第三千四百五十六話 乱れ舞い、狂い咲く(三)
攻防一体の飛翔する剣に護られたイデルヴェインを斃すには、どうにかしてその防御網を突破する必要がある。
しかも、飛翔剣による猛攻に対応しながらその方法を模索しなければならないのだから、エリルアルムは忙しかった。
羽の結界によって飛翔剣の接近を感知し、余裕をもって回避できるようになったとはいえ、回避のたびに羽の結界を展開しなければならないのだ。消耗も大きく、長時間続けていられる戦い方ではない。
イデルヴェインも、ただ、飛翔剣がかわされる様を見守っているわけではないのだ。
エリルアルムを攻撃する飛翔剣の数を増やし、攻撃のたびに羽の結界を消し飛ばしている。
そのため、エリルアルムは、それまでに構築した羽の結界の再利用をすることができず、消耗戦を強いられている。
(このままではまずいな。なんとしてでも、早急に奴に攻撃を届かせなければ)
エリルアルムは、空中を飛び回り、羽の結界を構築しながら、イデルヴェインを睨んだ。イデルヴェインへの攻撃は、度々行っている。しかし、そのたびにそれこそ剣の結界に阻まれ、失敗に終わっているのだ。
エリルアルムの羽の結界が飛翔剣の接近を報せるためだけの手段であるのに対し、イデルヴェインの剣の結界は、羽弾を撃ち落とす迎撃手段として機能している。
その点だけで大きな差があるといっていい。
羽の結界で飛翔剣を防ぐことができればいいのだが、残念ながら、そういう風には出来ていない。
しかも、周囲の大気を凝縮し、防御障壁を構築したところで、多数の飛翔剣の前では意味をなさないことはとっくに判明している。
防御障壁に籠もれば最後、エリルアルムは、飛翔剣によってずたずたにされることだろう。
「わたしの飛剣への対処としては及第点。だが、これはどうだ」
イデルヴェインが試すようにいってくると、その無数の剣で出来た光背が大きく展開した。何百、何千もの飛翔剣が同時に射出され、無数の軌跡を虚空に刻んでいく。
無数の飛翔剣は、エリルアルムが構築した羽の結界をあっという間に包囲した。そのまま距離を縮め、エリルアルムがどう足掻いても脱出できないようにして、切り刻み、斬殺しようというのだろう。
事実、無数の飛翔剣とエリルアルムの距離は急速に縮まりつつある。
これでは、羽の結界の意味はなく、また、羽の結界による警告を頼りに回避する必要もない。
全力で、回避行動に移るほかないのだ。
(わざわざ待つ必要もないということ)
エリルアルムは、羽の結界が生み出す風力を自分自身に集中させると、六枚の翼を羽撃かせた。一瞬の加速によって現状出しうる最大速度に到達し、迫り来る無数の飛翔剣の真っ只中を突っ切っていく。
上下左右、ありとあらゆる角度、方向を等間隔で埋め尽くす飛翔剣だが、それはつまり、どこにどう避けようとも、同じだけの損傷を受けるということだ。
(どこへ行っても同じなら!)
胸中、雄叫びを上げるような気分でもって、飛ぶ。
前方、イデルヴェインに向かって、だ。
殺到する飛翔剣の真っ只中を突っ切るようにして、全速力で駆け抜ければ、全身に鋭い痛みが走った上、何本かが体に突き刺さった。幸い、太腿や左腕といった部分であり、致命傷には至っていない。
そして、全速力の飛翔は、飛翔剣の群れの突破に成功すると、瞬く間にイデルヴェインの元へと到達させた。
イデルヴェインは、血まみれのエリルアルムを見て、目を細めたようだった。
「強引な」
「強引でも!」
エリルアルムは叫び、全力を込めてソウルオブバードを突きつけた。
「そんな戦い方では、わたしは斃せんよ」
イデルヴェインの悠然たる態度は、依然として変わらない。
しかし、エリルアルムは、確かな手応えを感じていた。
なぜならば、ソウルオブバードの切っ先がイデルヴェインの装甲を突き破り、腹を貫いたからだ。決してこちらの攻撃が通用しない相手ではない、ということがわかれば、手の打ちようもあると確信が持てる。
ただし、槍が腹に突き刺さったからといって勝負が決まったわけではない。
相手は、獅徒だ。獅子神皇の使徒。使徒を撃滅するには、“核”を破壊する必要がある。“核”を破壊しない限り、使徒は不老不滅。
それが常識であり、イデルヴェインもまた、その常識に則っている。ただの人間ならば致命傷としかいいようのない腹部の重傷に表情ひとつ変えず、自身の有利性を言葉にするのがそれだ。
そして、つぎの瞬間、エリルアルムは想像だにしない光景を目の当たりにする。
イデルヴェインの腹部の傷口が広がっていったのだ。それも急速に拡大し、腹部のみならず、胴体や下腹部を飲み込み、消し去っていくかのように見えた。見間違いなどではなく、イデルヴェインの装甲に覆われた全身がばらばらになっていく。
そして出現する無数の飛翔剣。
(なんだ――!?)
エリルアルムは、咄嗟に全力で右に飛んだ。左腕に凄まじい痛みが走ったが、そんなことに構っている暇はなかった。全身から汗が噴き出すほどの圧力が、真横を駆け抜けていったのだ。
そのまま飛び退いた先で羽の結界を展開しながら背後を振り返れば、イデルヴェインだった飛翔剣の群れが一点に集中し、獅徒の姿を再構築していく様を目の当たりにする。
さらに戦場に散らばっていた無数の飛翔剣が集まり、イデルヴェインの光背となった。
当然、イデルヴェインの腹部は完全に元に戻っている。甲冑に傷跡ひとつ残っていないのだ。獅徒の復元能力は、並の使徒とも比べものにならないものだ。“核”を破壊しない限り、無限に回復し続けるのだろう。
持久戦では、こちらに万にひとつの勝ち目もない。
(いや……)
エリルアルムは、自身の左腕を見て、考えを改めた。
左腕の肘から先がなくなっていたのだ。飛翔剣の群体となったイデルヴェインをかわした際に感じた痛みの正体が、それだ。左腕を持って行かれてしまったのだ。
左腕だけではない。
六枚の翼の内、左側の翼が半ばから削り取られていた。
が、それはいい。翼は、ソウルオブバードの能力によって生み出したものであり、何度だって作り直すことができる。
実際、エリルアルムはすぐさま翼を再構築すると、左腕やそれ以外の傷口を羽で塞ぎ、止血した。失血死など、笑い話にもならない。
痛みは、消えない。
じわりじわりと心を削るように、響いている。
精神力を消耗し、心を消耗し、体力を消耗している。長期戦どころか、短時間の戦いさえ、心許ないものとなっていくのがわかる。
一方、イデルヴェインの様子に変化はない。余裕そのものの態度で、こちらを見ている。
それはそうだろう。
獅徒なのだ。
たかが人間の召喚武装使い相手に焦ることなどあろうはずもない。
しかも、相手を追い詰めている。
ここまできて、自分が負けることなど、考えるわけもないだろう。
(だからこそ、勝ち目もあるというもの)
エリルアルムは、考えを改めると、呼吸を整え、敵を見据えた。
こちらには余裕など一切ない。体力、精神力、生命力、どれもこれも消耗しており、いまもなお消耗し続けている。
残された時間は少ない。
だが、だからといって焦ってはいけない。
それでは相手の思う壺だ。
冷静に。
エリルアルムは、何度となく聞いた言葉を脳裏に浮かべ、ソウルオブバードを強く握った。




