第三千四百六十三話 星の海、獣の刻(一)
窮地。
シーラは、窮地に立たされている。
星天の間における獅徒ファルネリアとの戦闘は、いまのところ、相手の有利に進んでおり、シーラは愛用の召喚武装にして生命線たるハートオブビーストを奪われた状態だった。
ファルネリアは、ハートオブビーストをこれ見よがしに掲げており、自分の勝利を疑ってもいないのだろう。こちらに降参さえ呼びかけてきていた。
それはそうだ、と、想わなくもない。
獅徒の圧倒的な力と、絶対的有利な現状を鑑みれば、シーラに打つ手などあろうはずもない。
シーラがファルネリアと対等以上に戦うには、どうしたところでハートオブビーストの力が必要なのだ。
ハートオブビーストがなければ、鍛え上げた人間でしかない。
たとえ、戦竜呼法によって身体能力を極限まで引き上げたとしても、獅徒には、到底及ぶものではないし、勝てる見込みなどあるはずもない。
戦竜呼法だけで打倒できる相手ならば、苦労などしないのだ。
(だったら、とっくに決着もついているさ)
シーラは、呼吸を整えながら、ハートオブビーストを見つめ、その柄を握る真っ白な手を睨み据えた。
「そう、降参ですよ」
ファルネリアは、穏やかな、それでいてどこか鋭い口調で告げてくると、掲げていた斧槍を下ろして、その切っ先をこちらに向けてきた。
「降参し、わたくしたちと共に道を歩むというのであれば、ネア・ガンディアにつくというのであれば、陛下も、無下にはなさらぬでしょう。なにせ、貴方はかつて、ガンディアの最高戦力に数えられていた方。新生ガンディアに帰参することを喜びこそすれ、拒絶されることはないはずです」
「どうだかな」
シーラには、ファルネリアのその発言には、納得できないものがあった。
「セツナは……セツナは獅子神皇がレオンガンド陛下そのひとだといっていた。死んだはずのレオンガンド陛下の成れの果てだとな」
だから、セツナは、苦しんでいた。
心の底から忠誠を誓い、拠り所としてきたはずの主君と敵対することになったのだ。その心中たるや、想像するに余りある。
「俺には、そうは想えねえよ」
「どうして?」
「本物のレオンガンド陛下なら、こんな風にはならなかったはずだ」
「……それは、買い被りというものか、あるいは、貴方が陛下の在り様を正しく認識していなかった、ということではないのですか?」
「……そうかもな」
否定はしない。
シーラよりもセツナのほうがレオンガンドに長く仕えていた上、側にいた時間も遙かに多く、交わした言葉の数も違う。セツナのほうがレオンガンドを理解しているのは間違いないし、セツナが獅子神皇をレオンガンドと認識したのだって、そういうことだろう。
シーラの知らないレオンガンドを知っているからこそ、セツナは、獅子神皇とレオンガンドを同一人物だと判断した。そして、苦しみ抜いた。
だからといって、シーラまで獅子神皇をレオンガンド本人と認める必要はないはずだ。
獅子神皇の言動と、シーラの知っているレオンガンド・レイ=ガンディアの言動は、近いようでいて乖離している。
シーラには、そう想えてならない。
いや、それそのものは、セツナも認めることだ。獅子神皇は、本来のレオンガンドならば、決してやらないようなことをやっている。自国民すら平然と犠牲にするようなやり方をレオンガンドが望むはずもないのだ。
だからこそ、シーラは、獅子神皇がレオンガンドであるとは認めたくなかったし、疑ってもいた。
獅子神皇は、聖皇の力の器である、という。
であれば、レオンガンド本人というよりは、聖皇の力こそが、獅子神皇として君臨しているのではないか。
これまで、そういった事例を目の当たりにしてきている。
神が人間の肉体を依り代とし、その人間に成り代わっていた事例だ。
聖皇は、神ではない。が、神に等しいか、あるいは、神をも超越する存在といっても過言ではないのだという。
ならば、レオンガンドの亡骸を依り代とし、獅子神皇として活動しているのだとしても、なんら不思議ではないのではないか。
もっとも、そんなシーラの考えに問題点があるとすれば、それは聖皇の復活に相違なく、獅子神皇などと名乗る必要も意味もないということだ。
だから、シーラも断言できず、ここまで来てしまった。
「でも、俺は俺の直感を信じるよ」
「それが間違っていたら?」
「どうだっていいさ。敵は敵だ。斃すべき、な」
「……どうしたところで、降参はありえない、ということですか」
「そういうこった」
「残念です」
心の底から哀しむような口調で告げてきたファルネリアだったが、そのつぎの行動に容赦などなかった。無造作に左腕を掲げると、籠手を輝かせたのだ。
籠手から飛散したのは、ただの光ではない。
無数の光の棘が周囲にばら撒かれたのであり、シーラは、その瞬間、鋭い息吹きとともに跳躍した。飛び退いて爆撃範囲から逃れるのではなく、光の棘の直撃すら考慮の内に入れて、前へ進む。
なんとしてでもハートオブビーストを取り返さなければならないからだ。
ハートオブビーストがなければ、召喚武装がなければ、シーラにはファルネリアに対抗する手段がない。爆撃を逃れるために距離を離せば離すだけ、ただでさえ不利な状況がより悪化するだけなのだ。一方的に嬲られて殺されるだろう。
それならばいっそのこと、たとえ光の棘が直撃し、体の一部が吹き飛ばされようとも、ファルネリアとの間合いを詰めるべきだった。
爆音が轟けば、意識が吹き飛びそうになるほどの痛みが右肩から走った。右腕の付け根に光の棘が刺さり、爆発したのだ。
幸い、右腕が吹き飛ぶだけで済んでいる。
そう、ほかの部位は無事なのだ。爆撃音の嵐が周囲に鳴り響く中、熱衝撃が爆風とともに吹き荒ぶ中、シーラは、ファルネリアの懐に飛び込んでいる。
さすがのファルネリアも想定外の事態だったのか、ハートオブビーストの切っ先をこちらに向けたまま、茫然としていた。
だから、シーラは、左手でその柄を握り締めることができたのであり、その瞬間、ハートオブビーストの能力を発動させた。触媒たる血は、大量にある。
「執念だけは素晴らしいものがありますが、しかし」
「しかし、なんだよ!」
シーラは、ファルネリアがハートオブビーストを手にしたまま、飛び離れようとするのを見逃さなかったし、そのために左の籠手を輝かせたのも見ていた。閃光とともに光の棘が拡散すると、つぎの瞬間、爆撃の連鎖が巻き起こった。
爆発に次ぐ爆発の連鎖は、シーラの聴覚を狂わせるかのようであり、実際、多少なりとも狂った可能性があった。
が、そんなものはどうとでもなるはずだ。
なぜならば、吹き飛ばされたはずの右腕さえ、いまや元通りなのだから。
シーラは、九つの尾で全身を包み込んだことで、光の棘による爆撃から身を守り、その上で失った右腕を復元して見せたのであり、また同時にファルネリアの手からハートオブビーストを奪還したのだった。
戦闘は、振り出しに戻った。
(いいや、違うな)
彼女は、獰猛な笑みを浮かべると、尾による防御を解除した。




