第三千四百九十五話 軍師ふたり(三)
それは、ナルフォルンも同じ結論だったのだろう。
初戦は、両軍正面からの激突という形になった。
初戦。
そう、初戦だ。
互いに騎兵に配分を割くというほぼ同じ編成となり、同じような戦術を取った結果、両軍ともに同様の戦果を上げ、同様の損害を出したのだった。
歩兵が突出して敵軍の注意を引き、弓兵がそれを援護、そして、騎兵が敵軍本陣を急襲する。だが、両軍ともに本陣の守りは堅く、本陣に肉薄した騎兵の数では落とすには足りなかった。
本陣への急襲が失敗に終われば、あとは泥沼のような闘争が続く。そこになにかしらの戦術を次から次へと発したところで、状況を改善するには至らず、両軍ともに決定打を与えることもできないまま、戦いは進行した。
そして、決着のつかないまま、両軍の損耗率が五割を超えると、ナルフォルンが微笑した。
「エインくん。鈍ってはいないようで、安心しました」
そういってきたのは、アレグリアの本心だったのだろう。
「あなたこそ、変わっていないようで」
それも、エインの本音だ。
変わっていない。
それはつまり、あのころから成長してもいない、ということでもあった。
互いに、だ。
成長しようにも、状況がそれを許さなかった。
エインは、ログノールのことで手一杯だったし、アレグリアはナルフォルンとして戦術を磨く暇もなかったに違いない。
なにせ、ネア・ガンディアの戦力は圧倒的だ。この世界にあって、他の追随を許さない絶対的な軍事力を誇るのがネア・ガンディアなのだ。国ひとつ制圧するのに戦術など必要あるまい。大戦力を派遣すれば、事足りる。
故に、ナルフォルンにとっては物足りない日々だったのも、想像に難くなかった。
「変わりましたよ」
彼女が皮肉げに告げてくると、盤面に変化が生じた。
両軍の損耗率の割りには戦況に変化がないことが、ナルフォルンにはつまらなかったのかもしれないし、だとすれば、エインも同感だった。互いに大戦力を正面衝突させる以外には、小手先の戦術を組み込むしかないような戦場だったのだ。これでは、彼女の望む戦術家としての腕比べは、到底、叶わない。
無論、ナルフォルンが理解していないはずもない。
小手調べだ。
エインの戦術家としての腕前が鈍っていないかを探るための前哨戦だったのだ。
「こんなことができるくらいには、変わり果てたのです」
見れば、一瞬にして、戦場の光景が様変わりしていた。
征竜野の茫漠たる平野ではなく、変化に富んだ地形の数々が敵味方両軍を包み込んでいた。
エイン軍とナルフォルン軍の間には、先程よりも遙かに広い戦場が横たわっているのだが、その戦場がただの平地ではなく、地形そのものに変化が激しかった。
両軍の間には、三つの進軍路が存在し、それぞれ大きく異なる地形が待ち受けている。
エインから見て右手の進軍路は、森だ。鬱蒼と生い茂る木々が視界を狭めており、遮蔽物も極めて多い。攻めにくく、護りやすい地形といえるだろう。
真ん中の進軍路は、岩場だ。森よりは開けているため、視界は良好だが、点在する巨大な岩が遮蔽物として機能するため、先程の平野のような戦闘にはならない。
左手の進軍路は、沼地のようだ。ほかのどの進軍路よりも、間違いなく視界は良好だろうが、足を踏み入れたが最後、沼地に足を取られ、まともに進軍することもかなわないのではないだろうか。
三つの進軍路以外に道はなく、峻険な山々が進軍路と進軍路の間に聳え立って、それぞれの進軍路を独立させたものとしていた。
つまり、三種の進軍路にどのように戦力を配するかが、頭脳と手腕の見せ所、ということになる。
兵力は、両軍ともに初戦で半減している。
およそ五十万の兵をどう配分し、どう配置するか。
進軍路の終着点には、それぞれの本陣が在り、本陣を落とせば勝利となるのだが、本陣に至れるかどうかが問題だ。
(普通に考えれば……)
エインは、光の板と戦場の風景を見比べながら、素直な考えを脳裏に浮かべた。
三つの進軍路のうち、沼地はもっとも非効率だが、かといって無視するわけにはいかない。なぜならば、敵軍が戦力を手配しないわけがないからだ。沼地には、最低限、防衛用の戦力を配置しておく必要がある。が、沼地を渡る必要はない。
沼地よりこちら側で兵を留めておくのだ。そうすることで、沼地を渡ろうとする敵兵を弓で射続けるという戦法が取れる。
つまり、沼地には、弓兵を多めに配するべきだということだ。
森は、遮蔽物だらけで視界が悪く、弓射が通りにくいのはだれの目にも明らかだろう。森の中の道は、道幅も狭く、入り組んでいる。よって、弓兵、騎兵ではなく、歩兵を中心とした戦力を宛がうべきだ。
となれば、真ん中の岩場は、騎兵を主力とするのが正しい戦術と考えるべきか。
この戦場を作り出したのも、三兵種を用意したのも、ナルフォルンだ。
用意した三つの兵種に見せ場を与えようとして、このような戦場を考えついたのではないか。
アレグリアならば、そんなことをしたとしても、なんら不思議ではない。
(ただし)
エインの考える素直な戦力配分など、相手もお見通しだということだ。
ナルフォルンも同じような戦力配分をしてくるかもしれないし、こちらの戦力配分を見越して、まったく異なる戦力配分をしてくる可能性もある。
ナルフォルンの戦力配分を想定して、こちらの戦力も配分と配置を決めなければならないのだ。
(……どうしたものかな)
素直に考えるのは、戦術家のすることではない、と、想ったりもしないではないが、進軍路が三つに定められた上、兵種が三つに限られている以上、取れる戦術も限られてくるし、戦力配分もある程度絞られてくるのは致し方のないことだ。
相手も、同じように考えているに違いない。
(ふむ)
エインは、三叉の槍がぶつかり合っているかのような戦場を見下ろし、それぞれの柄頭の位置を見比べた。三叉の槍の穂先が、三つの進軍路だ。穂先のぶつかり合う場所こそ、森であり、岩場であり、沼地であって、柄は、両軍の待機場所といっていい。
柄頭は、本陣だ。
本陣には、当然、大将がいる。
大将は、ほかの兵士よりも豪華な甲冑を身に纏っており、その佇まいからしてただ者ではない雰囲気を醸し出していた。大将の周りには、当たり前のように護衛の兵がついている。もちろん、自軍の場合は、エインが配置したものだ。
本陣に攻め込まれ、大将が落とされれば、エインの負けとなる。
逆をいえば、敵本陣に攻め込み、大将を斃せば、エインの勝利となるということだ。
勝敗の条件は、極めてわかりやすい。
泥沼の戦いとなった初戦では、両軍ともに本陣に至ることさえ叶わなかった。あのまま戦い続けたとして、両軍が疲弊するだけのことだっただろう。互いに決定打を与えることもできないまま、惰性のような戦いを続けることにはなんの意味もない。
ナルフォルンが戦場を変化させ、戦闘を振り出しに戻したのも、わからないではなかった。




