第三千五百二話 神の剣なるもの(一)
神将ナルノイアは、特異な力を持つ二本の剣を得物としている。
まるで磁力で結ばれたラヴァーソウルの刀身のように、引き寄せ合う二本の剣。短剣と長剣の二刀一対。
そして彼の基本的な攻撃方法は、投げつけた短剣に超高速で接近し、その進路上、あるいは終点にいる敵を長剣でもって斬りつけるというものだ。
極めてわかりやすく、単純な攻撃手段。
無論、それが相手の全力でないことは、火を見るより明らかだ。
神将は、おそらく並の獅徒以上の力を秘めており、その全力を発揮するまでもなく、ミリュウを圧倒し、斃せるという判断がナルノイアにはあるのだ。
それはおそらく、間違ってはいない。
(ただし、それもあたしが全力を出さない間なら、って話だけど)
胸中で訂正しながら、ミリュウは、足下の破片群が生み出す磁力場によって、上方に弾き飛ばされた。もちろん、彼女自身の意思による跳躍だ。
ナルノイアは、こちらの手の内をはっきりと理解している。
ミリュウの召喚武装ラヴァーソウルの能力を精確に把握し、理解し、認識しているのだ。ラヴァーソウルが生み出す磁力による変化が本命ではなく、刀身の破片群による呪文の詠唱、術式の構築、そして擬似魔法の発動こそが、ミリュウがもっとも得意とする戦法であるということをわかりきっている。
故に、ナルノイアは、ミリュウを直接攻撃するよりも、刃片が群れ集い、術式を構成しようとするのを阻止することに力を割いていた。
それも、擬似魔法の強さを理解しているからだろうし、自分が神将であるということに一切慢心を抱いていないからに違いなかった。
だからこそ、厄介なのだ。
ナルノイアは、己の力に酔ってもいなければ、過信してもおらず、ましてやこちらを見くびってもいない。己の力量も相手の実力も正当に評価し、適切な対処を行っているのだ。
擬似魔法が発動すれば、神将であっても負傷は免れない、と、彼は考えているに違いなかった。
多少の負傷など、たとえ瀕死の重傷であっても瞬時に回復できるだろう神将にとってはどうでもいいものであるはずだ。だが、彼は、そんなわずかばかりの負傷さえも受けるべきではない、と、考えているようだった。
その小さな負傷が、“核”を傷つけるようなものだったとすれば、どうか。
ほんのわずかな綻びが堤防を決壊させるように、彼にとっての致命傷となりかねない。
故に、彼は、一切油断しなければ、余裕に満ちた態度さえ見せなかった。
隙など、どこにも見当たらない。
(呪文の詠唱は……)
ミリュウは、遙か眼下を見遣った。だれもいない虚空にラヴァーソウルの刃片が集い始めている。刃片による古代言語の構築が呪文の詠唱となり、術式を形成することになる。
擬似魔法の術式は、極めて難解かつ複雑だ。まるで前衛的な芸術作品のようだ、と評されたこともあるほど、完成した術式の形状は奇妙奇天烈なものとなる。
そして、そのように刃片群を配置しているのは、すべてミリュウの遠隔操作によるものであり、無数の破片をラヴァーソウルの磁力によって制御しなければならず、極めて集中力と精神力を必要とするものだった。
神将を相手にしながら、高度な擬似魔法の術式を構築するとなると、骨が折れるのは当然のことであり、刃片群が文字列を形成し始めるのを認識するやいなや、短剣を投げつけて粉砕するナルノイアが相手ならば、なおさらのことだった。
いままさにそれが起きた。
刃片群がわずかにも呪文を象り始めた瞬間、ナルノイアの短剣が刃片群に殺到し、刃片群を吹き飛ばしたのだ。
最小単位にまで分解したラヴァーソウルの刀身の破片は、呪文の構築中に短剣の直撃を受けても、また最小単位に戻るだけのことであり、消滅するようなことはない。
その点だけはラヴァーソウルの強みではあるだろう。
刀身が限界まで分散するため、どれだけの攻撃を受けても破損しようがない、という点だ。
「擬似魔法は使わせん」
「そう。それは残念ね」
ミリュウは、刃片の磁力を頼りに空中を移動しながら、告げた。
「華麗で優美、百花繚乱豪華絢爛たる擬似魔法の数々で、圧倒してあげようと想っていたのに」
「使わせんといった」
またしても呪文を構築し始めた刃片群が吹き飛ばされたのは、ナルノイアの遙か後方での出来事だ。まるで背中にも目がついているのではないか、というくらいに精確な短剣の投擲により、刃片群は為す術もなく弾け飛び、虚空を漂う羽目になった。
ナルノイアは、こちらを注視しながら、一方でこの広い戦場のどこかで刃片が集まり始めていないかどうか注意深く観察している。
ミリュウ自身への攻撃がおざなりになるのも、擬似魔法を脅威と認識しているからに違いない。
(そりゃそうよね)
ナルノイアが、ミシェル・ザナフ=クロウならば、ガンディアにおける重臣ならば、ミリュウのことを、ミリュウの活躍を知り尽くしているというのであれば、そう考えるのも無理のない話だ。
ラヴァーソウルによる擬似魔法の行使という、並の武装召喚師には獲得し得ない技能を得手からというもの、ミリュウの活躍は、ほとんどが擬似魔法によるものだった。
擬似魔法の万能性と圧倒的破壊力が、ミリュウに数々の勝利をもたらしてきたのだし、ミリュウといえば武装召喚師ではなく、擬似魔法の使い手という認識になったのだとしても、なんら不思議ではない。
魔法遣いと呼ばれることも、なくはなかった。
もっとも、擬似魔法がラヴァーソウル固有の能力であると想っているもののほうが遙かに多く、ラヴァーソウルの特性を利用した、ミリュウの知識と技術の結晶であることを知っているものは、ほとんどいなかった。
そういう意味では、ナルノイアは、まだミリュウについて詳しく知っているほうだろう。
とはいえ、だ。
ミリュウは、ナルノイアの視線を感じながら、その頭上へと至った。
ナルノイアは、こちらに向かって短剣を投げつけては来ない。なぜならば、既に別方向に向かって投擲したばかりだからだ。
遠方で組み上がり始めた術式を吹き飛ばすためには、短剣を投げつける必要があり、故に、彼はいま、片手に長剣を一本、手にしているだけの状態となっていた。
それは、ミリュウが意図的に作り上げた好機だ。
ナルノイアが術式の構築を阻止することを最優先するというのであれば、好きなだけ阻止させてやればいい。
(あたしは、魔法遣いじゃあないのよ)
ミリュウは、胸中で叫ぶようにいった。
ナルノイアの頭上で反転し、上空の磁力場を蹴る。その瞬間に生じた斥力が、ミリュウの体を眼下に向かって弾き飛ばした。凄まじい速度で、ナルノイアに向かっていく。
ナルノイアの長剣が閃いた。
「見え透いている!」
しかし、彼の斬撃は、空を切った。
ミリュウの体が一瞬、上空に跳ね上がったからであり、その瞬間、彼女の眼前を剣閃が走っている。直後、再び眼下に向かって弾き飛ばされたミリュウは、ナルノイアの顔面をラヴァーソウルの柄頭で殴りつけると、磁力場を展開し、弾き飛ばして見せた。




