第三百四十九話 出陣間際(二)
ザルワーン侵攻に際し、ガンディアが動員した戦力は約一万二千である。
ザルワーンの総戦力一万八千には遠く及ばないものの、ガンディアというかつての小国からは考えられないほどの大戦力であり、近隣諸国からしてみれば度肝を抜かれるほどの人数であったことは間違いない。
ガンディアは、最初からザルワーン全土を制圧するのは諦めていた。ザルワーンは小国家群の中では大国であり、その領土は広い。とても、ガンディアの戦力だけでは制圧しきれないと踏んだ。
ザルワーンの戦力を相手にしなければいけないのだ。
無人の野を征くわけではない。
ガンディア軍は軍を三つに分けた。先発部隊を中心とし、難攻不落のバハンダールを担当する西進軍。ひたすらに北へ直進し、マルウェールを担当する北進軍。そして、ゼオルから龍府を目指す中央軍。
軍を三つに分けることで、ザルワーンとの正面衝突を避け、各都市を各個に制圧していくという作戦だった。策は当たった。各軍、順当に戦果を上げていったのだ。
中央軍は、ロンギ川において聖龍軍と称するザルワーンの軍勢を撃破、ゼオルを落とした。
西進軍は、難攻不落の城塞都市といわれて久しいバハンダールをたった一日で陥落させた。セツナ・ゼノン=カミヤの運用が上手くいったことは、エイン=ラジャールの評価を高めたらしい。
北進軍は、マルウェールを半日足らずで制圧。左眼将軍デイオン=ホークロウの雷名を轟かせるに至った。仮面の武装召喚師カイン=ヴィーヴルの名とともに。
なにもかもが上手くいっていた。
西進軍は、さらに武装召喚師を将とする軍勢と衝突したが、完勝といっていい勝利を得た。
かくして、ガンディアの三軍は、当初の予定通り龍府を目指した。ザルワーンの首都・龍府は、五方防護陣と称される五つの砦とその強固な防衛網によって護られており、激戦が予想された。
とはいえ、ザルワーンの戦力はあらかた出尽くしているというのはわかっており、ガンディアが警戒すべきは、不慮の事態だけだった。
完全なる勝利を目前にガンディア軍の士気は俄然燃え上がった。砦を突破すればザルワーンの首都なのだ。首都を落とせば、戦争は終わる。戦争が終われば、ザルワーンの大部分がガンディアの支配となり、ガンディアは大国の仲間入りを果たすことになる。兵士たちの士気が高まるのも当然だった。
しかも、龍府の防衛戦力はたかだか二千程度だ。ガンディアはこれまでの戦いで、戦力を少しずつ減らしてはいたものの、それでも数倍の兵力を保持しており、正面からぶつかっても負けるはずがないという状況だった。
だれもが勝利を確信し、五方防護陣に向かったのだ。
そんなガンディア軍の勝利への道に立ちふさがったのが、ドラゴンだ。
「あれ、みなさん集まって、どうされたんです?」
エインが思索を打ち切ったのは、不思議な集団が前方に屯していたからだ。不思議な、というのは集団の出で立ちや存在が、ではない。関わりの薄そうな連中が集い、なにやら話し込んでいるのが不思議だったのだ。
ガンディア軍の野営地、その一角だ。二日ばかりの休息が打ち切られることが決まって数時間。出陣を目前に控え、野営地の出入口付近は軍人でごった返しており、整列を呼びかける部隊長の声がそこかしこから聞こえていた。
雑然とした兵士の群れから逃れるようにして、彼らはいた。
「やーやー、エイン君。君もこちらに来てはどうだい」
集団の中からへらへらと手を振ってきたのは、ドルカ=フォームだ。彼の隣には、当然のように副官ニナ=セントールが立っている。いつも通りの鉄面皮に妙な安心感を覚えるのは、ドルカ=フォームという人格のせいだろうが。
「行きますけど、なんなんです?」
エインは近づきながら尋ねた。別に彼らを探していたわけではないし、特別、用事があるわけでもないのだが、暇を持て余してもいた。
