第三千四百八十九話 幻想と虚構の狭間(十)
「俺を殺す? そりゃあ無理な話だな」
そういって、ウェゼルニルの巨躯が虚空に溶けて消える。
蒼穹と白銀の大地に残されたのは、レムただひとりだ。
「無理?」
しかし、レムは、鼻で笑った。
「あたしを虚構の世界に閉じ込めておけなかったあなたの言葉じゃあ、なんの説得力もないわよ」
反応はない。
ここからどれだけ馬鹿にしようと、罵倒しようと、嘲笑しようと、ウェゼルニルには一切通用しないだろう。幻惑と虚構を操る彼を言葉責めに攻め立てて、現実に縛り付けようという浅はかな考えは、その一瞬で投げ捨てた。
では、どうするべきか。
どうやって、相手をこの戦場に引きずり出し、少なくとも対等な条件に持ち込むか。
レムは、頭を振った。
鎧の背から翼を生み出し、羽撃かせて空中に飛び上がる。雪が舞い、視界をあざやかに彩ったが、そんなことはどうでもいい。吹き抜ける寒風も、まばゆいくらいの青空も、結局は虚構と同じだ。現実と呼ぶには、確かなものがなさすぎる。
なにもかもが不確かで、非現実的な世界。
そんな領域にあって、確かなものがひとつだけあった。
胸に手を当てなくとも、感じる。
セツナの気配だ。
レムとセツナを結ぶ魂の絆。命の約束。契約。
どれだけ距離を離されていようと、この感覚だけは失われることがない。たとえ幻惑に囚われ、虚構の世界に陥れられようと関係がなかった。おそらく、時間さえも関係なく、レムは彼との絆を感じ取ることができるはずだ。
つまり、この領域は完全無欠に隔絶されているわけではない、ということでもある。
意識があり、思考し、行動できている時点で、気づくべきだった。
この隔絶は、不完全なのだ。
セツナが地獄に行っていた二年あまり、レムは完全に意識を失い、眠り続けていたという。
それはすなわち、現世と、地獄とやらの間には、幻理の間と他の領域との間に存在する壁よりも分厚く、絶対的な境界が存在したということであり、それくらいのことでもなければ、レムとセツナの絆を断ち切られることはないということだ。
いや、そのときですら、結局絆は断ち切られたわけではなかった、とも考えられる。
なぜならば、セツナとの再会によってレムは息を吹き返し、意識を取り戻したのだ。完全に死んだわけでも、消滅したわけでもなかった。
仮初めにも生き続けていたのだ。
(つまるところ、あたしとセツナの絆は)
だれにも断ち切ることは出来ない、ということなのではないか。
レムは、全周囲を警戒しながら、防御障壁を張り巡らせた。ウェゼルニルがどこに潜んでいるのかわからない以上、レムにできることなどなかったのだ。
待ちだ。
待ちの一手。
ウェゼルニルが業を煮やして攻撃してくる瞬間を待つ。それしかない。
そして、そのときに手痛い反撃を叩き込む。
それがレムの考えた対抗策だが、対抗策といっていいものかどうか。
しかし。
(このまま隠れ続けるつもりじゃあないわよね?)
ふと疑問に想ったことが現実になりそうな気がして、彼女は、憮然とした。
ウェゼルニルの目的がレムをこの場に留め置くつもりならば、この戦場に溶けて消え、沈黙を保ち続けるというのもひとつの手ではないか。むしろ、レムを虚構の世界に捕らえておくよりも余程効率的だ。なにせ、ウェゼルニルは攻撃を受けないし、攻撃をする必要もなく、ただ、息を潜めておけばいいのだ。
ウェゼルニルにしてみれば、これほど楽なことはない。
見渡す限りの白銀の世界だ。もし彼が地上にいて、わずかでも動こうものならば、雪原に足跡がついたりするはずだが、しかし、幻想と虚構の使い手たる彼がそのような失敗をするとも考えにくい。空中にいるか、仮に地上にいたとしても、レムの目を誤魔化すことくらい容易いだろう。
(本当にそのつもりみたいね)
ウェゼルニルの目的がレムの封殺である以上、わざわざレムと戦うのは無駄であると判断するのは当然といえば当然だったし、道理なのだが、こうまであっさりと見切りをつけ、徹せられる行動力は素直に賞賛するべきなのかもしれない。
が、レムには、彼の思惑に付き合う理由もなかったし、意味もなかった。
一刻も早くこの領域を抜け出し、セツナたちとの合流を計らなくてはならない。こんなところで足止めを喰らっている場合ではないのだ。
長く苦しい戦いの日々を終わらせ、幸福に満ちた日常を手に入れるためには、獅子神皇を打倒しなければならず、そのためにはウェゼルニルなどに時間をかけているわけにはいかない。
ただでさえ、時間がかかっている。
(こうなったら……)
レムは、五体の“死神”を呼び出すと、それぞれに影の矛を持たせた。レムの能力によって再現した黒き矛は、これで合計六本になった。その六本を用いて、幻理の間を虱潰しに捜索しようと考えたのだ。
まずは、“破壊光線”の斉射だ。
五体の“死神”を周囲に配置し、影の矛を掲げ、地上に向かって同時に“破壊光線”を撃ち放つ。六本の光条が雪原に突き刺さると、大爆発が起き、地上が白く染まった。それで終わりではない。“破壊光線”を撃ち続けながら矛をゆっくりと掲げ、射線上のすべてを破壊していく。
凄まじい破壊跡が地上に刻まれていくが、ウェゼルニルが反応を見せることはなかった。
やはり、この程度ではなんの意味もないのだ。
“破壊光線”の威力は凄まじいほどに凶悪だが、いくらでも避けようがある。
レムは、自身を中心に“死神”たちを広範囲にばらけさせて配置すると、今度は、“全力攻撃”を行った。全周囲に破壊の力を拡散し、超広範囲を打ち砕くそれを六カ所で同時に行えば、隙間なく攻撃することができる。
しかし、それでも、ウェゼルニルは姿を現さない。
“死神”たちをさらに遠くに配置し、再び、“全力攻撃”を行う。
また、反応はなかった。
さらに遠方へ。
この幻理の間の隅々まで破壊して回るのだ。
だが、このやり方では、ウェゼルニルには逃げ続けられるのではないか。
“破壊光線”にせよ、“全力攻撃”にせよ、限られた範囲内を攻撃しているに過ぎない。この領域全体を攻撃する手段でもなければ、ウェゼルニルをあぶり出すことなど不可能なのではないか。
(……そうね)
レムは、さらに一段、“死神”たちを深化させることにした。
いまのいままで一度だって試してみたこともなかったが、影の矛を複製できた以上、できないはずがなかった。
それは、完全武装・影式の複製だ。
さらに“死神”壱号も呼び出すことで、“死神”の数そのものを増やした。
そして、“死神”たち一体一体にレムとまったく同じ武装をさせたのだ。
完全武装・影式に身を包んだ六体の“死神”は、それまでとは比べものにならない力を発揮した。
完全武装は、黒き矛と六眷属を同時併用している状態のことを指すが、さらなる段階として深化融合があり、それは六眷属が共鳴し、それぞれの能力を最大限に引き出すだけでなく、それぞれの力が増幅され、増強されるという状態でもあるという。
レムと“死神”たちがまさにそれだった。
影式の深化融合状態が、レムたちをも深化融合へと導いたのだ。




