第三千四百六十二話 幕間(二)
「しっかしまあ、なんだ……」
エリルアルムが、ソウルオブバードを見つめていると、エスクがなにやらいいにくそうな様子を見せたため、彼女は、彼を見遣った。エスクの視線は、エリルアルムに刺さっている。
「なんだ? まだなにかいいたいことでもあるのか?」
「エリルアルムさんが可愛すぎて見惚れてるんですよ、きっと」
などと、執り成すようにいってきたのはエリナだが、そういう発言をしてくるところを見ると、彼女にはそう見えているのかもしれない。
元より、エトセア王家の人間だ。容姿に関して褒めそやされるのには慣れているし、自分の外見が人並み以上に優れているものであるという自覚はあった。王女という身分もあり、彼女に言い寄ろうとする男など皆無ではあったが、それは致し方のないことだったし、彼女にとってはむしろ好都合だった。
戦場に身を置くことにこそ己の価値を見出していたのだ。容姿に引き寄せられる男の相手になど、時間を費やしたくはなかった。
とはいえ、同性であるエリナの素直な感想が嬉しくないわけでもなかった。
およそ十年分、若返ったのだ。
エリルアルムが別人に見えるほど、外見に変化があるのは当然だった。それは、光の鏡に映る自分の姿を見たことで、彼女自身が理解したことでもあった。
いまから約十年前の自分。
そのころにはとっくに剣を手に取り、戦場に立ってはいたし、日々の鍛錬を欠かさなかったものの、やはり、十年後の自分とは大きく異なっていた。体格だけでなく、顔つきからして違う。十年前の自分は、まだしも柔和さが残っている、そんな気がした。
「見惚れる? 俺が? エリルアルム殿に?」
エスクが素っ頓狂な声を上げれば、エリナがあたふたと彼とエリルアルムを交互に見た。エリナとしては、エリルアルムに気を遣ったつもりだったのだろうが、エスクにはまったく通用しなかったのだろう。
「まさかまさか、そんなことは天地がひっくり返ってもありえないぜ」
「そこまでいうか」
「俺には心に決めた女がいるんでね」
「……そういうことか」
しれっとした顔で惚気てくるエスクには、エリルアルムもなんとも言い様がなかったし、エリナも絶句していた。ラグナはどうでもよさそうな様子で、トワは小首を傾げている。話についてこられていないのだろう。
「俺は、単純に、一番心配したエリルアルム殿が無事に勝って、生き残れたことについて話そうとしていただけさ」
「一番心配……か」
彼の意見を反芻するようにつぶやくも、当然のことだと自嘲する。
突入組でもっとも戦闘能力がないと断言できるのは、エイン=ラナディースだが、彼にはマユリ神がついているため、獅子神皇に遭遇するようなことでもなければ心配する必要はなかった。マユリ神は、有象無象の神よりも大きな力を持っているのだ。そこにエインの知能が加われば、生半可なことでは負けるわけもない。
つぎに危ういのは、エリナだろう。世界最高峰の武装召喚師であるミリュウに師事し、その師匠やファリアら武装召喚師によって、武装召喚師としての天性の才能を持っていることが認められているとはいえ、武装召喚術を学び始めて数年余りに過ぎず、肉体的にも出来上がっているわけではないのだ。
召喚武装フォースフェザーの能力は、味方を支援することに特化しているといってよく、エリナ自身が戦うことは不得手としていた。
とはいえ、エリナは、エリルアルムよりも先にエスクと合流しており、故に彼女は心配する対象から除外されていたのだろう。
残る人員から考えれば、最も不安なのは、エリルアルムにならざるを得ない。
そして、はたと気づく。
「ということは、ほかの皆も同じように戦っている、ということか」
「そうじゃ。セツナもファリアも、皆、それぞれ別の空間に隔絶され、そこで戦っておる」
「それを知ったのは、あれのおかげなんだがな」
「あれ……か」
エスクが一瞥したのは、桜色の異形の存在だ。
敵意もなく、悪意もなく、ただそこに立っているだけのそれは、エスクの視線の意図を察したかのように細い腕を頭上に掲げた。
なにをするのかと思いきや、しなやかな手の先に光が走り、周囲に拡散していった。エリルアルムたちの周囲に飛び散った光は、まるで映写光幕のように外の世界の様子を映しだしており、エスクたちのいうようにセツナたちが個々に激戦を繰り広げている光景を見ることができた。
セツナ、ファリア、ミリュウ、レム、シーラ、ウルク、エインとマユリ神、それにナルンニルノル周辺で行われている大戦争の様子が、はっきりと見て取れる。いずれの戦いも死闘といってよく、だれもが必死の形相で戦っていた。
「……なるほど。こうしてわたしの様子も確認したというわけか」
「そういうことじゃな。じゃから、すぐにでも加勢しにいきたかったんじゃが……」
「できなかった、と」
「そうじゃ。わしの力を以てしても、この隔離領域間を移動することは敵わなんだ」
ラグナが無念そうにいうのを聞いて、エリルアルムも落胆せざるを得なかった。エリルアルムの戦いは終わり、消耗は、トワのおかげで回復したのだ。いつでも戦いに行ける状態だった。だったら、いま現在死闘を演じている突入組のだれかの加勢をしたいと考えるのが普通だろう。
「こうしてわしらが合流できたのはあやつのおかげじゃが、あやつにどれだけいったところで、わしらを戦闘中の隔離領域に連れて行ってはくれぬ。そのことから導き出される結論はひとつ、じゃな」
「ひとつ?」
「隔離領域は、それぞれ獅徒なり神将なりが司っておる。その領域の主が斃れぬ限り、あやつですら自由に出入りできぬ、ということじゃ」
「なるほど」
ラグナの結論は、仮説といったほうが正しいのだろうが、その仮説には信憑性があった。桜色の異形は、どうやら突入組の合流を手助けしてくれているようなのだ。その事実から、それがこちらの味方であると仮定した場合、戦闘中のいずれかの味方が有利に運ぶようにと、戦場に転送してくれてもいいはずだ。しかし、それをしないということは、それができない、と考えるべきだろう。
ラグナのいったように、それぞれの隔離領域“間”の主たる獅徒、あるいは神将を討ち斃さなければ、どうにもならないということだ。
「ちなみに、じゃが……」
態度も改めて、ラグナが口を開いた。当然、エリルアルムは、彼女に視線を向けざるを得ない。
「ん?」
「一番最初に獅徒を斃したのは、わしらじゃからな!」
なによりも力強く断言し、胸を張るラグナは、いつになく誇らしげだ。
「ら?」
「ラグナちゃんと、わたしと、トワちゃんの三人で戦って、斃したんです!」
「トワ、活躍したよ」
「そ、そうか……」
身を乗り出して興奮気味に語るエリナと、そんな彼女の真似をするトワにやや圧倒されながら、エリルアルムは、どう反応するべきか迷った。
「うむ。特にエリナの頑張りは、後世に伝えねばならぬほどのものじゃったぞ!」
「そ、そうかな……!?」
「うん、トワもそう想うよ」
「ほう……それほどのものならば、聞かせてもらいたいものだが」
「すべてが終わった後で、ゆっくりと、ですな」
「ああ」
戦況が、動いている。
特に、ウルク、シーラ、レムの戦場に変化が起きており、それぞれに決着がつきそうな気配があった。




