第三千四百九十一話 幻想と虚構の果て
カオスブリンガーを完全に再現した漆黒の矛は、その再現率そのままといっていいほどの力を発揮した。
即ち、ウェゼルニルの拳を切り裂き、腕を断ち切り、肩を打ち砕き、その勢いのまま、胴体を真っ二つにしたのだ。
無論、それだけでは止まらない。止まるわけがなかったし、止まるわけにはいかなかった。
相手は、無限の生命力と再生能力を持つ獅徒なのだ。
手を止めるわけには、いかない。
「わたくしと、御主人様の愛と絆の力の前には」
レムは、うっとりと断言して、さらに矛を振り回す。でたらめに旋回させるだけで、黒き矛の切っ先はウェゼルニルの強靭無比な肉体を容易く切り刻み、ばらばらにしていく。自身の肉体があっという間に分解されていくのに追い着こうとする獅徒の再生速度も、凄まじいというほかない。
が、七対一だ。
“死神”たちの猛攻もまた、ウェゼルニルの巨躯を容易く切り裂き、分解していくのだ。
どうしたところで、再生も追い着けなくなっていく。
「……ああ」
ウェゼルニルが、静かに笑った。
「認めるよ」
吹き荒れる暴風の如き斬撃の嵐の中で、彼の静寂にも似た声は、なぜか、はっきりと聞こえた。
「俺の負けだ」
「同情は、致しませぬ」
「いらないさ。俺は俺の望んだ道を歩んだだけのことだ。だから、後悔はない」
彼がそのようなことを告げてきたのは、レムが、分解と再生を繰り返す獅徒の肉体の中に“核”を発見したからに違いなかった。発見し、確保した。そうなった以上、彼とて負けを認めるしかないのだ。“核”が無事ならば無限に再生し、無限に活動も可能だが、“核”を傷つけられれば、そうもいっていられなくなる。
ましてや、レムに手加減というものは存在しないことは、彼は百も承知のはずなのだ。
「あんたも、後悔しないように……な」
「ご心配なく」
レムは、苦笑交じりに答えた。わかりきったことだ。
「わたくしは、いまを精一杯に生きておりますし」
レムは、左手の“闇撫”で“核”を掴み取ると、“核”を中心に再構築を始めるウェゼルニルの生命力に目を細めた。獅徒であり、“核”が存在する以上、彼自身の意思とは関係なく、再生と復元を続けるものなのかもしれない。
それは、一種の呪いのようなものだ。
レムと同じだ。
「なにより、御主人様との絢爛たる未来のために邁進するのみにございます」
レムは、“核”を掲げた。すると、六体の“死神”たちが一斉にそれぞれの矛でもって“核”を突き刺した。
「それは、いいな――」
ウェゼルニルのどこか羨ましげな声が余韻もなく消えて失せたのと、彼の再生中だった肉体が砂のように崩壊したのは、ほとんど同時だった。
“核”が破壊され、生命の供給が断たれたからだ。
もはやウェゼルニルの名残はどこにもなく、あるのは、広大な雪原と嘘みたいにあざやかで晴れやかな青空と、六体の“死神”たちだけだ。
なにも残らない。
(まあ、わたくしには関係のないことでございますが)
ウェゼルニルのようには、死ぬまい。
レムは、“核”を持たない。誤解を恐れずにいうならば、セツナが“核”のようなものだ。
「死が二人を別つまで」
ふと、思い出したようにつぶやいて、彼女は口元にだけ笑みを浮かべた。
そして地上に降り立つと、完全武装・影式を解除し、“死神”たちも送還する。
降り立った雪原は、最初に見たときとまったく変わらぬ光景を見せつけている。この隔絶された領域を震撼させるほどの激闘を演じたはずだというのに、なんの影響もなかったかのようだ。実際には大地は割れ、深刻な被害を受けていたのだが、すぐさま降り積もる雪のせいで、なにもわからなくなってしまっただけのことだ。
