第三千四百六十一話 幕間(一)
「ま、聞いても答えてくれやしないがの」
ラグナがなにもかも諦めたかのように嘆息したのは、その桜色の異形を見遣りながらだった。
それは、神人や使徒のような異形の存在でありながら、それらとは一線を画すなにかを持っているように見えた。どこか女性的な姿態には神々しさのほか、流麗さや優美さを感じずにはいられない。
元は、人間だったのだろう。神人や使徒のように、人間が神威を浴びて変容した成れの果てなのだ。そして、ネア・ガンディアと関わりを持っているものであることに間違いはあるまい。
でなければ、ナルンニルノル内にいられるはずはないのだ。
だとすれば、敵だと断じるべきなのだが、そのものから敵意を感じることはできなかったし、ラグナたちの様子を見る限り、警戒する必要すらなさそうに思えた。
「困っちゃうよね、なにも教えてくれないの」
「しかしまあ……俺たちに害意はないようだし」
「うむ。放っておくしかないのう」
「……つまり、聞いても無駄だということか」
「そういうこと」
「……そうか」
エスクを一睨みして、嘆息する。
結局、エスクたちがここに現れた理由は一切わからないのだ。
もちろん、どうやらそれぞれに戦いを終えたらしい皆と合流できたことは喜ぶべきだったし、トワのおかげで回復できたことも素直に感謝したいところではあるのだが。
桜色の異形の存在は、沈黙を保ち続けている。
ふと、視線に気づく。
「しっかし……なんですな」
「なんだ?」
エリルアルムは、エスクたち四人の視線が自分に集中していることを察して、訝しんだ。合流直後に視線が集まるのはわからないではないが、それからこっち、ずっと見つめられ続けているというのは、どうにも腑に落ちない。
「随分、雰囲気が変わったものじゃなあ」
「雰囲気?」
「うんうん! 別人みたいだよ!」
ラグナとエリナの反応は、エリルアルムの予期せぬものだったし、理解しがたいものだった。雰囲気が変わっただの、別人みたいだの、なにがなんだかよくわからない。
「わしらはおぬしが変わる様を見ていたからいいものの、セツナやファリアたちには別人と想われるかもしれぬぞ」
「……なにをいっているんだ?」
エリルアルムには、ラグナの発言の意図が皆目見当もつかない。
変わる様を見ていた、とはどういうことか。セツナたちには別人と想われるかもしれない、とは。
「ほれ、自分の姿をよおく見るがよいぞ」
ラグナは、どこか悪戯っぽく笑うと、虚空に手を翳した。すると、彼女の手の先に光が集まり、板状に固まっていく。エリルアルムの身の丈ほどもある光の板は、おそらくラグナの竜語魔法によるものだろう。
その光の板は、どうやら魔法で作り出した鏡であるらしく、光の板の表面には、覗き込んだエリルアルムの姿やラグナたちの姿が映し出されていた。ただし、エリルアルムは、自分の姿を見て、驚愕せざるを得なかったのだが。
「これは……いったい……!?」
エリルアルムが、魔法の鏡に映る自分の姿を見て、一瞬、頭の中が真っ白になるほどの衝撃を受けるのも当然だった。
魔法の鏡に映し出されていたのは、いま現在のエリルアルムではなく、過去のエリルアルムだったからだ。では、魔法の鏡が過去を映し出すものなのかといえば、エスクやエリナを見れば、そうではないということがわかるため、いよいよ、彼女の頭の中は混乱を極める。
どうして、自分の姿だけがおよそ十年も昔のものなのか。
ラグナが、エリルアルムを驚かせるため、そのような魔法を使った、とは、考えられなかった。いくら悪戯好きのラグナでも、このような状況下でそんなことをする道理がなかった。
平時ならばまだしも、いまは、ナルンニルノルの中だ。最終決戦の真っ只中なのだ。ラグナとはいえ、そんなことをするとはまったく考えられない。
であれば、魔法の鏡に映し出されたエリルアルムの姿は、いまの自分の姿ということになる。