出陣の目前、軍団長がやるべきことなどなにもなかった。エインの場合は特にそうだろう。おおまかな指示は出していたし、あとは部隊長の裁量に任せておけば問題なかった。エインは第三軍団をそういう風に訓練している。
「なに、ってことはないわよ。ただろくでなしが雁首揃えて暇をつぶしているだけ」
「口が悪いな、ミリュウちゃんは」
口を尖らせたのはあの捕虜であり、彼女の辛辣な言葉にも、ドルカは上機嫌だ。美女に囲まれている状況が余程気に入っているのだろう。もっとも、鼻の下を伸ばしているドルカに対するニナの心情は察して余りあるのだが。
「暇潰しなら、俺も混ぜてもらいましょうかね」
エインは、改めて集団を見た。ログナー方面軍第四軍団長ドルカ=フォーム、その副官ニナ=セントールに、王立親衛隊《獅子の尾》隊長補佐ファリア・ベルファリア。そこではたと気づく。ドルカが上機嫌なのは、ファリアの格好のせいなのかもしれなかった。
ファリアは鎧を身に纏ってこといるものの、肌の露出部分が多く、とても実用的な装備には見えなかった。もちろん、彼女の戦い方を考慮すれば、特に問題があるとも思えないのだが、それにしてもファリアらしくない姿ではあった。彼女になにがあったのかは、エインにはわからない。
傭兵団《蒼き風》の面々もいる。団長シグルド=フォリアーに副長ジン=クレール、突撃隊長こと“剣鬼”ルクス=ヴェイン。《白き盾》の面々は見当たらない。団長のクオン=カミヤがいれば、彼とともに混じっていたかもしれない。
そして、ザルワーンの武装召喚師にして捕虜たる身の上のミリュウ=リバイエンだ。彼女の存在が浮いていないのは、この数日の間にガンディア軍に馴染んでしまったということだろう。
もちろん、それはごく一部でのことにすぎない。彼女のことを許せないものも少なくはないのだ。
ミリュウは、西進軍との戦いにおいて、エイン配下の兵を何人も殺している。
エインは、その事実を認めた上で、彼女の存在を受け入れていた。戦争なのだ。死傷者が出るのは当然だったし、こちらはそれ以上にザルワーン人を殺している。あの戦いではミリュウの部隊は壊滅し、千人以上の兵士が死んだ。
心情的には許しがたい。が、割りきらなくてはならないのが、軍団長という役職なのだ。感情で動いてはいけないのだ。私情で軍団を動かしてはならない。仲間の死も、部下の死も、冷静に、冷酷に、冷徹に受け止めなくてはならない。感情を排した上でなければ冷静な判断を下せるはずもなく、冷静な判断を下せなければ、勝利など掴めるはずもない。
その上、ミリュウは、セツナに拘っている。エインと同じだ。エインも、セツナ・ゼノン=カミヤという人物に惹かれ、彼を信奉している。親近感を抱くのも無理はなかったのかもしれなかった。
「だれ?」
「知らねえのか? エイン=ラジャール軍団長っていえば、おまえの弟子の信者として有名だろ」
「軍団長がセツナの信者……?」
疑わしげな目を向けてきたのは、ルクス=ヴェインだ。《蒼き風》の象徴ともいえる戦いの申し子であり、“剣鬼”の異名は小国家群に響き渡っている。彼を筆頭とする《蒼き風》がガンディアと契約を結んだという情報は、ログナーには悲報そのものだった。彼らがどれだけのログナー軍人を血祭りにあげたのか、考えるだけでぞっとしない。
「そして、此度の作戦の立案者、ということですね」
眼鏡の奥で、ジン=クレールの目が鈍く光った。荒くれ者揃いの傭兵団を実質的に取り纏めているだけあって、彼のまなざしはほかのふたりとは趣の違うものがあった。《蒼き風》の幹部の中でもっとも強そうなのは団長だが、一番敵に回したくないのはジンだろう。実力で一番なのが突撃隊長なのは間違いないが。
「あー! そうよ! いくらあたしとセツナの仲が不穏だからって、引き裂くのはやり過ぎよー!」
「はい?」
ミリュウの大声に、エインは疑問符を浮かべたのだった。