第三千四百八十三話 幻想と虚構の狭間(四)
静寂の世界に音もなく降り注ぐ雪が、巨大な穴の空いた大地を覆おうとしていく。しかし、地面が発する熱気を前にして蒸発し、天へと還っていくのだから、無意味にもほどがあった。
それはまるで、レムの先程の攻撃に似ている。
レムは、とてつもない消耗を感じ、また、ウェゼルニルの気配を遠くに感じ取っていた。
(やはり、この程度では消滅しませんか)
“核”を巻き込むことができていれば、消滅させることもできたのかもしれないが、そうはならなかった。それは即ち、ウェゼルニルの判断力もまた、優れているということにほかならない。レムが“全力攻撃”を発動し、その威力を身を以て理解した瞬間、“核”と肉体の一部を攻撃範囲外へ離脱させたのだ。
故に、ウェゼルニルは生きている。
レムがウェゼルニルの気配を振り向いたときには、“死神”たちによる猛攻が始まっている。無論、ウェゼルニルの肉体は完全に元通りに復元しており、“核”だけを狙い撃って攻撃するというわけにはいかない。
弐号が闇色の翼を羽撃かせて突撃するその背には伍号が乗っており、ウェゼルニルが弐号の突貫を飛んでかわした先に伍号が飛びかかり、二刀による連撃を畳みかければ、ふたりを中心とするかなり広い範囲の地面が崩壊した。
陸号が大斧の力で足場を崩したのだ。
体勢を崩したウェゼルニルに、好機とばかりに参号と肆号が飛びかかれば、ウェゼルニルがふたり、その進路上に現れ、“死神”たちを阻んだ。ウェゼルニルがその能力によって生み出した実体を持つ幻像。それはもはや実像と呼ぶべきだろうが、本物ではない以上、幻像と呼ぶのが相応しい。
参号が杖の髑髏、その口腔から闇の手を吐き出させ、その巨大な手でもってウェゼルニルの幻像に掴みかかる一方、肆号は回転槍を勢いよく振り回しながら、幻像に突貫した。
ウェゼルニルの本体はといえば、既に態勢を立て直しており、伍号の双刃を軽く捌きながら弐号と陸号にも対応していた。
ウェゼルニルの力量をこれでもかと見せつけられている気がして、レムは、目を細めた。
こんなことでは、主に顔向けできない。
黒き矛を掲げ、切っ先をウェゼルニルに向ける。
幻像たちと“死神”たちが激闘を演じるその後方にウェゼルニルの本体がいて、本体は、徒手空拳でもって“死神”たちの猛攻を捌いて見せている。
レムは、黒き矛の能力を使った。いわゆる“破壊光線”と呼称する能力は、矛の切っ先より破壊的な光の奔流を撃ち出すというものであり、つぎの瞬間、レムの視界は真っ白に染まっていた。凄まじい破壊の熱量が雪原を灼き尽くさんばかりに荒れ狂い、“死神”も幻像も飲み込み、ウェゼルニルへと到達する。
ウェゼルニルは、口元だけで笑ったようだった。
爆光がウェゼルニルの立っていた地点を消し飛ばす中、レムは、左に飛びながら右手に向き直った。ウェゼルニルが地面を殴りつけるようにして、降り立っている。地面には拳よりも遙かに大きな穴が生まれているが、それはつまり、彼の拳の一撃がそれだけ強力だということを示しているのだ。
そして、“破壊光線”を喰らったはずのウェゼルニルが偽物だったということも、判明する。
「あなた様は本物のウェゼルニル様なのでございますか?」
「さて、どうだろう?」
「意地悪な方でございますね」
「そりゃあ、敵だからな!」
直後、雪が舞ったのは、ウェゼルニルが地を蹴るようにして飛びかかってきたからだ。爆発的な勢いと速度は、彼の身体能力の凄まじさを改めて思い知らせてくるが、しかし、レムが対応できない速度ではない。
「まったく、その通りでございます」
レムは、苦笑交じりにいって、肉薄してきたウェゼルニルに向かって矛を突きつけた。相手は、容易くかわす。ならばと横薙ぎに振り回せば、身を低くしてかわし、あるいは跳躍して見せてくる。そして、殴りつけてきたが、それは矛の柄で受け止めることに成功する。
激突音とともに、かなり強い衝撃が両手に伝わってきた。
「ですから、こちらも全力で行かせて頂くことに致します」
「ほう。そりゃあ楽しみだ」
そういいながらも攻撃を畳みかけてくるのがウェゼルニルだが、レムは、彼の猛攻を捌ききると、もう一度“破壊光線”を撃ち放つことで距離を作った。ウェゼルニルが“破壊光線”の直撃を嫌い、飛び離れることは想定通りだ。
それを好機とし、レムは、再度“死神”たちをみずからの影より呼び寄せた。再現した召喚武装を持つ“死神”たちは、それぞれにウェゼルニルへの牽制としての攻撃を行いながら、レムと一体化していく。それぞれが身につけた召喚武装をレムに委ねるべく、だ。
闇の軽鎧がレムの華奢な体に纏い付けば、髑髏の杖が両方の前腕を覆う籠手となり、大斧は両脚を包み込んでいった。回転槍は尾となり、双刃は一対の翼となる。
完全武装・影式。
セツナが黒き矛と六眷属の力をひとつにした状態である完全武装をレムなりのやり方で再現したのが、この完全武装・影式だ。完全武装というわりには不完全だが、こればかりは致し方がない。マスクオブディスペアだけは、レムには再現できないからだ。
レム自身、マスクオブディスペアの能力によって再現された存在といっても過言ではないからだろう。
そして、だからこそ、この完全武装・影式は、不完全ながらも完全といっていいのではないか、とも想えるのだ。
完全武装の要素は足りているはずだ。
もちろん、完璧とはいえないし、影は影に過ぎない。
故に、影式であり、それで十分だと彼女は思っていた。
自分は、主の影であり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
全身に力が漲っていくのを認めて、レムは、ウェゼルニルを見据えた。
「残念ながら、あなた様には楽しむ時間も与えませぬ」
宣告とともに地を蹴り、飛ぶ。そしてその瞬間、闇の翼を羽撃かせることで、ウェゼルニルとの間合いを一瞬にして詰めた。
「それは――」
ウェゼルニルがなにかをいおうとしたとき、レムは、彼の顔面を左手から膨れ上がった巨大な闇の手のひらで掴んでいた。そのまま圧力を加えながら、右手の矛を閃かせる。首を切断するのと同時に、胴体には尾の先端を突き刺す。螺旋状に回転する尾がウェゼルニルの腹に穴を開ける傍らで、両脚から出現した斧刃がウェゼルニルの体をばらばらにする。
着地したときには、ウェゼルニルの肉体はばらばらだったが、レムは既にその幻像から興味を失っていた。
飛び退き、幻像の亡骸が吹き飛んでいく様を横目に一瞥する。
衝撃波だ。
それもかなりの数の衝撃波が、一度に飛んできたのだ。
頭上を仰げば、何体ものウェゼルニルがいて、それらが拳を突き出していた。
ただの拳打が強烈な衝撃波を生み出すのだから、獅徒の力は凄まじい。
「――どうだか」
先程ウェゼルニルがいおうとした言葉だろう。
空に浮かぶ幻像たちが異口同音にいってきた。
レムは、笑いもせず、翼を羽撃かせると、上空に向かった。
偽物と本物を見分ける方法が確立していない以上、偽物を根絶やしにし、本体をあぶり出す以外に方法はない。
そして、いまのレムならばそれが可能だ。




