第三百四十五話 研究成果
「聞いたかね。ガンディア軍が動き出したそうだ。どうやら諦めきれないらしいな」
「それはそうだろう」
わかっていたとでもいわんばかりの相手の反応に、オリアンは苦笑でもって返すしかなかった。
龍府天輪宮泰霊殿地聖の間。
主天の間に比べれば質素な部屋であり、飾り気といったものとは無縁の空間は、いかにもミレルバス=ライバーンの好みらしい。会議のための円卓と、円卓を囲むいくつもの椅子。天井に吊るされたむき出しの魔晶石の光が、無機的な空間を照らしている。
人払いをしているのか、室内にはミレルバス=ライバーンと彼の腹心たちしかいなかった。ミレルバスの薫陶によって育て上げられた彼の半身たちは、国主と同じような表情で地聖の間を訪れた客人を見つめている。知った顔だが、彼らの多くはオリアンのことを快く思ってはいまい。
彼らの兄弟や親族の中には魔龍窟で命を落としたものも少なくはなかったし、彼らも魔龍窟に投げ入れられていたかもしれなかった。魔龍窟の総帥たるオリアンを嫌悪する権利は有り余るほどにある。憎悪を抱いていてもおかしくはない。
国のため、将来のため、などと謳ってみたところで、罪なき人々を過酷な環境に追いやり、殺し合いをさせた事実を覆すことなどできないのだ。臭いものに蓋をしたところで、その蓋の下の腐敗物が浄化されるはずもない。
外道の極みといってもいい。
それでもオリアンに後悔はなかったし、彼らがなにをどう思おうとも構いはしなかった。オリアンにはオリアンの道がある。その道を進むためには避けて通れぬこともあるのだ。そのための犠牲ならば、いくらでも払うつもりだった。
自分の家族であっても同じことだ。
彼の意志は揺るがない。
「ガンディア軍の目的は、ザルワーンの征服なのだろう? ならば、龍府を落とすまで諦めんよ」
「ドラゴンをどうする?」
「さあな。そこまではわからんさ。だが、ガンディアのことだ。なんらかの方策はあるのだろう」
だから軍を動かした。
性懲りもなく、龍府を目指し、その途上にあるヴリディアに向かって歩を進めている。ヴリディアには守護龍がいるというのに、だ。ガンディア軍の動きを察知したのも守護龍ならば、ガンディア軍を撃退するのも守護龍の役目だった。
もはや守護龍そのものと成り果てたあの男は、ガンディア軍が諦めないのなら壊滅させるまでだと息巻いている。圧倒的な力を誇る守護龍にかかれば、たかが数千の軍勢などたちどころに消し飛ぶに違いなかった。
いまのところ、ガンディア軍に勝ち目は見えない。
「買いかぶりすぎではないのか?」
「そうでもない。ガンディアの戦力を考えても見よ」
「ふむ……」
ガンディアがザルワーンに差し向けてきた軍勢というのは、ガンディアの総戦力にほかならないのだが、それだけではない。いや、むしろガンディア軍そのものは脅威ではなかった。
まず、精強で聞こえたログナーの戦力の大半を取り込み、主力に据えていた。ログナー兵とザルワーン兵では、ログナー兵に分があるといわれる。ザルワーン兵も弱いわけではないが、ログナー兵には質で負けるのだ。五年前、ザルワーンがログナーを降せたのは奇跡に近いと陰口を叩かれるほどだ。それでもガンディア兵よりは強いと聞くのだから、ガンディア兵の弱さは折り紙つきだといえる。
つぎに同盟戦力である。
ガンディアには二国の同盟国がある。ひとつはルシオン。ガンディア王レオンガンドの妹であり、当時王女であったリノンクレアがハルベルク王子の元に嫁いだことで、その結びつきは強固なものになったといわれている。
実際、ルシオンは度々ガンディアに援軍を寄越していたし、ガンディアも助力を惜しまなかったようだ。そのルシオンも強兵で知られている。中でも、王子妃みずから指揮を取る白聖騎士隊の評判は、ザルワーンにも聞こえている。
今回の戦いに、その白聖騎士隊が参戦しているのだ。
もうひとつは、ミオン。ガンディアの南東に位置する国で、現在の王が王位を継承できたのはガンディアの後押しがあったからであり、宰相マルス=バールはそのことに重きを置き、ガンディアのために尽力することを公言していた。ガンディア軍が戦いを起こすたびに援軍を送っており、今回も、ギルバート=ハーディ突撃将軍を参戦させていた。
さらに、ふたつの傭兵団が加わっている。ひとつは、《蒼き風》。シグルド=フォリアーを団長とする傭兵集団は、ひとりの剣士の存在によって名を知られている。“剣鬼”ルクス=ヴェインは、たったひとりで傭兵百人以上の価値があるといわれ、彼と魔剣グレイブストーンを前にして生き残ったものはいないという。
もうひとつは、《白き盾》。こちらは無敵の傭兵団として知らないものはいなかった。ログナーがバルサー要塞の奪取に成功した最大の要員である、武装召喚師クオン=カミヤが立ち上げた組織は、彼の召喚武装の恩恵を最大限に受け、どんな敵を相手にしても、決して傷付けられることはなかった。しかし、無敵であり、不敗なのは、《白き盾》という集団のみであり、彼らが参戦したからといって、必ずしも勝利を手にできるわけではないのは、これまでの戦績からわかるというものだ。
