第三千五百一話 軍師ふたり(九)
エイン軍二十万のうち、戦場に残っているのは、セツナを始めとする突入組の面々のみだ。
対するアレグリア軍は、獅徒と神将だけであり、いま現在、ナルンニルノルの各所で行っている戦いが擬似的に再現されているといっても過言ではないのかもしれなかった。
セツナがヴィシュタルと激突すれば、ファリア、ルウファ、ミリュウは神将とぶつかり合い、レムやシーラたちは残った獅徒と交戦し始めている。
これではまるで突入組以外の連合軍将兵がまったくの役立たずなのではないか、と、考えざるを得ないが、この戦いにおいては実際、なんの役にも立っていない。敵軍によって一掃されてしまったのだ。セツナたちに一掃された敵軍雑兵と同じくらい、なんの意味もない存在だった。
が、それは致し方のないことだ。
エインは、セツナを始めとする突入組の面々にこそ、心血を注ぎこむかのようにして想像したが、残りの人員に関しては、それほどの想いを込めなかった。込められなかった、というべきだろう。セツナたちに比べれば、思い入れが薄いのも致し方のないことだったし、なにより、突入組を強く想い、信じるのは、彼らを死地に赴かせたエインとしては至極当たり前の判断だ。
その結果、エインの想いを元に具現した連合軍将兵は、獅徒や神将に一蹴される程度の力しか持てなかったのだ。
一方、エインが強い想いを込めたセツナたちは、というと、獅徒や神将に拮抗するだけの力を見せていた。
獅子神皇の使徒たる獅徒。その力は神々に並ぶかそれ以上のものだと目されており、実際、獅徒の攻撃のひとつひとつが災害規模といっても過言ではなかった。
無論、いま、エインの目の前で激闘を繰り広げている獅徒たちは、本物ではない。アレグリアの想像力と神将ナルフォルンの力によって具現した偽物に過ぎない。しかし、だ。アレグリアが再現した獅徒の力が、本物に比べて劣っているようには思えなかった。
というのも、エインの想像力を元にする突入組の面々の実力もまた、本物に劣るどころか大いに勝っているように見えるからだ。
深化融合状態のセツナはともかくとして、セツナ以外の面々の力は、偽物であるが故に飛躍的に向上しているのは疑いようのない事実だ。
オーロラストームによる一射が大地を崩壊させ、シルフィードフェザーの乱舞が空を掻き乱す。ラヴァーソウルが擬似魔法を乱れ打ちに撃ちまくり、“死神”たちが跋扈する。白毛九尾が大暴れに暴れ回り、窮虚躯体と化したウルクの圧倒的な力も、巨大竜ラグナとエリナの連携も、エスクの剣技も、エリルアルムの戦いぶりも、どれもこれもがエインの想像通りだった。
そんな圧倒的な力を持ち、無造作に振り回すセツナたちと対等に戦えるのが、偽物の獅徒たちであり、神将たちだ。
獅徒や神将たちの攻撃も凄まじいものであり、敵味方の激突によってこの隔絶された空間そのものが崩壊するのではないかというほどの余波が、何度となくエインを襲った。
そのたびに高台から吹き飛ばされそうになるのをなんとか耐え凌いだのは、マユリ神の加護があったればこそだろう。
『この状況、いつまで見ていればいい?』
マユリ神が訝しげに問うてきたのは、激戦も激戦、大激戦が繰り広げられるようになって、しばらくしてからのことだった。
その間、エインは、セツナたちになんら指示を下すことなく、ただ、見守り続けていた。だから、だろう。好転しない状況を見て、マユリ神がしびれを切らしたのだ。
「さて……いつまででしょうね?」
『うん? おまえはなにをいって……』
「申し訳ないですが、この状況を打開する策も戦術も思いつかないのが実情でして」
『おい……』
マユリ神が頭を抱えたくなっているのだろうことは想像に容易いが、エインとしては、そういうほかなかった。
エインが想像したセツナたちの戦いぶりは、筆舌に尽くしがたく、思考することも忘れるくらいだった。ただ茫然と見守ることしかできなかったし、たとえまともに思考できたとしても、この天変地異そのものといっても過言ではないのような戦いに、エインが介入する余地はなさそうだった。
力と力のぶつかり合いが生み出す大きな力、膨大な余波が、まさしく嵐となって吹き荒び、戦場を荒らしている。もはやとっくに原型を留めていない戦場だが、両軍の本城を残して、なにもかもが破壊され続けていた。余波だけで、だ。
戦闘の余波だけで、大地の崩壊は加速する一方だ。
エインたちが巻き込まれないのが奇跡的なくらい、両軍の激突は、言語を絶するものだった。
たとえ神算鬼謀を用いたとして、この状況を打開できるとは、考えにくい。
そもそも、どのような策ならば用いられるというのか。
策を用いるには、準備が必要だ。どのような策であっても、突発的に、瞬間的に発動できるわけもない。
そして、策や戦術を仕込んでいる時間的猶予は、眼前の戦場にはなかった。
たとえば、敵ひとりに対し味方を複数あてがう、というような簡単な戦術ならばいますぐにでも取れるだろう。が、その結果、自由になった敵が、同じように味方ひとりに殺到すれば、結局のところ、状況を好転させることにはならない。
場合によっては、むしろ、悪化させる可能性すらあるのだ。
拮抗状態を構築できているいまのほうが余程ましなのではないか。
(もちろん)
このまま、拮抗状態を維持し続けることになんの意味もないことは、エインにもわかりきっているのだが。
故に、エインは、ただ黙って天変地異のような激戦を見守っていたわけではないのだ。
状況を打開するための方策を考え続けている。
しかし、まったくもって思い浮かばないから、顔をしかめるしかなくなっていく。
そんなときだった。
ラグナ、エリナ組と戦っていた獅徒が突如として動きを止めたかと思うと、戦場全体を震撼させるほどの大爆発を引き起こした。
エインのいる高台を激しく揺らすほどの大爆発。衝撃波に吹き飛ばされそうになるのをなんとか堪えると、爆光が消えるのを待った。
いったい、なにが起こったというのか。
「あら……」
アレグリアが、ぽつりとつぶやいた。
「想定よりも随分と早い……」
「早い?」
それも、想定よりも、と彼女はいった。
エインには、それがいったいどういうことなのか、まるで想像もつかなかった。
しかし、爆光が消え失せ、獅徒のいたはずの場所になにも残っていないことを確認すると、彼にはなんとなくわかってきた。
獅徒の爆発は、ラグナたちと戦っている最中、突如として起きたものだ。ラグナたちの攻撃が致命傷を与えたわけでもなければ、ほかのだれかの攻撃が獅徒に直撃したわけでもなかった。戦力は拮抗し、ある種の均衡が保たれていたのだ。
それを破ったのが、獅徒の爆発だ。
爆発と、消滅。
獅徒は跡形もなく消えて失せ、ラグナとエリナだけが残された。
「そういうこと……ですか」
「さすがはエインくん。いまのを見て、すべてを理解したようですね」
アレグリアの声は、優しくも、どこか超然としているように聞こえた。
「そう。このナルンニルノルの戦いにおいて、わたしたちにできることは、ただ、見守ることだけ」
彼女が突き放すように、嘆くように、哀しむように発する言葉を聞きながら、エインは、本物の情報が強く反映された偽物たちの戦いぶりを見ていた。
姿こそそっくりそのままの偽物たちは、ただの想像力の産物などではなかったのだ。
「軍師の出番なんて、とっくに終わっているのよ」