第三千四百七十八話 力の化身(七)
左半身を襲った衝撃は、躯体制御機構が警告を発するほどに凄まじく、直撃を受けたつぎの瞬間、ウルクは、損傷の深刻さを理解しながら吹き飛ばされていた。
両腕を握り潰されたときと同じだ。
波光防壁による防御など、なんの意味もなさなかった。躯体を覆う波光防壁を武器とするかのようにして、ミズトリスは、ウルクに大打撃を与えたのだ。
そして、吹き飛ばされた。
地上から上空へ。
一瞬にして吹き飛ばされたものの、ウルクは、即座に噴射口から波光を噴き出して体勢を整えることに成功した。が、そのときには、ミズトリスの生体反応は、ウルクの背後にあった。殴り飛ばしたウルクの速度よりも早く移動し、背後を取ったのだ。そう気づいたときには、さらなる衝撃がウルクの後頭部に走った。頭部が変形するほどの衝撃とともに地上に落下する。
(強い。早くなんとかしなければ……)
しかし、どうしようもない。
相手との力の差は、いまや圧倒的なものになっている。
波光防壁による護りは意味をなさず、頑強極まりないはずの肆號躯体が赤子の手を捻るようにあっさりと変形してしまうほどに、ミズトリスの力が上がっているのだ。
地上に落着するまでに、さらに背中を衝撃が襲った。背部の装甲が大きく凹み、内骨格にまで甚大な損害が出ている。後頭部の変形もそうだが、分厚く頑強な装甲に護られた内部機構にまで障害を発生させるほどの衝撃は、恐るべきものといってよかった。
そのまま地面に激突するが、その際の衝撃は、ミズトリスに殴られるよりも遙かにか弱く、優しいものだった。
波光を噴出することで素早く起き上がり、その場を飛び離れれば、立ちこめる粉塵の中にミズトリスの巨躯が落着し、地響きとともに膨大な量の粉塵が舞い上がった。ミズトリスの両腕が、さらに巨大化し、異形化していることが、その粉塵の中に見える影からもわかる。
その左腕が唸り、風圧が粉塵を吹き飛ばす。
ミズトリスは、ただ、こちらを見ていた。
「これでは一方的過ぎるな。つまらぬ」
「……そうですか」
そういわれたところで、ウルクにはどうすることもできない。そもそも、ミズトリスを満足させるために戦っているわけではないのだ。ミズトリスの満足度など、知ったことではない。
なんとしてでも、ミズトリスを斃さなければならない。
それだけだ。
しかし、それこそが困難であり、絶望的だ。
両腕は使えず、内蔵兵装も効果的ではない。足で蹴りつけたところで、致命傷どころか傷ひとつつけられそうにもない。掠り傷程度、獅徒にはなんの意味もないのだ。
一方、ウルクは、殴られればそれだけで躯体に損傷を負う。後頭部は凹んでいるし、背中も変形していた。内骨格を始め、躯体内部にも損傷を負っているのだ。このまま戦い続ければ、ウルクが敗れ去るのは間違いない。
確定事項といっていい。
勝ち目がないのだ。
そう、考えていたときだった。
『ウルク』
不意に、ウルクは、聞き知った声が聞こえた気がした。
『わたしの声が聞こえるか? わたしの声が聞こえているのなら、返事をしてくれ』
(ミドガルドの声……?)
ウルクは、突如として聞こえてきた声に戸惑い、わずかながら混乱した。ここはナルンニルノル内部の中でも隔絶された空間であり、ナルンニルノルの外にいるはずの人物の声が聞こえてくることなどあるはずがなかったからだ。
人間は、時に幻聴を聞くことがあるという。
人間を模した魔晶人形も、幻聴を聞くのだろうか。
『ウルク!』
「聞こえていますが、ミドガルド。どうして、あなたの声が聞こえるのです?」
『ああ、やはり届いたか』
「やはり?」
『説明は後だ。いまは、君の窮地をどうにかすることのほうが先決だろう』
「その通りですが……この状況、どうにかできるというのですか?」
「……なぜ、部外者の声が聞こえる? どうなっている」
ミズトリスが訝しんでいるところを見ると、ミドガルドの声は、ウルクにだけ聞こえているわけではないようだった。つまり、この戦場に響き渡っているのであり、幻聴でもなんでもないということだ。
「……ミドガルド、あなたの声は、本当に聞こえているようですね」
『ん? なにをいっているんだ? 当たり前だろう。君に幻聴を聞く機能はついていないんだ』
「そうでした」
『そんなことを話している場合ではないだろう。いまは、君の窮地を打開することのほうが重要だ』
「この状況を打開する、だと?」
ミズトリスは、ミドガルドの発言に興味を持ったようにいった。
「面白い、やってみせるがいい。わたしはそんなおまえたちを乗り越え、さらに成長し、進化してみせよう!」
極めて強気に告げてきたミズトリスだが、そうなるのも無理からぬことだとウルクは思った。
「……ミドガルド。あなたのおかげで時間は稼げそうですが、本当にこの状況を打開できるのですか?」
『できるとも』
ウルクの疑問に対し、ミドガルドは力強く断言してくるものだから、頼もしい。
『いま、君とわたしは、この扉を通して繋がっている。つまり、だ。君が、この戦場に存在するすべての心核と同期することも可能だということだ』
「すべての心核と……同期」
『擬似窮虚躯体』
ミドガルドの発した言葉を理解したとき、ウルクは、はっとした。
窮虚躯体。
それはまさに究極の力を意味した。
『いまこそ、その機能を解放しよう』
ミドガルドがそう告げた直後だった。
ウルクは、躯体内部になにかしらの変化が起きたことを認識し、それがどういうことなのかも理解した。肆號躯体に組み込まれ、封印されていた機能がいままさに目覚め、解き放たれたのだ。
(擬似窮虚躯体……これが?)
視界が広がっていくような感覚があった。
こことは異なる戦場の風景が見えた。結晶の大地。魔晶兵器、魔晶人形たちが、人間や竜、皇魔とともに戦っている光景。神兵の群れ。使徒もいれば、神々も存在する。
ナルンニルノルの外の戦場だ。
なぜ、そんな光景が見えるのか。音が聞こえるのか。
簡単な理屈だ。
同期しているからだ。
戦場に展開するすべての魔晶兵器、魔晶人形の心核との強制的な同期と並列化を行い、励起状態に移行させることこそ、擬似窮虚躯体の機能なのだ。
それによって、ウルクは、擬似窮虚躯体起動以前に比べて、数倍の出力を発揮した。
なにせ、戦場に存在するすべての魔晶兵器、魔晶人形から力を借りるだけでなく、その力を増幅しているのだ。
エベルを圧倒した真の窮虚躯体には程遠いものの、ミズトリスと戦う上でならば十分すぎるだろう。
ウルクがそのように確信したのは、躯体に充溢する力の膨大さを理解したからではない。出力だけではないのだ。あらゆる機能が拡張され、強化されている。それもこれも、強制同期と並列励起による影響であり、ミドガルドは、それを機能昇華と呼んだ。
あらゆる感覚が鋭敏化し、身体能力も強化されている。
両腕が失われ、躯体の状態も酷い有り様だが、問題はなかった。いや、問題がなくなった、というべきだろう。
これで、戦える。
ウルクは、ミズトリスを見据え、半身に構えた。




