第三千四百五十九話 乱れ舞い、狂い咲く(六)
「……まったく、うるさいものだ」
イデルヴェインの冷ややかな声は、むしろ、エリルアルムの頭の中の混乱を静めるのに一役買った。
「孫だのなんだの、貴方が死ねば、それで終わりだというのに」
その一言が、決定的だった。
(聞こえているのか……?)
それはつまり、エリルアルムの脳内に響く幻聴などではない、ということだ。
現実に、この隔絶された領域に響き渡っている。
エリルアルムは、絶叫した。
咲き乱れる剣の華が、エリルアルムの全身を徹底的に切り裂いていく。切り刻み、突き破り、打ち砕き、吹き飛ばし、まったく原型を留めないほどに苛烈な攻撃を叩き込んでいく。
その痛みは、炎に灼かれる痛みに似ていた。
いや、違う。
ソウルオブバードの生み出した炎の翼、その紅蓮の猛火がもたらす熱と痛みが、全身を貫く激痛をも上書きし、焼き尽くしているのだ。
なにもかもが炎と燃え、尽きていく。
身も心も、命までも。
イデルヴェインの周囲に狂い咲いた満開の剣の華は、血と炎の赤に染まった一部以外は、白銀の光を帯び、美しく輝いていた。
「こんな風に」
イデルヴェインが名残惜しそうにつぶやいたのは、その視線の先にいたはずのエリルアルムが消滅していたからだ。
虚空に一切の隙間を残さないほどに咲き乱れる剣の華の前では、人間の肉体など、跡形もなく消え去るしかない。
残っているのは、ソウルオブバードだけだ。
「少し、残念だ」
イデルヴェインが虚空に手を伸ばすと、剣の華に絡め取られていたソウルオブバードが空中に弾き出され、その手の内に収まった。剣の華は、元々、飛翔剣なのだ。イデルヴェインの意思ひとつで自由自在に動くのも当然といえる。
火の粉が、舞った。
ソウルオブバードが纏っていた炎の、わずかな残り火。もはや風が吹けば消えてしまいそうなほどに頼りなく、すぐにでもなくなってしまいそうなほどにか弱い、炎。
しかし、そのわずかばかりの炎だけでよかった。
「ソウルオブバード。騎士公殿の形見として、もらい受けるとしよう」
感慨深げに手にしたソウルオブバードを見つめるイデルヴェインだったが、その穂先に残る火に違和感を覚えたりはしなかったようだ。
それはつまり、未だ召喚武装の能力が発動しているという事実に気づきもしなかった、ということだ。
エリルアルムは、炎に焼き尽くされた肉体が再生の炎によって再構築されていくのを感じていた。それも一瞬の出来事であり、だからこそ、イデルヴェインの隙を突くことができたのだ。
紅蓮の炎を纏う左手でもって、イデルヴェインの細い首を締め、右手はソウルオブバードを握り、獅徒の手から奪い取る。それができたのは、イデルヴェインが一瞬でも驚愕してくれたからだ。
イデルヴェインにとって、予想外のことが起きている。
「それをいうのは、わたしを殺してから、だろう」
エリルアルムは、完全に再生を果たすと、イデルヴェインの愕然とした目を見つめた。獅徒は、現状をまったく想像していなかったのだろう。その目には驚きが溢れ、混乱が生じていた。ただし、それも数秒のことに過ぎない。
すぐさま冷静さを取り戻すと、エリルアルムの左腕を握り潰し、拘束を解いて見せた。
「わたしは生きているよ。こうして、ね」
「……だが、状況に変わりはないぞ」
「いいや、変わっている」
エリルアルムは、握り潰され、骨まで砕けた左腕を再生の炎の力で元通りにしてみせると、距離を取ろうとするイデルヴェインに追い縋った。
全身を内側から熱しているのは、再生の炎だ。
ソウルオブバードの能力のひとつにして、最秘奥とでもいうべき不死鳥の翼、その力がエリルアルムの全身に宿っている。命を炎とし、炎を命とするその力があればこそ、エリルアルムは、死の運命をねじ曲げ、乗り越えることができたのだ。
そして、再生の炎が、不死鳥の翼の炎が燃え続ける限り、エリルアルムが死ぬことはない。
「変わっているのだ。なにもかもな」
「いいや、変わっていないぞ、騎士公殿」
イデルヴェインがこちらに向いたまま、後退したのは、エリルアルムの気を引くためだったのだろう。つぎの瞬間、背後から殺到した無数の刃が、エリルアルムの全身を貫いた。
今度は、痛みを感じた。
普通ならば即死してもおかしくないほどの激痛の中で、それでも、エリルアルムは生きている。体中に生えた不死鳥の翼が、その炎が、死を超克し、生に執着させる。
「まだ、生きるか。だが、それでどうなるものでもあるまい? どれだけ生きようと、わたしに刃が届くことはないのだ」
「届く……届かせる!」
エリルアルムは、叫び、不死鳥の翼を燃え上がらせた。背中のみならず、体中のどこにも生えた紅蓮の翼が、全身を真っ赤に灼いた。肉体そのものが炎と変わり、爆発的な火炎の渦となって、剣の華の拘束を抜け、イデルヴェインに殺到する。
「無駄な足掻きだ」
イデルヴェインは、剣の華の中から二本の飛翔剣を呼び寄せると、その両手にそれぞれ一本ずつ、手に取った。そして、剣に力を込めたのだろう。剣の形状が大きく変化し、二本の長大な剣となった。
イデルヴェインの二本の剣は、まばゆい銀光を発しており、彼女に殺到する紅蓮の炎を切り裂き、吹き飛ばした。炎をも灼き尽くす銀の光。神威の光。獅徒の圧倒的な力は、不死鳥の炎など意に介するものではない、とでもいうのだろう。
だが、そんなことは、エリルアルムには関係がなかった。
イデルヴェインに襲いかかった炎の渦のほとんどすべてが消し飛ばされてもなお、エリルアルムの意識は生きていた。火の粉が残っていたからだ。火の粉ひとつありさえすれば、不死鳥は蘇る。何度でもだ。
そして、エリルアルムは、イデルヴェインの背後を取った。
獅徒が反応するよりも早く、その背にソウルオブバードを突き刺せば、イデルヴェインが嘲笑うように肉体を分化させる。無数の飛翔剣となり、散り散りになっていったのだ。
しかし、それもわかりきったことだった。
エリルアルムは、飛び去っていく無数の飛翔剣のうちの一本に目をつけると、最大速度で追いかけた。命を燃やし、不死鳥の翼の力を限界まで引き出す。
それこそ、命懸けだ。
不死鳥の翼は、命の時間を消耗する。
命の時間がある限り、何度でも蘇り、いくらでも力を引き出すことができるが、命の時間が尽きれば、その加護も恩恵も得られなくなる。
そうなれば、燃えて尽きて死ぬことになる。
故に、エリルアルムは、いま、この瞬間にイデルヴェインを仕留めなければならなかった。
そのとき、分散したはずの飛翔剣の数々が、剣の華と化していた飛翔剣とともにエリルアルムに襲いかかってきた。膨大な数の飛翔剣による集中攻撃。
それがなにを意味するのかといえば、エリルアルムの考えが正しいということだ。
彼女が狙いをつけた飛翔剣こそ、イデルヴェインの“核”であり、心臓なのだ。
エリルアルムは、間隙すら見当たらない飛翔剣の壁を避けようともしなかった。ただし、激突もしない。直撃の瞬間、全身を炎に転化させることで、強引に通過したのだ。
炎を貫かれても、痛くもかゆくもない。




