第三千四百四十九話 天使と悪魔(三)
「ふむ……よくわかりませんな」
エスクの思考を読み込んでだろう。オウラリエルは、怪訝な表情で告げてきた。
オウラリエルは人間時代から博識ではあったのだろうが、精霊に関する知識は持っていなかったようだ。しかし、それは彼の知識力の問題ではない。精霊という存在そのものが、数百年もの昔にこの世界から追放され、隔離されていたのだから致し方がないのだ。
万物に宿り、世界を構成する要素だった精霊たち。
その存在を疎ましく思った聖皇によって世界の外に追放されたのがおよそ五百年前であり、帰還を果たしたのがつい数年前の出来事だ。
エスクは、偶然にもこの世界に帰り着いたばかりの精霊たちに出逢い、助かっている。まさに奇跡的な出来事であり、その偶然の出逢いがなければ、エスクは間違いなく海の藻屑と化していただろう。
精霊たちが興味を持ち、手を差し伸べてくれたからこそのいまなのだ。
そんな精霊がどういった存在なのかについては、別種の精霊であるアマラと出逢ったことで、なんとはなしに理解した。
好奇心旺盛で天真爛漫かつ奔放な子供、といった印象は、精霊全体にいえることらしい。
「俺にだってわからねえが……しかし、なんだ」
エスクは、無造作に左腕を掲げると、オウラリエルに向かって拡散虚空砲を発射した。
「おかげで、戦える」
広範囲に拡散する衝撃波が分厚い壁を作りながら広がっていく中、オウラリエルがこれ見よがしに杖を振るう。ばら撒かれた光弾は、物凄い軌道を描いて衝撃波の壁を迂回し、エスクに殺到する。そのときには、エスクは後ろ手に虚空砲を発射している。
急加速によって前方へと飛びながら、ソードケインを振り翳す。形成するのは、やはり、光の板だ。人体の何倍もの巨大さを誇る光の板で、オウラリエルの本体を消滅させるつもりだった。
拡散虚空砲の射程距離そのものは、それほどでもなく、通常の虚空砲の三分の一程度だ。しかし、光弾に対する防壁としては十分過ぎるほど有用だったし、今回も、オウラリエルの攻撃を誘うことができたのだから、無意味ではない。
もっとも、オウラリエルは、つぎの手を打っている。
杖の先端、円盤状の飾りから光の刃を発生させて見せたのだ。それも一本ではない。円周に沿って放射線状に光の刃が伸びており、それらでもって光の板を受け止めたものだから、エスクも叫ばざるを得なかった。
「俺の真似かよ!」
「ええ、そうですとも」
オウラリエルは、当然のようにうなずくと、十数本の光刃を伸ばした。ソードケインの真似事も自由自在だといわんばかりだった。
光の板と光刃がぶつかり合い、火花のような光が散る。
「強くなろうと考えれば、おのずと答えは出ましょう」
「強い相手の真似をすればいいってか?」
「そういうことですな」
「だが、それじゃあだめだぜ。だめだめだ」
エスクは、鼻で笑いながらソードケインの光の板を消失させた。すると、それまで封じられていたエスクの右手は自由になる。オウラリエルが狼狽えるのも、無理はない。彼は、戦闘の素人だ。多少成長したとはいえ、戦いの駆け引きというものを知らない。
柄だけのソードケインでもってオウラリエルの杖を握る手を殴りつけ、そのまま光の板を発生させる。なにかが灼けるような音とともに手首が消し飛ぶのを確認するまでもなく、光の板でオウラリエルの右手そのものを消滅させれば、分身も発生しなくなる。
さらに踏み込みながら光の板を振り抜けば、オウラリエルの上半身を削り取ることに成功したものだから、エスクは勢いに乗ろうとした。
だが、猛烈な寒気に襲われて、エスクは瞬時にその場から飛び離れざるを得なかった。そして、その行動が正解だったということを即座に思い知る。
オウラリエルの下半身が大爆発を起こしたからだ。
莫大な光が雨粒も冷気も大地も黒雲も吹き飛ばしていく様を見れば、エスクも背筋に冷たいものを感じざるを得ない。
「罠かよ」
なんだかオウラリエルに出し抜かれた気がして、エスクは、憮然とした。戦闘の駆け引きを知らない素人と内心下に見ていたら、これだ。相手を斃すことに集中するあまり、状況が見えなくなっていたのではないか。それはつまり、戦闘の駆け引きを知らないのは、自分だということではないか。
少なくとも、オウラリエルは、もはやただの戦闘の素人ではない。
オウラリエルの下半身が爆発したことによる戦場の変化は、といえば、大地に大穴が開いた程度だ。このとてつもなく広大な戦場において、それはたいした意味を持たない。地形がどう変わろうと、雨脚が強くなろうと、晴れようと、夜になろうと、趨勢に変化を与えるものではないのだ。
「やはり、一筋縄ではいきませぬか」
頭上から聞こえたオウラリエルの声は、先程よりもさらに若くなっていた。
「さすがは、“剣魔”殿」
見上げれば、そこには想像上の天使とでもいうべき存在がいた。
「ですが、おかげでわたくしめも、このように強くなれましたぞ」
そういって、自分を指し示したところを見れば、その天使の姿をしたものこそ、オウラリエルのようだった。先程まで白衣の老年男性、白衣の壮年男性だったのが、まったく異なる姿に変わり果てたものだから、エスクも驚くほかない。
天使。
まさに天使というべきだろう。
純白の衣は相変わらずだが、その下には、甲冑を身につけているようだった。白を基調とした甲冑は、全体的に丸みを帯びていて、複雑な紋様が刻まれている。重量感はなさそうだが、先程までの姿よりも余程防御力があることは間違いない。背中からは、三対六枚の翼が生えており、その上に光の輪が浮かんでいた。
顔は、仮面に覆われていて、表情すらよくわからない。ただ、その仮面が美術品のように美しいことは、教養のないエスクにも理解できる。
手には、杖が握られていた。両端に円盤のような飾りのついた杖は、先程までオウラリエルの分身たちが使っていた杖を改良したもののように見える。おそらく、円盤から光弾や光刃を発生させることができるのだろう。
「成長できたのです」
彼は、そう言い切った。
「それもこれも、“剣魔”殿が教示してくださったおかげ。“剣魔”殿が、相手をしてくださったおかげ」
そして、お辞儀をしてくる。
「感謝を」
「はっ」
エスクは、地上から天使と化したオウラリエルを見上げながら、笑うほかなかった。
「感謝だって?」
「ええ、感謝します。わたくしめが短時間でこれほどまでに強く成長できたのは、すべて、“剣魔”殿のおかげです」
「だったら、態度で示してほしいもんだな!」
「ええ、もちろん」
おそらく、彼は微笑んだのだろうが、エスクには、オウラリエルの表情がわからなかった。声音だけで判断するしかない。
「“剣魔”殿におかれましては、なによりも、苛烈な戦闘がお好みでございましょう?」
オウラリエルが、杖の両端から光の刃を発生させた。円盤から放射線状に伸びる無数の光刃は、それだけで嫌な予感をさせる代物だ。まず間違いなく、先程と同じ手は通用しない。
オウラリエルは、成長しているのだ。
そして、オウラリエルが杖をこちらに向けて掲げ、回転させた。
するとどうだろう。
光刃が光線となって放出されたかと思うと、エスクに向かってきた。
「ああ、それだ! それがいい!」
エスクは、狂暴な笑みを浮かべながら、叫ぶように唸った。
「最高だ!」