本来であれば、三十代とはいうものの、そうとは思えない程度の若々しさを保っていると褒めそやされる姿であるはずだ。それは、彼女にとっても、自信に満ちた姿でもあったのだが、いま、鏡の中にいる自分は、少なくとも十歳以上若返っていた。
やはり、若々しいといわれていても、三十代の姿と、ぎりぎり二十代か十代後半と見受けられる姿では、瑞々しさがまるで違った。肌のつやが違えば、張りも違うし、なにより、体格そのものが変わっていた。
長年鍛え上げられた三十代の肉体よりも、二十歳前後の肉体のほうが華奢になるのは当然のことといえば当然のことなのだが、しかし、まるで別人のようだ。
「どういうことだ……いったい、なにが……?」
「わしにも実際のところはなにが起きたのかはわからんがの。推測することはできるぞ」
「教えてくれないか?」
「うむ。ならば教えて進ぜよう」
勿体ぶるようにして、ラグナはうなずいた。
「簡単にいうとじゃな、ソウルオブバードの能力の影響じゃ」
「ソウルオブバードの……?」
「そうじゃ。わしらは、あやつの力でおぬしの戦いぶりを見守っておったのじゃが、その中で、おぬしがソウルオブバードの力で復活する様を目の当たりにした」
「……それがソウルオブバードの能力だからな」
そして、それは命の時間を対価として差し出す能力だった。命の時間を炎と燃やし、肉体を再生し、死を乗り越える能力。
不死鳥の翼。
「そして、おぬしは若返った」
「……まるで意味がわからないな。あの能力は、不死鳥の翼は、命の時間を差し出して発動する能力だ。だから理不尽にも死の運命をねじ曲げ、生を得ることができたのだ」
「だからじゃ」
「え?」
「エリルアルム。どうやらおぬしは命の時間を差し出すということの意味を履き違えておったのじゃろうな。おぬしは、寿命を差し出すものと考えておったのではないか?」
「あ、ああ……ほかに考えようがないからな」
「じゃが、実際にはそうではなかった。おぬしがソウルオブバードに差し出したのは、確かに命の時間じゃが、未来の時間ではなく、過去の時間じゃったのじゃ」
「過去の時間……」
「じゃから、おぬしは若返った。これまで生きてきた時間を差し出したのじゃから、そうなるのも必然じゃな」
「これまで生きてきた時間……」
エリルアルムは、ラグナの導き出した答えを反芻しながら、愕然とする想いだった。
確かに、それならばいまの姿にも納得がいくというものだ。
エリルアルムは、ラグナのいったように能力発動の対価としての命の時間とは、寿命のことだと想っていた。寿命を消耗することで、未来を前借りすることで、死を帳消しにして復活する能力だと、把握していたのだ。
だが、しかし、実際にはそうではなく、過去の時間、これまで生きてきた時間を対価として差し出していたらしい。
だから、エリルアルムは、十歳以上若返ってしまった。
「ただ若返るだけって、死をなかったことにする能力の対価としては、安すぎないか?」
エスクの疑問ももっともだったが、ラグナは、そんな彼を横目に見て、鼻で笑った。
「だれもが簡単に使えるならばな。じゃが、実際にはそういうわけにはいかんじゃろう。ソウルオブバードに認められ、身も心も一体とならねば、その力を発動することはできんはずじゃ」
それはつまり、エリルアルムがソウルオブバードに認められたということでもある。
「それに、じゃ。寿命を消耗するというのであれば、二十年分、三十年分消耗することもできようが、これまでの時間となればそうもいくまい」
ラグナが、エリルアルムに視線を移す。
「たとえば、エリルアルム。おぬしがいまの状態から、先程と同じように十年分を消耗した場合、どうなると想う?」
「……使い物にならなくなるだろうな」
失われるのは肉体が積み重ねてきた時間だけのようであり、記憶が失われるようなことはなかったが、だからといって、十歳前後に若返った自分が獅徒のような強敵相手に戦えるとはとても考えられなかった。
つまり、不死鳥の翼には、もう頼れないかもしれない、ということだ。




