第三千四百七十四話 力の化身(三)
「さすがはエベルの叡智の結晶、といったところか」
ミズトリスは、渾身の打撃が一切通用しなかった事実を受けて、そのように発言してきたが、当然、ウルクには承服しきれない内容であり、彼女は、獅徒の両手を握り潰しながら反論した。
「この躯体、肆號躯体は、ミドガルドと神々の協力によって作り上げられたものです。エベルが関与したのは壱號躯体のみ」
「つまり、発想の根本にはエベルの叡智があった、ということだろう?」
「それは否定しませんが、しかし、あなたが苦戦しているこの力は、エベルとは関係がありません」
だから、エベルは敗れ去った。
ウルクは、全力を発揮するまでもなく潰れていくミズトリスの両手を見ながら、そう確信した。
確かに、魔晶人形の完成に至ったのは、エベルの干渉があり、その叡智を借りることができたからだ。その事実は、ミドガルドも認めるところであり、故にこそ、彼はエベルを凌駕することに執着したといっていい。
エベルの力を借りず、エベルを超えようとした。
そして実際、その通りとなった。
彼と同志たる神々の叡智と情熱の結晶たる窮虚躯体は、エベルの思惑を超え、エベルの打倒を成し遂げることに成功したのだ。
肆號躯体は、窮虚躯体を元にした躯体であり、どの点から見ても、エベルとは関係がないといっていいはずだ。
魔晶人形の発想の根本にエベルの叡智があるのだとしても。
握力勝負に敗れ去り、ぼろぼろになった両手を引いたミズトリスは、すぐさまその両手を元通りに再生して見せると、再び蹴りつけてきた。
「無駄です」
「無駄かどうかは――」
「やってみなくても、わかりますよ」
ウルクは、ミズトリスの蹴りの連打に対し、まったくの無表情で対応した。
蹴りの一撃一撃は、さすがに獅徒のものだけあって極めて強力であり、ただの人間ならばその一発を食らっただけで消滅するだろうこと請け合いだったが、魔晶人形のウルクには、そういった常識は通用しなかった。
肆號躯体は、生半可な攻撃ではびくともしないのだ。波光防壁を展開する必要もなければ、防御態勢を取る必要もなく、ミズトリスの打撃を黙殺することができた。
もっとも、躯体を覆う装甲に波光を流し、装甲を活性化させ、防御能力を高めていなければ、さすがの肆號躯体も損傷したことは疑いようのない事実だ。
いくら肆號躯体とはいえ、獅徒の全身全霊の攻撃を完全に無視することはできない。
とはいえ。
「この体は、我が偉大なる父、ミドガルドが叡智と情熱の結晶――」
側頭部を狙って繰り出された蹴りを左手で受け止め、握り締めながら引き寄せようとすると、獅徒の肉体は異様な変化をして、ウルクから離れて見せた。
「生半可な攻撃は、通用しません」
構わず、ウルクは、離れていくミズトリスに向かって両腕の波光砲を撃ち放った。もちろん、複合式波光砲だ。波光大砲も連装式波光砲も通用しないとなれば、複合式波光砲を至近距離から叩き込むしかない。
莫大な光が両者の間で膨れ上がり、ウルクの視界を蒼白く染め上げる。ミズトリスに直撃したことは疑いようもない。ミズトリスの生体反応が離れていく速度は、圧倒的な力によって吹き飛ばされていくそれだった。
ウルクは、手に残ったミズトリスの右足の一部を放り投げると、本体の行方を追った。波光の奔流に吹き飛ばされ、地上に落着した獅徒の姿は、遙か上空からでもはっきりとわかる。
なぜならば、眼下にはなにもないからだ。
開戦当初こそ、立派な都市が存在していたものの、ウルクの砲撃によって跡形もなく消し飛んでしまっている。
地上には、もはや都市の面影すら残っていない。
あるのは、波光砲によってくり抜かれた大地だけだ。
故に、ミズトリスがどこに落着しようと関係なかった。隠れようもなければ、見逃しようもない。
ミズトリスは、見るからに無傷だった。
複合式波光砲を至近距離で喰らったというのに、だ。
傷ひとつなければ、右足も既に元通りに復元している。
さすがの再生能力、といったところだ。
間違いなく、複合式波光砲による損傷も復元してしまった後だろう。
“核”を破壊しない限りは、そうなってしまう。どれだけの損傷を与えようと、肉体を破壊しようと、手足をちぎろうが、頭を壊そうが、関係がない。瞬く間に復元し、元通りだ。
“核”だ。
“核”を完全に破壊することでしか、獅徒に勝利する方法はなく、そのためには、どうするべきか。
ウルクは、思考を巡らせながら、ミズトリスがこちらを睨んでいる様を見ていた。“真聖体”とやらになったにも関わらず、攻撃が通用しなかったことを受け、なにやら考え込んでいるようだ。
考えているのは、結局のところ、同じことだろう。
どうやれば、敵を倒せるのか。
それだけしかない。
極めて単純な問題。
だからこそ、難しい。
ミズトリスが、地を蹴るようにして跳んだ。たったそれだけで両者の間に在った長大な距離を埋めるのだから、“真聖体”の力たるや凄まじいとしか言い様がない。
一瞬にして眼前に現れ、殴りかかってきた獅徒に対し、ウルクは、透かさず対応した。先と同じだ。両方の拳による連撃を両手で受け止めている。
しかし、感触がどうにも違った。先程とは、なにかが違う。
「わたしの相手がおまえでよかった」
「なにを――」
いっているのか。
そう、問おうとしたが、出来なかった。
ミズトリスが蹴りつけてきたからであり、その蹴りの連撃もまた、先程とはまるで違う感触を受けたからだ。
強くなっている。
打撃の一撃一撃が、先程よりも明らかに強力になっているのだ。
肆號躯体の装甲は無傷だ。無傷だが、だからといって楽観視できるような状況ではなくなってきている気がしてならない。
先程のミズトリスの攻撃は、間違いなく、彼女の全力だった。全身全霊の力を込めた打撃であり、それがまったくもって通用しなかったからこそ、ウルクは勝機を見たのだし、優位に立っていられた。
それが、一瞬にして揺らいだ。
ウルクは、ミズトリスの両手を握り潰すのではなく、両手を握ったまま、複合式波光砲を発射して見せた。接触状態からの複合式波光砲は、やはり、見事なまでにミズトリスの肉体を破壊する。大きな手のひらを貫き、腕を内側から粉砕し、吹き飛ばしていく。
「おまえでなければ、とっくに殺しきっていたのだからな」
両腕を破壊されただけでなく、複合式波光砲の光に飲まれ、ウルクの目の前から吹き飛ばされていきながら、ミズトリスは、そんなことをいってきた。
それは、確かにそうだろう。
先の攻撃ですら、人間には耐えられない威力のものだったのだ。ミズトリスが“真聖体”になったとき、勝負は決していたことだろう。
しかし、そうはならなかった。
ウルクが人間ではなく、肆號躯体の魔晶人形だからだ。
「相手がおまえだから、わたしは強くなれる!」
ミズトリスのその声は、喜びに満ちていた。
「もっと、もっと!」
地上に激突し、粉塵を巻き上げながら、歓喜に満ちた声を上げる獅徒の姿は、ウルクをして、異様な感覚を覚えさせた。




