第三千四百九十話 幻想と虚構の狭間(十一)
視覚、聴覚、嗅覚、触覚――ありとあらゆる感覚が飛躍的に向上しているのがわかる。
いや、もはやそれは向上などといっていいものではなかった。
六体の“死神”との感覚の同期が、視界をより広いものとし、集音範囲を何倍にも拡大している。触覚も、嗅覚も、だ。
元々、“死神”の五感をレムと同期することそのものはできていたのだ。“死神”を遠方に飛ばし、その視界情報を得ることもできたし、“死神”の耳で情報収集することだってできた。“死神”に味見をさせることだって、容易い。
それがいままさに、レムの五感をいままでになく肥大させ、鋭敏化させているのだ。
完全武装・影式を行った“死神”たちとの同期が、レムの意識を一瞬混濁させかねないほどの情報量をもたらしている。
耳朶に飛び込んでくる音の数々が、視界を埋め尽くす映像の数々が、鼻腔を満たすにおいの数々が、情報の洪水となって押し寄せてくる。
その結果、レムは、一瞬、我を忘れかけた。
自分が何者なのかさえ定かではなくなるほどの情報量だったのだ。
しかし、それも一瞬のことだ。
つぎの瞬間には、元に戻っている。
“死神”たちがそれぞれに情報を処理することで、レム自身にかかる負担を極端に減らしたからだ。最初からそうしておくべきではないか、と想わなくもなかったが、致し方のないことだ。“死神”たちが完全武装・影式を行ったのは、これが初めてのことだった。
レムも、初めて完全武装・影式を纏ったときは、そのあまりの力の膨大さに我を忘れかけたものだ。
それが“死神”たちにも起こった。
しかも、“死神”たちとレムの間でも、深化融合が起きたのだ。
レムたちに混乱が生じるのも致し方のないことだった。
そして、その混乱を乗り越えたいま、レムたちの前に敵はいない、と断言してもよかった。
少なくとも、ウェゼルニルに手玉に取られる心配はしなくていい。
なぜならば、レムの超感覚は、幻理の間に溶け込んだウェゼルニルの居場所を見つけ出したからであり、彼女は、“死神”たちとともに影の矛の切っ先を眼下に向けた。
視界一杯に広がるのは、白銀の大地だ。“破壊光線”の爪痕は、もはやどこにも残っていない。どれだけ吹き飛ばしても、すぐさま雪で埋め尽くされてしまうからだ。もしかすると、雪だけでなく、大地そのものが復元されているのかもしれない。
ここは幻想と虚構の世界。
なにが起きても不思議ではなかった。
(なにが起きても、なにがあっても、ね)
だから、レムは、ウェゼルニルの隠れ場所に驚きはしなかった。
六体の“死神”とともに“破壊光線”を撃ち放つ。
完全武装・影式と“死神”たちとの深化融合によって何倍にも強力になった破壊の光の奔流は、大気を破壊しながら白銀の大地に突き刺さる。天地が震撼するほどの爆発が起こり、大地に大穴が開く。それでも、レムたちは砲撃を止めない。“破壊光線”を撃ち続け、破壊し続ける。
幻理の間の大地を徹底的に破壊するのだ。
なぜならば、大地こそがウェゼルニルだからだ。
ウェゼルニルは、どこかに隠れていたわけではなく、大地そのものと一体化していたのだ。
つまり、どこをどう探しても意味がなかったということだ。
不意に、大地が大きく隆起したかと思うと、レムたちの眼前にとてつもない巨人が出現した。ウェゼルニルに似た姿のそれは、急速に小さくなっていく。
「さすがに痛い」
などと、それは腹を摩りながらいった。ウェゼルニルだ。“真聖体”ウェゼルニル。腹部に残った傷跡が急速に塞がれていくのを見れば、そこが先程“破壊光線”を叩き込んだ場所だということがわかる。
「痛いで済むのね?」
だから、最初の“破壊光線”の斉射くらいではまったく意味がなかったのだろう。蚊に刺されたくらいのものだったのではないか。
「いんや、随分と痛い。泣きたくなるくらいにはな」
「そう。でも安心していいわよ。もう、泣けなくなるから」
「はっ」
ウェゼルニルは、一笑に付すと、拳を構えた。虚空を蹴って、飛びかかってくる。
「涙なんてとっくに枯れ果てたさ」
「同情なんてしないわよ」
“死神”陸号が、レムとウェゼルニルの間に割って入るが、獅徒の姿が虚空に溶けて消えた。だが、今度は、ウェゼルニルは逃げなかった。逃げ場がないことを理解しているから、だろう。
「俺はするがな」
声は、背後からだった。振り向き様、矛を振り抜けば、ウェゼルニルの手の甲と激突した。轟音とともに火花が散る。穂先ならば切断できたのだろうが、柄の部分では受け止められても仕方がない。
「あたしに?」
「そうとも」
ウェゼルニルは大真面目にいってくるなり、右の拳で殴りつけてきた。物凄まじい拳打。しかし、レムには届かない。“死神”弐号が、ウェゼルニルの右腕を切り落としたからだ。ウェゼルニルが頭上を一瞥すると、今度は彼の左腕が切り飛ばされた。参号だ。
「冗談」
「そうでもないさ」
ウェゼルニルは、透かさず両腕を復元すると、弐号と参号に向かって両腕を振り上げた。それだけで強烈な衝撃波が発生し、“死神”たちに襲いかかったが、“死神”たちは微動だにしなかった。それぞれソウギョ障壁を張り巡らせたからだ。
すると、攻撃対象外だった“死神”たちが、ウェゼルニルに向かって“破壊光線”を撃った。
ウェゼルニルが苦笑とともに飛び退き、“破壊光線”の射程外に逃れる。
「俺は心底、あんたに同情しているよ。あんたの人生にな」
「同情されるような酷い人生でもないわよ」
「そうかい。だったら、いいんだがな」
「ええ、そうよ」
ウェゼルニルのなにか含んだような言い方が気に入らなかったが、もはや、どうでもいいことだ。
「あたしは、いまの自分が気に入っているから」
レムは、胸を張って告げると、“死神”たちが“破壊光線”を斉射する光景を見た。四方八方から“破壊光線”の一斉砲撃を受け、ウェゼルニルには逃げの一手を取らざるを得なくなっている。攻勢に出ることができないのだ。
いまや、レムたちの前では、幻想も虚構も欺瞞も通用しなくなっている。
そうである以上、戦わざるを得ないのだが、だからといってレムを攻撃しようとすれば、“死神”たちの砲撃を喰らってしまう。
哀れなのは、彼のほうではないか。
が、同情はしない。
「同情される理由なんて、ございませんことよ」
「そんな仮面を被り続けているから、哀れだっていっているのさ」
「御主人様の趣味でございます故」
「そうかい。そりゃあ、趣味の良い野郎だな」
「はい」
「はっ」
ウェゼルニルが、笑った。彼は、なにやら覚悟を決めたようだった。突っ込んでくる。
「皮肉も通じねえとはな」
「皮肉どころか」
“破壊光線”の雨の中、物怖じひとつせず突っ込んでくるウェゼルニルの姿は鬼気迫っていた。体中を“破壊光線”に撃ち抜かれ、灼かれ、打ち砕かれようとも、即座に再生と復元を行い、さらに“真聖体”そのものを強化するかのように変形しながら肉薄してくるのだ。その意気込みたるや凄まじいとしか、言い様がない。
「あなた様のなにひとつとして、もはやわたくしには通用致しませぬ」
レムは、冷ややかに告げ、矛を振り下ろした。




