第三千四百六十話 乱れ舞い、狂い咲く(七)
イデルヴェインは、壁のように展開した飛翔剣でもエリルアルムを抑えられないと知ったのか、つぎの手を打ったようだった。
それは、剣の華だ。
エリルアルムの進路上に存在するすべての飛翔剣を開花させたのだ。
無数の飛翔剣、その一本一本から白銀の花弁が花開くように数多の刃が拡散し、伸びていく。
百花繚乱とはまさにこのことかもしれない、などと思えたのは、エリルアルムには関係のないことだったからだ。
もはや、どうでもいいことだ。
剣の華がどれだけ狂い咲こうとも、どれだけ視界を埋め尽くし、どれだけ戦場を染め上げようとも、彼女にはなんの関係もない。
剣の華と華が干渉し合うほどに伸びきった無数の刃も、炎と化したエリルアルムの足止めにはならない。人体に戻れば切り刻まれることだろうが、戻る必要がない以上、そうなることはありえないのだ。
剣の華から剣の華が咲く。
そのようにしてエリルアルムの進路上に展開し、追い縋り、妨害しようとするのだが、それでも、不死鳥そのものと化した彼女を止めることはできない。
そして、もはや残り一本だけとなった飛翔剣に追い着けば、その飛翔剣の元へ、無数の飛翔剣が集合しようとした。
エリルアルムは、待たない。
即座に元の姿に戻ると、ソウルオブバードの切っ先をイデルヴェインの“核”たる飛翔剣に叩きつけた。不死鳥の翼によって限界まで引き出された力は、いままでエリルアルムが発揮したどんな力よりも強大であり、イデルヴェインの“核”を、唯一無二の飛翔剣を打ち砕いて見せた。
ソウルオブバードが突き破ったのは、飛翔剣の鍔だ。刀身と柄に分かれ、落ちていく。力を失ったのか、それとも、別な理由があるのか。
すると、落下中の“核”の元へ無数の飛翔剣が集まっていき、イデルヴェインが本来の姿を取り戻していく。
(斃せなかった……?)
エリルアルムは、眼下、元通りに戻ったイデルヴェインの様子を見て、訝しんだ。確かに“核”を破壊したはずだ。真っ二つどころではなく、ばらばらにしたのだ。
獅徒が“核”から供給される獅子神皇の力を、原動力としている以上、“核”を破壊すればそれで終わりのはずだ。
それとも、あれが“核”ではなかったというのだろうか。
その可能性も捨てきれず、エリルアルムは、警戒しながら獅徒の様子を窺っていた。
イデルヴェインは、狂い咲く剣の華の真っ只中をゆっくりと降下しており、地上に向かっているようだった。
空から大地を埋め尽くす白銀の花々。まばゆい光を帯びたそれらは、一見すれば、殺意に満ちた剣の群れであることを忘れさせるほどに美しく、神々しくもある。
ふと気づけば、それら花弁が散り始めていた。
(これは……)
剣の華が散っていく。
ゆっくりと、確実に、その数を減らしていく。
エリルアルムは、眼下を見遣った。
イデルヴェインがこちらを仰ぎ見ていた。
まるで、エリルアルムが降りてくるのを待ち侘びているような、そんな風だった。
そこには敵意も殺意もなく、だから、エリルアルムも地上に降りたのだ。
舞い散る花弁のあざやかさは、地上で舞っていたイデルヴェインの美貌を際立たせるようだった。“真聖体”ではないイデルヴェインは、やはり、美しい女性なのだ。
「わたしの負けだ」
イデルヴェインの第一声が、それだった。心の底からの敗北宣言。
よく見れば、彼女の体は、崩壊が始まっていた。顔こそしっかりしているものの、指先から崩れ始めており、やがて完全に消滅するに違いない。
“核”の破壊に成功していた、ということだ。
「騎士公殿……いや、エリルアルム殿。最期に貴方と戦えて、よかった。貴方だからこそ、わたしは満足して死ねる」
「満足……か」
「……いいや、違うな」
イデルヴェインは、頭を振った。その間にも、肉体の崩壊は進んでいる。加速度的といってもいい。
「あのひとの力になれなかった。それが、少し、悔しいな」
それこそが彼女の本音だったのだろう。その表情には、強い後悔が滲んでいた。
「せめて、貴方は後悔しないことを願おう」
「ああ、わたしもそうありたいと想っている」
「それは、よかった――」
そして、イデルヴェインの姿は完全に消滅した。塵ひとつ残さず、なにもかも消えて失せる。獅徒となれば――いや、神の徒となれば、死んでもなにも残らないのだ。
虚しさだけが、残る。
(敵なのにな)
エリルアルムは、妙な感傷に耽っている自分に気づき、なんともいえない表情になった。
(しかし……敵とはいえ、だ)
気持ちは、同じだった。
似たもの同士といっていい。
愛する男の力になりたい、ただその一心で力を求め、磨き、鍛え上げてきた者同士だった。
イデルヴェインはそのために獅徒となり、エリルアルムは、そのために召喚武装使いとなった。
選んだ道こそ違えど、目指す道は同じだったのだ。
そして、エリルアルムが勝った。
(勝てたのは、貴方のおかげだ)
エリルアルムは、ソウルオブバードを見つめ、心の底から感謝した。
ソウルオブバードの能力に頼り切りの戦いだった。ソウルオブバードがなければ、エリルアルムが負けていたのは間違いない。ソウルオブバードあってこその勝利であり、生存なのだ。
感謝しかない。
無論、ソウルオブバードの最秘奥たる不死鳥の翼を発動させることができたのは、エリルアルムの日々の研鑽と修練の賜物であり、だれもが一朝一夕に使えるものではない。たとえ、優れた武装召喚師であったとしても、そう簡単に扱えるものではないだろう。
召喚武装には、意識がある。異世界の生命体であり、感情を、心を持っているのだ。心を通わせ合い、理解し合い、信頼し合わなければ、その力を使いこなすことなどできるはずもない。
つまり、エリルアルムは、ソウルオブバードにそれだけ信頼された、ということがいえるのだろうか。
そこまで考えて、能力を解除する。不死鳥の翼は、命の時間を消耗する能力だ。常に発動し続けるには、あまりにも危うい。全身を灼いていた炎が消え去り、体温も正常化していく。あらゆる感覚もだ。
すると、急に目の前が真っ暗になり、立っていられなくなった。能力を解除したことによって、この戦闘での反動が出たのだろう。
その場に崩れ落ちるようにして膝を突く。
と。
不意に体が軽くなって、彼女は、怪訝な顔をした。顔を上げると、そこには可憐な少女が立っていて、こちらに手を翳していた。
「トワ殿……?」
そう、目の前に立ち、こちらに小さな手を向けていたのは、セツナを兄と慕う少女トワだったのだ。そして、それだけで納得する。
なぜ体が軽くなったのかについて、だ。
トワは、女神だ。女神の御業をもってすれば、エリルアルムの肉体的な疲労など、容易く回復できてしまうに違いない。
しかし、だとしても、疑問は残る。
トワがなぜ、ここにいるのか、ということだ。
「わしらもいるぞー」
「エリルアルムさん、だいじょうぶ?」
「心配したんだぜ、そりゃあもう」
近づいてくる声に目を向ければ、見慣れた顔触れがこちらに歩み寄ってくるところだった。竜人態のラグナにエリナ、エスクの三人だ。
「ラグナ殿にエリナ殿、エスクも……どうやってここに?」
「それはあいつに聞いてくれ」
「あいつ……?」
エスクの視線の先には、美しい桜色の何者かが佇んでいた。




