第三千四百六十七話 星の海、獣の刻(五)
強烈な熱衝撃波による火傷と痛みを治療し終えたころには、ファルネリアの変化は終わっていた。
「なるほどな」
シーラは、ファルネリアの変化がなにを意味しているのか、その姿を見るだけで理解した。
“真聖体”の背後に輝いていた満月が、より強く、烈しい光と熱を発する円盤状の物体――太陽へと変わっていたのだ。
ファルネリアは、元々、星を想起させる光の棘による爆撃と、月を想起させる三日月の刃、そして太陽を想起させる閃光という三種の攻撃手段を持っていたのだ。
“真聖体”には、星の衣と満月の光背、三日月刀こそあったものの、太陽を連想させるような武装は見当たらなかった。
それがいままさに披露されたのだ。
静寂の満月ではなく、灼熱の太陽を光背とするファルネリアの姿は、よりまばゆく、より烈しく輝いている。
「けどよ、月が太陽に変わったからなんだってんだ」
「もちろん、それだけではありませんよ」
ファルネリアは、穏やかに告げてくると、身に纏う星々を展開して見せた。衣となって彼女を護っていた星々が、周囲に散らばり、広大な範囲に展開していく。すると、どうだろう。
「なんだ……?」
シーラは、視界が暗転していくのを認めた。
どこからともなく闇が訪れ、星天の間全体を包み込んでいったのだ。ただの闇だ。それそのものにはなんの力もなければ、シーラに悪影響を及ぼすようなこともない。
ただ、視界が悪くなるだけのことであり、それは、シーラだけでなく、ファルネリアも同じはずだ。
そんな中、ファルネリアの光背たる太陽と、広範囲に展開する星々は、闇を照らす光となっていた。
これでは、闇をもたらし、視界を悪化させた意味がわからない。
なぜならば、どれだけ暗黒の闇が強力であろうと、ファルネリアの位置だけは見逃しようがないからだ。星天の間を包み込む闇の中で、ファルネリアの太陽は、なによりも強く烈しく輝いている。
散らばった星々も、その太陽の光を浴びて、より一層、強い光を放っているようであり、闇の中にあって明かりに困らなかった。
ただ、圧倒されるような美しさがある。
まるで星の海の中にいるようだった。
星天の間を覆う闇は宇宙を想起させ、太陽を中心として無数の星々が浮かんでいる様は、まさに想像上の宇宙以外のなにものでもない。
しかし、だとしても、なぜ、ファルネリアが闇を呼び込んだのか、シーラには、その理由がわからなかった。
空を覆う闇のおかげで星々の位置は明白だ。まだ青空のほうがわかりにくく、障害物として機能したのではないか。
そんなことを考えていると、ファルネリアが左腕を頭上に掲げた。細くしなやかな腕は、それでも強固な装甲に覆われているものであり、生半可な攻撃を受けても折れるものではない。
その左手の先に光が集まっていく。背に負った太陽の光だ。熱と光が収斂し、やがて一振りの杖が具現する。先端に宝玉と放射線状の飾り付けがある杖は、太陽の杖というべきか。
獅徒は、その杖を手にすると、こちらに視線を落とした。
太陽そのもののような獅徒の双眸もまた、宇宙の闇を切り裂くようにシーラに届く。
ファルネリアの戦闘態勢が整ったと見て、間違いない。
その頃には、シーラの全身の負傷も完治しており、万全の状態といってよかった。
「それでは、戦闘再開と行きましょうか」
「はっ、いわれるまでもねえ!」
宇宙の中心から聞こえてくるようなファルネリアの声に対し、シーラは、叫ぶように言い返した。
仕切り直しとなってしまったが、戦況に大きな変化はない。
シーラもファルネリアも、傷ひとつついていないのだ。
ファルネリアは、獅徒だ。“核”を破壊しない限り、死ぬことはない。その再生速度たるや、これまで見てきたどんな神兵、使徒よりも圧倒的であり、半端な攻撃では、逆に命取りになるだろうこと請け合いだ。
一方、シーラも簡単には死なない。白毛九尾の力は、攻めの力だけでなく、護りの力、癒やしの力もシーラにもたらしている。
故に、シーラは、ファルネリアに向かって、一直線に飛んだ。
ファルネリアの“核”を破壊しなければならない以上、遠距離攻撃だけでどうにかできるとは考えられなかった。近接戦闘に持ち込み、圧倒的な力でもって蹂躙し、破壊し尽くす。そのためにも、遠く離れた距離を詰めなくてはならない。
それが、ファルネリアの狙いであることもわかりきっている。
わかっていても、相手の策であったとしても、行くしかない。
ファルネリアが、虚空に向かって右手を翳す。すると、宇宙が揺れた。
(いや、違う)
闇に浮かぶ星々が動き出したことで、この戦場そのものが揺れたように錯覚したようだった。だが、星々が動き出した事実に変わりはない。
宇宙の闇を引き裂きながら、シーラに向かって飛来してきているのだ。
「そういうことかよ!」
シーラは、怒鳴り、破砕の尾でもって頭上から降ってきた星々を薙ぎ払った。シーラの意のままに膨張した尾は、殺到する星々を容易く一蹴して見せ、頭上に無数の爆発を起こさせた。
星は、ひとつひとつが破壊力抜群の爆弾なのだ。
ファルネリアがなぜ、身に纏っていた星々を手放し、展開したのか、いま、理解する。
ファルネリアという太陽を中心とする星々の布陣は、ファルネリアに接近せざるを得ないシーラを止まない爆撃によって少しでも消耗させ、傷つけ、あわよくば絶命させるためのものだったのだ。
ただ戦場を星空で彩るためのものではないことくらいわかっていたが、それにしても、厄介なことこの上ない。
というのも、ファルネリアは、この宇宙の中心に在って、無数の星々に護られているのだ。
ファルネリアに近づくということは、星の海に飛び込むということであり、全周囲から殺到する星々を相手にしなければならないということでもあった。
シーラは、つぎつぎと襲いかかってくる星々を、切断、貫通、破砕の尾で迎撃しながら、考える。
守護障壁を展開し、強引に突っ切るのは、どうか。(駄目だ)
それでは、爆撃の的になるだけだ。
守護の尾にほかの尾の力を重ね合わせ、防御力を引き上げれば、星々の爆撃にも十分に耐えられるだろうが、それでは、星々の布陣を突破し、太陽の元へ辿り着くことはできないだろう。
星の数に限りがあるのであればともかく、そのような気配は一切なかった。
それどころか、増え続けているようですらある。
でなければ、星の海の景色に変化が生まれるはずだ。星の数が減っていないから、星の海は星の海のままなのだ。
茫漠たる闇にたゆたう無数の星々。
その中心に輝く太陽は、超然と、すべての頂点に君臨するもののように、そこに在る。
遠い。
あまりにも遠く感じるのは、この止まない爆撃のせいだ。
シーラは、現状、爆撃を凌ぐだけで精一杯といってよかった。
星々は、間断なく殺到し続けている。シーラが手を止めている暇はなく、ファルネリアに向かって移動しようにも、進路上を埋め尽くす爆発性の星々を処理するだけで手一杯なのだから、どうしようもない。
「先程までの威勢はどうしました? わたくしは、ここですよ?」
宇宙の中心から響いてくるファルネリアの声には、余裕があった。
シーラを策に嵌めて、喜んでいるのだろう。
「うるせえ!」
「元気だけは、まだまだあるようですね。ですが、それもこれまで」
ファルネリアはそういうと、太陽の杖を翳した。




