第三千四百五十四話 乱れ舞い、狂い咲く(一)
敵とも味方ともつかない、不可解で不可思議な存在を見ていると、奇妙な気分になった。
それに敵意がないことは、いま、その佇まいからも明らかだ。攻撃してくる気配もなければ、こちらを警戒している様子すらない。いやそもそも、エスクたちの存在を気にしているのかどうか。
「そういえば、トワちゃんは、ネア・ガンディアの内情について詳しい……んだよな?」
「とっくに聞いておるわ。じゃが、このものについてはなんもわからんそうじゃ。のう?」
「うん」
ラグナが横目に幼い女神を一瞥すれば、トワは、なんとも申し訳なさそうな顔をした。
「なんでも知っておるというのであれば、もう少し、役に立ったのじゃがのう」
「ラグナちゃん! トワちゃんのおかげで勝てたんだよ!?」
「わかっておる。そう怖い顔をするでないわい」
今まで見たことがないようなエリナの剣幕には、さすがのラグナも押し負けるしかなかったようだ。
「トワちゃんのおかげ、ね」
「なんじゃ、その目は」
「いんや、なんでもねえですぜ」
ラグナの訝しげなまなざしを受けて、彼は苦笑を返した。
(俺も、ひとりで勝てたわけじゃねえからな)
エスクは、自分の手を見下ろしながら、胸中つぶやいた。一対一で戦って勝った、というのは、表面的なものの見方だ。実際には、エスク個人の力だけでは勝てなかった、というのが正しいし、精霊たちの力添えがあったからこそオウラリエルを出し抜き、勝利することができたのだ。
ラグナたちが三人力を合わせて勝利をしたのだとして、それを笑ったり、馬鹿にすることなどできるわけもないし、する必要もない。獅徒に勝利したという事実もそうだが、三人が無事だということは、エスクにとっては安堵することだった。
突入組のだれもが決死の覚悟だった。
だが、だからといって、死んでいいというわけではない。
生きて、この決戦を終える。
だれもがそう想い、この戦いに臨んでいるのだ。
「む?」
不意にラグナが訝しげな声を上げたのは、桜色の異形体がそっと右腕を掲げたからだ。細くしなやかな腕は、どこか女性的な美しさを感じさせる。その挙措動作のひとつとっても極めて優雅であり、元となった人間がただの将兵などではないことを想像させた。
すると、その手の先から光が拡散し、エスクたちを包み込んだ。
すわ戦闘か、と、エスクは身構えたものの、桜色の異形体からは敵意も殺気も感じることはなかったし、光に包まれたからといって、体に変調が起こったり、痛みを覚えたりするようなことはなかった。
光は、エスクたちの周囲に変化をもたらしていた。
「これは……」
エスクは、自分たちを取り囲むようにして空中に出現した光の幕の数々に目を奪われた。映写光幕に似たそれは、こことは異なる空間の現在の光景を映しだしているようだった。
「ほかの戦場のようじゃな」
「そのようだな」
エスクは、ラグナに同意しながら、光の幕を見回した。それら光の幕に投影されているのは、突入組の戦場だけではない。結晶の大地で繰り広げられている連合軍対ネア・ガンディア軍の一大決戦の様子も、様々な角度から映し出されていた。
「師匠にファリアお姉ちゃんもいるよ」
「兄様……」
「皆、無事ではいるようだが……」
それぞれの戦場を見比べながら、エスクが一番心配に想ったのは、エリルアルムだった。
セツナは無論のこと、ファリア、ルウファ、ミリュウ、レム、シーラ、ウルクに関しては、特別心配する必要はないだろう。
ウルクは、魔晶人形であり、人間とは比較にならない強靭堅固な体を持っている上、圧倒的な力を持つ。
レムなんて、セツナが死なない限り、一切の心配がいらなかった。
シーラは、召喚武装の力を限りなく引き出すことに長けていたし、ファリア、ルウファ、ミリュウの三人は異世界での修行を終え、エスクたちとは比べものにならない力を手にしている。
そしてエインには、マユリ神がついている。
となると、エリルアルムが心配になるのは、当然のことだろう。
エリルアルムが弱い、という話ではない。
エリルアルムは、元より鍛え上げられた戦士だ。エトセアの騎士公であり、女傑の中の女傑といってもいいだろう。“大破壊”以降は、召喚武装ソウルオブバードの使い手として実戦を重ねており、戦竜呼法も体得し、その実力に申し分はない。
しかし、彼女は人間だ。
ただの人間なのだ。
エスクのような人外でもなければ、ラグナたちのように協力し合える味方がいるわけでもない。
孤独な死闘を繰り広げている。
相手は、獅徒のようだった。
「なあ、トワちゃん。エリルアルム殿の相手がだれなのかわかったりするかい?」
「獅徒だよ。獅徒のひとり、イデルヴェイン」
トワは、当然のようにいってきた。
「能力は、剣の花を咲かせること」
「剣の花……?」
「なんじゃその能力は」
「見てりゃなんとなくわかるだろ」
エスクは、エリルアルムとイデルヴェインの戦場を見つめたまま、険しい表情になった。
エリルアルムが押されているようだったからだ。
押されている。
膨大な数量を誇る相手の手数を前に、圧倒され始めている。
(まずいな)
エリルアルムは、イデルヴェインとの距離を取りながら、呼吸を整えていた。
イデルヴェインとの戦闘においては、常に押され続けているわけではなかった。一度優勢に立ち、追い詰めることに成功したはずなのだ。
ソウルオブバードの能力を発動し、戦竜呼法を最大限に発揮することで、素の状態のイデルヴェインを圧倒することさえできた。
イデルヴェインがどれだけ剣を生み出そうと、それを超える速度で殺到し、攻撃を叩き込めば、それだけで相手を沈黙させることができたし、無力化に繋がったのだ。そして、そのまま一方的に攻撃し続ければ、勝利は目前だったはずだ。
だが、そうはならなかった。
イデルヴェインが、秘していた力を解放したからだ。
それは、イデルヴェインの外見に大きな変化をもたらしている。
極めて人間に酷似した姿から、白く輝く異形の甲冑と一体化したような姿となったのだ。元々、白い甲冑を身につけていたが、甲冑の形状そのものが大きく変化している。淡い光を帯びた甲冑は、全体的に曲線的であり、より優美で流麗な形状になったといってよかった。神々しくもあり、幻想的でもある。
全体として、花をあしらったように見えて、実際は無数の剣が飾られている。
そして、背には、無数の剣を円環状に並べるようにして、浮かべていた。
その姿のことを、“真聖体”と、イデルヴェインはいった。
どうやら獅徒が本来の力を発揮するための形態であり、特定の条件下でのみ解放することができるらしい。
つまり、“真聖体”となるまでのイデルヴェインは、エリルアルムの力試しをしていただけであり、遊んでいただけといっても過言ではないということだ。
イデルヴェインが終始余裕を見せていたのも、頷けるというものだろう。
だからこそ、エリルアルムには、負けられないという気分が強い。
そんな相手に負けて、死ぬわけにはいかないのだ。




