこともあった。長剣は、常に飛ぶ斬撃を放ってくる。その威力、射程はとてつもないが、幸い、斬撃はまっすぐにしか飛ばなかった。そのおかげで生き延びられているといってもいい。
もし、飛ぶ斬撃が対象を追いかけるような性質のものならば、既に命はなくなっているはずだ。
そうして逃げ回っている間に、飛ぶ斬撃が放たれる感覚が、段々と短くなってきている気がした。
気のせいかと想ったが、そうではなかった。
ナルノイアは、ミリュウを切り裂くために飛ぶ斬撃を放っているのではなかった。やたらめったら長剣を振り回し、でたらめに飛ぶ斬撃を放っており、周囲四方、あらゆる方向を切り刻むかのようだった。
斬撃の嵐だ。
触れれば切り裂かれ、場合によっては重傷、致命傷になりかねないような斬撃が、暴風となって吹き荒び、なにもかもを切り裂いていく。
(いくらなんでもやりすぎじゃない?)
ミリュウは、胸中毒づきながら、必死になって避け続けた。
こうなった以上、嵐が収まるのを待つしかない。




