第三千四百九十七話 軍師ふたり(五)
エインの戦術が見事に嵌まり、本陣に押し寄せた敵軍は、壊滅した。
無論、こちらの損害も大きい。
各戦場に派遣した十五万の兵士もそうだが、本陣の合計三十五万の兵士たちも多大な損害を出していた。
しかしそれは、本陣に押し寄せた二十万を撃滅するためには、必要な犠牲だったのだ。
勝利のためには、必要なだけの犠牲を払わなければならない。
なんの犠牲もなく、代価もなく、勝利を得ることなどできようはずもない。
交渉でさえ、そうなのだ。
なにかを差し出し、なにかを得る。
それが道理というものだ。
血で血を洗う戦場ならば、なおさらだ。
「上手く行ったでしょう」
『確かに……本陣は落ちなかったな』
マユリ神が、多少なりとも感心してくれたのは、エインとしても嬉しくはあった。だが、女神は、大いなる問題を指摘してきた。
『しかし、それは相手も同じだろう』
「まあ、そうですね」
それも、その通りだった。
本陣に押し寄せた二十万の敵軍を撃滅せしめたものの、敵軍には残り三十万の兵がいてもおかしくないのだ。
初戦は、百万対百万だった。
それが、正面からぶつかり合うような大激闘の末、両軍ともに半数にまで激減した。
第二戦は、五十万対五十万で始まり、アレグリア軍は二十万超を失ったが、エイン軍も同様の痛手を負っている。
もちろん、各地の戦場と進軍路を突破する上で、アレグリア軍が損害を出していないわけはない。二十万どころか、三十万程度の損害を被っていたとしても、なんら不思議ではなかった。
だとしても、二十万程度は残っていると見るべきだろう。
こちらも、無事な兵士を数えれば、それくらいにはなりそうだ。
「見事なお手並み。さすがはわたしの好敵手、というべきですね」
などと、アレグリアがいってきたが、その声音には心からの賞賛が込められていて、まったく悪い気はしなかった。
いまは斃すべき敵同士だが、かつての同僚であり、エインもまた唯一の好敵手と認めた相手なのだ。そんな彼女が本心から賞賛してくれることを喜ばない道理がなかった。
とはいえ、だ。
「それはお互い様でしょう」
エインは、光の板に開示されていく敵陣の様子を見て、いった。
自軍の情報および、自軍周辺の情報のみが表示されていた光の板に敵軍の配置情報が明示されていくということはつまり、どういうことか。
この第二戦が終わった、ということだ。
そして、それによって明示された情報によってわかったことはといえば、アレグリアもまた、自軍本陣に多数の兵を伏せており、エイン軍が本陣に攻め込んでいれば、同じような目に遭っていたということだ。
結果、エイン側が大打撃を与えることになったのは、攻めか、守りか、どちらにより多くの戦力を配したかの違いであり、どちらがより早く動いたかの違いだ。
先にエイン軍が動いていれば、こちらのほうがより多くの被害を出していたということだ。
つまり、だ。
待ちに徹したのは、正解だったということになる。
「そういってもらえるのは素直に嬉しいですよ」
アレグリアは、そういって笑うと、またしても戦場を作り替えて見せた。
その際、エインとアレグリアが立つ高台の距離が先程までよりもさらに遠く離れたのは、戦場をより大きく広くするためなのだろう。
実際、三戦目となる戦場は、いままでの戦場よりも広大なものとなっていた。
ただ、広いだけならば、一戦目の征竜野を模した平野のほうが広いだろうが、起伏や変化に富んだ戦場としての広大さならば、三戦目の戦場のほうが凄まじいといっていい。
なにせ、本陣が城なのだ。
両軍ともに、絢爛にして堅牢たる城を本陣としており、本陣を護るべく構築された防衛網には、複数の支城が聳えていた。
本陣から敵陣に向かって伸びる進軍路、その途中に聳える支城の数々は、これまでの戦場とは一線を画するものといって差し支えあるまい。
そして、自陣と敵陣の間には、大きな川が流れていた。
まるで両軍を分け隔てるように流れる川は、空模様を映し出すほどに美しく、透き通っている。どうやら浅瀬であり、渡河に問題はなさそうだ。
そのまま敵陣を見遣れば、自陣との差違はないことがはっきりとわかる。
まるで鏡写しのようにそっくりそのままだ。そこで差違をつけるような真似は決してしないのがアレグリアらしいといえば、アレグリアらしい。
いくらでも差をつけることは可能だろうが、それをしては軍師としての力量を比べられない、と、想っているのだ。
だから、エインにも勝ち目がある。
アレグリアが神将ナルフォルンとしての能力を全開にして戦うというのであれば、エインの頭脳だけではどうにもならないのだ。
「三度目の正直ともいいますし、これで、終わりと致しましょう」
「それはつまり、この戦いで正真正銘の決着をつける、ということですか」
「ええ、そういうことです。ですから……」
「……ずるいな」
エインは、敵陣に起きた変化を目の当たりにして、苦笑するほかなかった。
エインがなにを見たのかといえば、アレグリア軍の兵士が、つぎつぎと変身していく様であり、その変身後の姿が神兵だけではなかったからだ。
獅徒らしきものの姿もあれば、アレグリア以外の神将らしきものたちの姿もあった。
明らかな戦力の向上。それも、飛躍的といっていいだろう。
「ずるいもなにも、全力を尽くすのは、軍師として当然のことでしょう?」
「それは……」
その通りだ。
いまのいままでの彼女のやり方は、軍師や戦術家というよりは、アレグリア=シーンの拘りに従ったものであり、敵を斃し、勝利を得るためならばあらゆる手段を用いる軍師、戦術家らしからぬものだった。
軍師ならば、戦術家ならば、使えるものはなんだって使うべきだったし、自分がより有利な状況を作るのは当然だった。
「ということで、エインくんも、全力を尽くしてください」
「はい?」
「まさか、エインくんは、そのままの戦力でわたしの軍勢と戦うつもりなのですか?」
「……冗談」
エインは、再び苦笑すると、彼女が言いたいことのすべてを理解した。
全力を尽くすとは、どういう意味か。
そのままの戦力とは、なにを意味するのか。
彼女の発言から、自分に与えられた権限を把握し、認識する。
(なるほどね)
そして、彼は、自分の想像力によって自軍の兵士たちに変化が起き始めたことに気づいた。
アレグリアが自軍の兵士を獅徒や神将に作り替えたように、エイン配下の兵士たちは、彼の想うままの戦士にその姿を変えていったのだ。
ファリア=アスラリア、ルウファ=バルガザール、ミリュウ=リヴァイア、レム、シーラ、エスク、エリナ、ラグナ、ウルク――そして、セツナ。
エイン軍の兵士たちがつぎつぎと突入組の面々へと姿を変えていく。
エインは、なんだか、それだけで頼もしくなったし、愉しくもなってきてしまった。
セツナたちならば、たとえ相手が獅徒だろうと神将だろうと打ち負かし、勝利を手にできるに違いない。
なにせ、獅子神皇を打倒するためにナルンニルノルに突入したのだ。
獅徒や神将に負けるわけにはいかない。