しかしながら、《白き盾》が強力な傭兵団であり、戦力であることは疑いようのない事実だ。
そして、王立親衛隊《獅子の尾》。ガンディア王レオンガンド直属の部隊であり、その戦闘力はガンディア軍の中で最大だろう。隊長はセツナ・ゼノン=カミヤ。黒き矛の武装召喚師であり、ガンディア軍に多大な勝利と栄光をもたらしてきた人物だ。
彼は、このザルワーンにおいても猛威を振るっている。ナグラシアを制圧し、難攻不落のバハンダールを陥落せしめ、ミリュウたち魔龍窟の武装召喚師を撃破した。圧倒的な戦果は、ガンディアの軍人たちですら想像できなかったに違いない。
それらが、ガンディア軍の主だった戦力であり、ヴリディア南方に集った軍勢の全体像だった。
「確かに。確かに恐ろしい戦力だな。これだけの戦力があれば、小国家群の勢力図はたやすく塗り替わろう」
「ザルワーンも飲まれるか」
「そうだな……守護龍がなければ、飲まれていたに違いない」
ミレルバスの戯言を肯定して、彼は口の端を歪めた。ミレルバスは眉間に皺を寄せているが、オリアンの冗談が通じなかったわけではあるまい。いや、必ずしも冗談では済まされない話でもあるのだが。
実際、オリアンがいった通りではあったのだ。
守護龍の召喚に成功しなければ、いまごろ五方防護陣は突破され、ガンディア軍は龍府に肉薄していたに違いない。龍牙軍の戦力では、ガンディアの大戦力に太刀打ちできるはずがなかった。
例え砦に籠もったとしても、龍府から援軍を出せない以上、敗北は目に見えている。援軍の期待できない籠城に意味はないのだ。
龍眼軍を援軍として各砦に差し向けることは可能だった。しかし、そのためには、総勢二千人足らずの龍眼軍を三つの部隊にわけなくてはならなかった。
ガンディア軍はビューネル、ヴリディア、ファブルネイアの砦に同時攻撃を行ったのだ。ひとつの砦を守り抜いたところで、ほかの二箇所が突破されれば無駄に終わる。しかもだ。龍眼軍を差し向ければ、龍府の戦力は皆無に等しくなる。ミレルバスとオリアンだけで数千の敵兵を撃退することはできない。
また、龍眼軍を三つに分けたとしても、同じことだ。七百人に満たない戦力を援軍に送ったところで、焼け石に水でしかない。蹴散らされて終わりだ。そして、龍府はあっという間に制圧されたに違いない。
守護龍の召喚には相応の代価が必要だったが、何千何万の命を犠牲にしただけの価値はあったのだ。少なくとも、ガンディア軍は龍府を目前に足踏みする結果となった。もっとも、彼らが龍府への攻撃を諦めなかったのは、オリアンとしては計算外の部分もあったが。
甚大な損害を被らなければ、彼らは歩みを止めることはできないのだろう。それも数千人規模の損害でなければならない。たかが何百人の兵を失おうとも、確固たる勝利を手にするまでは、引き返すことなどできないのだ。
そのような選択肢は端から存在しないのだ。
彼らは侵略戦争を起こした。正義を語り、大義を掲げていようと、その事実を覆すことはできない。ガンディア軍の行っていることは侵略以外のなにものでもないのだが、実のところ、オリアンにとってはそんなことはどうだっていい。ミレルバスであっても、そんなことを問題にはしないだろう。
ワーグラーンの中央一帯が、大陸小国家群と呼ばれて久しい。
大小無数の国々がせめぎ合い、領土や資源の権利を主張しあえば、小競り合いが戦争に発展するのは必然だったし、多くの国々はそうやって歴史を積み重ねてきた。
ザルワーンも同じだ。ザルワーンは遥か昔、龍府とその周辺の領土しか持たなかった、国ともいえないような小さな存在だったのだ。周囲の豪族を武威によって従え、村々を制圧し、国としての体をなしていった。
龍による建国伝説は、その過程で作られていったらしい。五竜氏族の支配の正当性を裏付けるためのものに過ぎないのだ。何百年も立てば、虚構は真実となり、伝説となってひとびとの胸に息づくようになった。国民の多くはザルワーンの建国神話を信じたし、神を崇めるヴァシュタリアを毛嫌いした。
そうなのだ。
大陸小国家群において、侵略は悪ではない。正義といってもよかった。軍事力や謀略によって隣国を屈服させ、支配下に置くのは、この戦国乱世を生き延びるために必要不可欠な行為にほかならない。攻めなければ、攻められるのが世の常だ。ガンディアは、ある意味では正しいことをしているのだ。
だからといって、ガンディアの侵略を素直に受け入れられるわけもない、ザルワーンは持ちうる力を尽くして、ガンディアに対抗した。しかし、なにもかも遅きに失した。大敗に次ぐ大敗。戦力の大半が失われた。戦死したものは数え切れず、ガンディア軍に投降した数もわからないほどだ。
残る戦力は、龍府に残る龍眼軍二千と、ミレルバスの供回り、それにオリアン=リバイエン。ルベンの龍鱗軍は動かしようがない。動かせば、ルベンが隣国の手に落ちるかもしれないし、バハンダールに駐留しているガンディア軍が攻め寄せるかもしれない。
そんな中で、守護龍の召喚に成功したことは、大きい。オリアンの研究が無駄ではなかったことの証明にもなった。多くの死が無駄にはならなかった。犠牲は、勝利の代価へと昇華された。
守護龍。
彼の、長年に渡る研究成果としての擬似召喚魔法。