この突き抜けるような青空のどこから雪が降ってくるというのか、まったくわからないが。
「さて……」
レムは、周囲を見回して、途方に暮れた。
地平の果てまで続く雪原と、頭上を覆い尽くす蒼穹。どこを見ても、どれだけ目を凝らしても、風景に変わりはない。完全武装・影式と“死神”たちとの深化融合を果たしてもなお、この領域の果ては見えなかった。もしかしたら、果てなどはなく、広漠にして無限の領域なのかもしれない。
普通ならばありえないことも、神々の王たる獅子神皇が関わっているとなれば話は別だ。
世界を容易く滅ぼせるような存在ならば、無限無辺の隔絶領域を作り出すことも造作もないのではないか。
だとすれば、この領域からどうやって抜け出せばいいのか。
問題は、そこだ。
幸いにも、レムには、行き先はわかっている。
セツナのいる方向がなんとはなしにわかるのだ。
なぜならば、魂の絆があるからだ。
セツナを彩る女性陣の中で唯一無二の特性といってよく、故に彼女は、多少の優越感を覚えないではなかったし、だからこそ、女性陣がセツナの取り合いをしても、一歩距離を置くことができるのだ。
虚空の一点を見遣る。蒼穹の果て、この領域の外、遙か彼方にセツナはいる。おそらく、セツナもまた、どこか隔絶された領域の中にいて、敵と戦っているはずだ。
獅徒か、神将か。
いずれにせよ、一刻も早く合流し、救援したいところだった。
戦力としては、突入組の中でも最強なのがセツナであり、不安などはない。しかし、獅子神皇を打倒する上で必要不可欠な存在にして、勝利の鍵でもあるのがセツナなのだ。
無駄に消耗させるわけにはいかないのだ。
(なるほど、そういうわけでございますか)
レムは、自分たちが分散させられた理由に合点が行く想いだった。
その最大にして唯一の理由こそ、セツナを消耗させ、ネア・ガンディアの、獅子神皇の勝利を確実なものとするためなのではないか、ということだ。
獅子神皇にしてみれば、レムたちなど頭数にも入らないかもしれない。が、セツナは違う。セツナだけは、獅子神皇すら認める敵なのだ。
百万世界の魔王、その力を操るのがセツナであり、神々の王最大の敵といっても過言ではなかった。
敗北する可能性があり、その可能性を限りなく少なくするためにも、セツナを消耗させる必要があった。だから、突入組を分散させたのではないか。その際、レムたちのうち、何人かが死ねば、それだけこちらの戦力が低下することもあり、それも狙いのひとつではあったのだろうが。
最大の目的は、セツナだ。
そうに違いない。
だとすれば、こんなところで考え事をしている場合ではないのだが、あいにく、この閉ざされた空間を脱する術はなさそうだった。
そう考えた直後だった。
眼下で大量の雪が舞い上がったかと思うと、いくつもの生命反応を感じた。
(はい?)
疑問のままに空から視線を下ろし、愕然としたのは、当然のことだっただろう。
「皆様!?」
レムは、雪が舞う視界に見知った面々を確認し、声が上擦るのを認めた。
エリナ、シーラ、エスク、ラグナ、ウルク、エリルアルムの六名が、どこからともなく現れ、無事な姿を見せたのだ。こればかりは、レムも驚かざるを得なかったし、度肝を抜かれるのも致し方のないことだと他人事のように思った。
「さっすがレムお姉ちゃんだね!」
エリナが満面の笑みで飛びついてきたので、レムは彼女を抱き留めるのに精一杯だった。
「まったくだ。見ていて不安ひとつなかったぜ」
「わしらの先輩はさすがじゃのう、ウルクよ」
「はい、先輩」
「ま、確かにその通りだな」
ほかの面々が口々にいってきたことを総合すると、どうやら、彼女たちはレムとウェゼルニルの戦いをどこかで見守っていたということのようだった。




