第三千四百七十話 星の海、獣の刻(八)
「さすがは、シーラ殿」
ファルネリアの顔面を覆う装甲が剥がれ、素顔が明らかになれば、その表情もはっきりとわかる。シーラの戦いぶりを褒め称えながらも、その顔つきは、どこか決然としたものがあった。
覚悟を感じる。
「しかし、このまま終わるわけにはいかないのですよ」
「いいや、終わりだ、ファルネリア」
シーラは、告げる。
金眼白毛九尾の大いなる九つの尾は、ファルネリアの“真聖体”を徹底的に破壊している真っ只中であり、“真聖体”の加速度的な復元速度をも上回る苛烈なまでの攻撃の数々は、宇宙を歪めるほどに凄まじいものだった。
「俺が勝って、それで終わる」
「いいえ、勝つのはヴィシュタル様です」
「ヴィシュタル?」
「わたくしでも、あなたでもない。ましてや、セツナ殿でも」
「はっ……たとえここで俺が死んだとしても、セツナが負けるわけねえだろ!」
シーラは、そのことについて確信を持っていた。
ヴィシュタルが獅徒の長であり、獅徒の中でも最強の存在だとしても、セツナが負ける道理にはならない。セツナは、獅子神皇を斃すためにここにきたのだ。その道中、立ちはだかったのだろうヴィシュタルに負けるようでは、獅子神皇に勝てるはずもないのだ。
負けてはならない。
だから、勝つ。
単純というよりは強引な結論だが、シーラに疑問はなかった。
セツナを信頼しているからだ。
「あなたは、本当にセツナ殿を信じておられるのですね……」
「あんただって、そうだろ? 信じているから、ここにいるんだ」
ヴィシュタルを。
絶対的に信頼しているからこそ、生まれ変わり、成り果てても、離れず、ついてきた。
そして、シーラの前に立ちはだかった。
その想いの強さについては、疑いようはない。
「ええ。ですから、このまま終わるわけにはいかないのです」
ファルネリアが叫ぶようにいったときだった。
シーラは、異様な感覚に襲われて、頭上を仰いだ。そこには、ファルネリアが頭上に掲げていた光背の太陽が浮かんでいるのだが、その太陽の表面が暗い影に覆われていく様は、ある天体現象を想起させた。
日蝕だ。
太陽が影に覆われ、昼の夜が訪れるというあの現象だ。
シーラは、嫌な予感を覚えて、すぐさま光背を攻撃した。破砕の尾による殴打は、しかし、太陽を覆う影に触れた瞬間、尾の先端から吸い込まれるようにして消えていったため、空振りに終わった。
いや、空振りなどという生やさしいものではない。光背を殴りつけようとした破砕の尾の大部分が、太陽の影に吸い込まれ、消え去ってしまったのだ。
透かさず尾を引き戻し、復元させたものの、そうしている間にも太陽を覆う影の面積が広くなっていく。
「なんだ……?」
「日も月も欠け、すべてが闇に飲まれれば、この星の海の宴も幕を閉じる。ただ、それだけのことです。それだけの……」
「ファルネリア、あんたは……」
シーラがファルネリアの顔に目を向けたのは、抗うのを諦めたからではなかった。むしろ、徹底的に抗い続けていた。ファルネリアの“核”を見つけ出すべく“真聖体”を損壊し続けながら、影に覆われていく太陽を攻撃する。
しかし、創造した矢や槍による攻撃も、空振りに終わった。影に覆われていない部分を攻撃したはずなのに、影に取り込まれ、消えてしまったのだ。どうやら、影に吸い寄せられるようだ。それも、かなり強力な吸引力であるらしく、シーラ自身も引き寄せられている感覚があった。
「それでいいのかよ」
「いいのです、これで」
ファルネリアのまなざしには、諦めに似たなにかがあった。
「わたくしは、獅徒ファルネリア。ヴィシュタル様の御力になるための存在し、そのために消滅するのであれば、本望」
「……そうかい」
シーラは、頭上を仰いだ。太陽の光背は、もはや完全に影に隠れてしまっていた。光り輝く輪郭すらも失われ、宇宙そのものが暗闇に溶けていく。
「そんなの、俺は嫌だけどな――」
そして、昏い影が、なにもかもを飲み込んだ。
金眼白毛九尾の巨躯も、その中にいるシーラも、ファルネリアも、星の海も、なにもかもすべてが暗黒の闇に吸い込まれてしまったのだ。
なにもない。
音もなければ気配もない。
すべてが終わってしまった後のような、そんな感覚。
(……終わった、のか?)
シーラは、自問する。
(いいや、違う。まだ終わっちゃいねえ)
なぜならば、意識があるからだ。
意識があり、思考し、自問自答できるということはつまり、死んでいないということにほかならない。なにより、痛みを感じている。全身を苛む痛みは、次第に大きく、強くなっているようだった。
シーラを巨大獣ごと吸い込んだ影が、取り込んだすべてを消滅させようとしているのか、それとも、別の理由からなのか。
少なくとも、金眼白毛九尾の巨体が崩壊していることは間違いなかった。
でなければ、シーラ自身が痛みを感じることなどありえない。
巨大獣は、いわば鎧なのだ。九つの尾で編み上げた金剛不壊の鎧。
それが、破壊されてしまった。
つまり、いずれにせよ、このままではシーラが死ぬのは時間の問題だった。
(それは……嫌だな)
シーラは、本心から想った。
こんなところで死ぬなど真っ平御免だ。
戦場で生きて、戦場で死ぬ。
いつ頃からか、そう想っていた。
それが自分のすべてであり、自分の人生の有り様なのだと、そう思い込むようにしていた。そうしなければ生きていけない。そうしなければ、自分の居場所はない。
アバードにも、どこにも。
だから、獣姫などをやっていたのだ。
それが、変わった。
出逢いが、変えた。
『姉上!』
(え……?)
不意に脳裏を駆け抜けた声に、シーラは、愕然とした。
『どうか死なないでください! 話したいことが山ほどあるんです……!』
(セイル……?)
全身全霊の叫び声は、まさしくシーラの実弟のものだった。故に彼女は、疑問に想うのだ。なぜ、こんなところで弟の声が聞こえてくるのか。
セイルは龍府におり、ここは隔絶された領域の中の暗黒空間なのだ。セイルが叫んだとして、シーラに届くはずがなかった。
だとすれば、幻聴以外に考えられない。
しかし、幻聴にしては、あまりにも真に迫っているように感じられた。
では、なんだというのか。
『シーラ殿。わたしには、あなたの生還を祈ることしかできない。そのことを許して欲しい』
つぎに聞こえてきたのは、サラン=キルクレイドの声であり、その悔しさに満ちた声音には、魂を揺さぶられるものがあった。
幻聴などでは、ない。
シーラは、彼の声の力強さによって、そう確信するに至った。
(許すもなにも……)
仕方のないことだ、と、彼女は想う。
サランが“大破壊”を生き延びたという事自体、シーラは知らなかったし、彼の生存を確かめ、探して回る時間もなかった。
ただ、彼が地獄のような世界を生き抜き、いまも生きているのだという事実に涙さえ出てくる。
嬉しかった。
いまも自分のことを忘れず、想ってくれるひとたちがいる。
その事実が、シーラに力を与えてくれるのだ。
(なあ、相棒)
全身を苛む痛みの中で、右手からは、深い愛情が流れ込んできている。
(俺は、生きたいよ)
だから、告げた。
(皆と……セツナと一緒に!)
生きていきたい。




