第三千四百七十五話 力の化身(四)
ミズトリス“真聖体”に対する異様な感覚は、危機感と呼ぶべきものかもしれない。
しかしながら、ミズトリスの打撃は、現状、まったく一切これっぽっちも通用していない。危機感を覚える理屈などどこにもなく、負ける要素などどこにも見当たらない。
躯体を傷つけることさえできないミズトリスに敗れ去るなど、ありえないことだ。
だが、危機感を覚えている。
数え切れない戦闘の経験が、乗り越えてきた死線の数々が、数多の窮地に関する記録が、ミズトリス“真聖体”の持つ可能性に対し、警告を発しているようなのだ。
ウルクは、これまで様々な敵と戦ってきた。
ただの人間を一蹴したこともあれば、皇魔を蹴散らしたこともあるし、武装召喚師を撃破したこともある。神兵と交戦し、使徒と戦い、分霊と激闘を演じ、大いなる神エベルと死闘を繰り広げた。
そういった歴戦の記録が、ミズトリス“真聖体”との戦いが長引くことを危険視した。
ミズトリス“真聖体”は、彼女自身がそういったように成長している。
(成長……)
最初の攻撃に比べると、二回目の攻撃の威力が上がっていたという事実があり、それがミズトリス“真聖体”の能力なのではないか。
力の成長。
力の進化。
力の――。
「おまえを斃すだけの力が手に入れば、わたしがヴィシュタルのすべての敵を屠ることだってできるはずだ!」
ミズトリスが叫び、地を蹴った。地面が大きく抉れ、粉塵が爆煙のように噴き上がったのは、ミズトリスの脚力がとてつもなく凶悪だからだろう。
ウルクは、三度、一瞬にして眼前へと飛び込んできたミズトリスに対し、今度は自分のほうから攻撃を仕掛けた。
攻撃のたびに成長するというのなら、交戦のたびに進化するというのであれば、さっきのような戦い方を続けるわけにはいかない。あのような戦い方では、ミズトリスを強くするだけだ。
そして、みずからを窮地に追い込むことになる。
現状、そんな片鱗すら見えないが、そうなる可能性がある以上、無視するわけにはいかないのだ。
ウルクは、この戦いを一刻も早く終わらせて、セツナたちと合流するべきだと考えていたし、そのあとのことも考え、力を温存したいとも想っていた。しかし、獅徒を斃しきるには、力の温存などを考えている場合ではなく、そんなことをしていては戦闘が長引くだけだという結論に至っている。
そして、戦いが長期化すれば、こちらが不利になる可能性がある。
ウルクは、全力でもってミズトリスの側頭部を蹴りつけ、獅徒が頭部を庇った腕をひしゃげさせた。さらにその勢いで側頭部に足の爪先を突き刺し、強靭な装甲で覆われた頭部に穴を開ける。頭部への痛撃がそのまま首の骨を折る形になるが、そんなものに意味はなかったし、そこで攻撃の手を止めるウルクでもなかった。
打撃が通用することが判明したのだ。
ここで猛攻を加えなければ、いつ攻撃するのか。
ウルクは、ミズトリスの全身、ありとあらゆる箇所に拳を撃ち込み、蹴りつけた。強靭堅固な獅徒自慢の装甲も、肆號躯体の前では意味をなさない。拳の一撃一撃が装甲を貫き、蹴りの一発一発が肉体を破壊していく。
ミズトリスは、まさに手も足もでないといった有り様だったが、だからといって焦る様子もなければ、恐怖を感じている様子もなかった。
ウルクの猛攻を受けながら、むしろ、歓喜に満ちた声さえ上げていたのだ。
まるでウルクの猛攻すらも糧とするかのように、獅徒は嗤った。
ウルクは、笑わない。
冷静に、淡々と、獅徒の装甲を破壊し、肉体を分解していく。
ミズトリスを斃すことだけしか頭になかった。
そのためには、“核”を探し出さなければならない。“核”は決して小さいものではなかったし、体内を移動させることができるのだとしても、体の大きさからいって隠し通せるものではないだろう。なにせ、ウルクは、ミズトリスの肉体を破壊し続けているのだ。
ミズトリスの肉体は肉体で、破壊され続けているだけではない。貫かれた装甲は瞬時に復元し、砕かれた骨も筋肉も、あっという間に再生していく。獅徒の回復速度たるや凄まじいものであり、その回復速度を上回る速さで打撃を叩き込み続けなければ、“核”を探し出すことは不可能だろう。
ウルクは、導き出した結論の赴くまま、ミズトリスの肉体を破壊し続けた。
肆號躯体が発揮しうる最大速度で拳を撃ち出し、蹴りつける。
ミズトリスの巨大な手がウルクの拳を受け止めて見せたのは、そんな最中のことだった。
「“真聖体”がここまで追い詰められるとは、思ってもいなかったぞ」
「そうですか。では、そのままやられてください」
ウルクは、もう片方の拳を撃ち込んだが、やはりミズトリスの手のひらに受け止められた。渾身の力を込めた拳だ。これまで容易く装甲を貫いてきたはずのそれは、いまや手のひらにめり込むだけだった。
ミズトリス“真聖体”が成長し、進化した、とでもいうのだろうか。
「いいや、まだだ。まだまだ」
ミズトリスは、両手で持ってウルクの両方の拳を握り締めてきた。ウルクの躯体に加わる圧力は、いままでの比ではないものであり、躯体表面の装甲がひしゃげていく様子がはっきりとわかった。
「これは……」
「いったはずだ。わたしは成長していると」
ミズトリスは、ウルクが驚く様が嬉しかったのだろう。歓喜に満ちた声を上げながら、両腕を振り上げて見せた。つまり、ウルクを持ち上げ、勢いよく投げ飛ばしたのだ。
「おまえのおかげだ。おまえのおかげで、わたしはさらなる進化を遂げられる!」
ウルクが投げ飛ばされた先で静止し、体勢を整えようとすると、ミズトリスが眼前に迫っていた。即座に波光防壁を展開する。衝撃が波光防壁を襲った。獅徒の巨拳が目の前にあった。
連打に次ぐ連打が波光防壁を襲う最中、ウルクは、両手を見下ろした。ミズトリスの握力による変形は、表面の装甲にわずかに生じている程度だ。しかしながら、その事実は、危機感を現実のものとする可能性に思い至らせるには十分過ぎた。
それまで一切通じなかったミズトリスの攻撃が、肆號躯体に通じるようになった、ということなのだ。
仮に、ミズトリスがこのまま成長し、進化し続けるようなことがあれば、ウルクの勝ち目が失われていくのではないか。
少なくとも、ミズトリスの力そのものが脅威となった以上、正面からぶつかり合うのは得策ではなくなってしまった。
勝ち筋が見えなくなっていく。
「さあ、もっとだ! もっと!」
ミズトリスが歓喜に満ちた声を上げながら、波光防壁を連打した。凄まじい衝撃の数々が波光防壁を伝わっていく。
それによってわかったのは、ミズトリスの力が上がっているのは確かだが、波光防壁を破壊できるほどではないという事実だ。
「戦え! わたしと!」
ミズトリスは、波光防壁ごとウルクを両手で掴み上げて見せた。
「いわれるまでもありません」
ウルクは、告げ、波光防壁を解除した。当然、ミズトリスの両手は空を切る。その間にウルクは、ミズトリスの懐に潜り込んでいる。
「ですが、わたしがあなたの成長や進化に付き合うつ道理もない」
ウルクは、ミズトリスの下腹部に両手を添えるようにすると、複合式波光砲を撃ち放った。




