第三千四百五十一話 天使と悪魔(五)
「ここで死ぬわけにはいかないのは、わたくしも同じですぞ!」
語気を強めるなり、オウラリエルが左手をこちらに向けてきた。手のひらに光が集まっていく様を見れば、彼がなにをしようとしているのかはわかろうというものだ。
「虚空砲か!」
叫び、エスクもまた、左腕を掲げる。乱れ舞う敵の光刃をソードケインの変幻自在の光刃で弾き返しながら、収束虚空砲を発射すれば、オウラリエルの左手も光を放った。まばゆい光芒が一点集中の衝撃波と激突し、凄まじい力の爆発を引き起こす。
「なにからなにまで俺の真似かよ!」
エスクは、わざと爆風に吹き飛ばされることでオウラリエルと距離を取った。一方的にオウラリエルに押されていたのだ。仕切り直す必要があった。
とはいえ、距離を取ったからといって、こちらが有利な状況を作れるかというと、そう簡単にいくものではあるまい。
そんなことは、エスクもわかっている。
オウラリエルの姿が、視界から消えていた。
「師の教えに沿っているだけ、ですよ、“剣魔”殿」
声は背後。
エスクは、透かさず後ろ手に虚空砲を撃ち放つと、反動で前方に飛びながら空中で身を捩った。
「はっ、だったら弟子らしく師匠を敬えってんだ」
「敬っておりますぞ、もちろん」
当たり前のようにいってきたオウラリエルは、掲げた左手の先に光の壁を形成していた。その光の壁で虚空砲を受け止め、無力化したのだろう。彼は無傷だった。兜の凹みも、既に元通りに戻っている。獅徒の再生能力を見くびってはいけない。
獅徒を斃すには、“核”を見つけ出し、破壊する以外にはないのだ。
そのためには、獅徒の肉体を傷つける必要があるのだが、脆弱だった分身とは異なり、いまの強靭極まりないオウラリエルに致命的な損傷を与えることができるのかどうか、エスクには確信が持てなかった。
ソードケインの光の刃は、並の神兵ならば容易く切り裂き、“核”の破壊も容易いものだ。これまで散々切り伏せ、撃滅してきている。だが、相手が獅徒となると、どうだろう。
「ですから、そのように自信をなくされるのは、弟子として不甲斐なしと思わざるを得ませんな!」
オウラリエルが叱りつけるようにいってくるなり、物凄まじい勢いで突っ込んできた。まさに一陣の風のように間合いを詰め、右手の杖を旋回させる。両端の光刃による連続攻撃。エスクは、ソードケインを振り回して対応したが、オウラリエルの手数の前に圧倒された。
オウラリエルの成長速度がエスクの想像を遙かに凌駕していただけではない。そこに獅徒の身体能力が加わり、想像を絶するものになっている。
「獅徒の力に頼るものがいうことかよ!」
「それはお互い様でしょう!」
「なにを!」
「貴殿も、精霊の宿る肉体を頼みとしておられるのではないですかな!」
剣閃が無数に走り、全身を鋭い痛みが駆け抜ける。そして、熱。血が噴き出したのだろう。体中、あらゆる箇所を切り裂かれたようだった。
「ですから、こうなる」
「まだだ! まだっ――」
「いえ、もう仕舞いです」
オウラリエルのそれは、死の宣告だったのだろう。
兜の奥の目が、冷ややかにこちらを見つめていた。
「もう、終わりなのです」
エスクが激痛の中で振り上げた右腕は、手首から綺麗に切り飛ばされ、宙を舞った。手首から溢れる鮮血が中空に飛び散り、光の刃が弧を描く。その光景を、エスクは、全身をくまなく寸断される感覚の中で見ていた。暗澹たる空から延々と降り注ぐ雨はが、血も汗も、なにもかもを洗い流していく。そんなどうでもいいことばかりが脳裏を過ぎる。
崩れ落ちていく世界に、光刃が舞い踊っている。
オウラリエルの勝利をこの戦場に告げるように。
「師よ。わたくしめに戦うための力を、技を、心を授けてくださった偉大なる師よ。あなたの名は、未来永劫、わたくしめが覚えておきましょう」
オウラリエルが、杖を頭上に掲げた。放射線状に伸びた光の刃が収束し、一本の光の剣となっていく。その様は神々しく、エスクは、奇跡でも見ているような気がした。
まだ、死んでいない。
生きている。
息がある。
胴体を寸断され、あらゆる部位がばらばらになって地面に転がっているというのに、だ。
その事実を認識したとき、エスクは、自分がもはやただの人間ではなくなっているのだということを悟った。
そして、理解する。
(ああ、そうだな。そうだったな)
視界の片隅に、足が見えた。
それは、燐光を放っていて、この世のものとは思えなかったが、見覚えのある大きさと形をしていた。知っている。よく知っている男の足だ。とっくにこの世から去り、あの世に逝ったはずの男の。
(俺は、ずっと、知っていた。知っていたんだ)
エスクは、髭面の男がこちらを見下ろし、渋面を作っている様に、苦笑するほかなかった。ドーリン=ノーグ。シドニア傭兵団十二番隊長だった男は、相変わらずの毛むくじゃらだった。
その隣に、もうひとり、立っている。
(なのに、知らない振りをしていた。見て見ぬ振りをしていたんだ)
女だ。どこか困ったような、それでいて優しげな表情を湛えた美しい女。レミル=フォークレイ。シドニア傭兵団の団員で、エスクが生まれて初めて愛した女だった。そのまなざしは、いつだって柔らかく、透き通っている。
(認めなかったからって、死んだ人間が生き返るわけもないのにな)
エスクは、燐光を放つふたりの姿を見ていた。雨音がしない。それどころか、降ってさえいない。止まっている。雲の流れも、風の音も、雨も、オウラリエルの動きすら、止まっている。
時間が静止している。
(……ああ、済まなかった。本当に済まなかった)
エスクは、ただ、心の底から謝罪した。そうするほかなかった。
(ずっと、側にいてくれたんだよな。俺の隣に。俺の背後に。ずっと、ずっと……)
レミルもドーリンも、なにもいわない。ただ、エスクを見つめ、微笑んでいる。それだけだ。だが、それでよかった。それだけでよかった。
(俺を護ってくれていたんだな)
エスクは、すべてを理解した。
この肉体は死んでいない。
精霊が宿り、レミルとドーリンの遺志が宿るエスクの肉体は、切り刻まれた程度で死ぬものではない。それはもはや人間の肉体ではないし、生物の範疇を超えているのかもしれないが、そんなことは、いまのエスクにとってはどうでもいいことだった。
大切なのは、生きているということだ。
雨音が聞こえた。
奇跡の剣が降ってくる。
真っ直ぐに、エスクの頭を断ち切り、ついでに心臓を破壊するために。
しかし、それよりも早く、降ってくるものがあった。
エスクの右手だ。
それは、ソードケインを握ったまま、光刃を発生させたまま、エスクの胸に突き刺さった。
「む……?」
オウラリエルが手を止めたのも、無理のない話だろう。
エスクがみずからの手で、みずからの命を絶ったように見えなくもなかった。それが偶発的なものだとしても、異様な光景であり、彼が動きを止めるのも致し方のないことだったのだ。
それがたとえほんの一瞬の出来事だったとしても、その一瞬こそが、エスクに必要だった。
「残念だったなあ、弟子よ」
「なんと……!?」
エスクは、ばらばらのままの肉体をゆっくりと起き上がらせながら、オウラリエルに笑いかけた。
その笑みは、いつにも増して凶悪だったことは、鏡を見ずともわかるというものだ。




