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第三百四十四話 睥睨(へいげい)

 龍は、常にそこにあった。

 ザルワーンの首都・龍府の最終防衛線である、五方防護陣と呼ばれた五つの砦、その跡地とでもいうべき森の空隙に聳えていた。

 地中から首だけを生やしたドラゴンたち。天に流れる雲に届くかと思われるほどの巨大さを誇る怪物は、その出現によって、龍府に混乱をもたらしたようだったが、いまは混乱も収まっている。むしろ、守護龍の出現にむせび泣くものが現れているほどだという。

 ザルワーンは龍の国だという。そういう建国伝説があり、そう信じられてきたし、いまでも信じているものは少なくはない。少なくとも、五竜氏族という特権階級は、龍の伝説に裏打ちされたものであり、五竜氏族による支配の正当性を主張する上では必要不可欠なものだった。

 だからこそ、ザルワーン政府は昔から龍の伝説を周知徹底させることに躍起になっていたし、子供の頃から耳が痛くなるほどに教えてきたのだ。幼少の頃から龍の伝説、龍の神話を頭に叩き込まれてきたものたちにすれば、それは真実以外のなにものでもない。龍が実在していようといまいと、現実に君臨する支配者たちが龍の末裔を名乗っているのだ。本当のことがわからないものには、否定しようがなかった。

 かくして、五竜氏族は、龍の名を騙ることで、支配を強固なものにしていったという。

(しかし、いまや龍は降臨したのだ。五竜氏族の虚言は真実となった)

 彼は、眼下に広がる森を見渡しながら、胸中でつぶやいた。曇天に生まれた雲の切れ間から、月や星の光が降り注ぎ、広大な森に陰影を浮かび上がらせている。

 痛々しい破壊跡は、二日前の戦闘によるものだ。数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいに殺したものだが、死体は残っていなかった。ほとんどが光か炎に包まれ、消滅した。

 死んだのは、グレイ=バルゼルグの軍勢やガンディアの兵士たちだ。彼の人生にはまったく関わりのなかった人々ではあったが、仕方のないことだろう。ザルワーンの敵となって現れたのだ。

 敵は、滅ぼさなくてはならない。

 でなければ、この国を護れない。

(わたしがいる。わたしがおまえたちを護ってやる)

 通常とは比べ物にならない量の情報が五感を刺激し、頭の中に飛び込んでくるが、脳は悲鳴をあげなかった。むしろ歓喜にむせび泣いているのかもしれない。

 ようやく、慣れてきたのだ。

 五首の龍の視覚情報と聴覚情報が脳の中で混線することもなく、完全無欠に処理されているのがわかる。無数の目が捉える光景は、それぞれに異なるものだ。森の中ではあっても、森の外の風景というのは大きく違う。

 ビューネルのドラゴンはルベンの夜景を見ていたし、リバイエンの龍はアバードとの国境に目を向けていた。アバードといえばザルワーンの北に隣接した国だ。南進に執着するザルワーンにとってはいまのところ興味のない国ではあったが、いずれは戦うことになるかもしれない。

 その国境付近に動きがある。軍勢が迫りつつあるようだ。ガンディアのザルワーン侵攻に乗じようとでもいうのかもしれないが、残念ながら、アバードがおこぼれに預かることはない。

 アバード領からもっとも近い都市はマルウェールなのだが、そのマルウェールはガンディアの手に落ちている。アバードにしてみれば、いま乗りに乗っているガンディアに喧嘩をふっかけたくはないはずだ。欲しいのはおこぼれであり、流血覚悟の戦争ではないだろう。

 だからこそ、リバイエンのドラゴンから見える位置に軍勢を集結させているのだ。アバードは、マルウェールを諦め、代わりにリバイエン砦を落とそうというのかもしれない。

 馬鹿げた話だ。

 例えアバードがリバイエン砦の制圧に成功したとしても、その場合、ガンディア軍は龍府を陥落させ、ザルワーンの国土の大半を手中に収めるだろう。リバイエン砦は龍府に近い。

 戦争がガンディア軍の勝利で終われば、膨大な戦力が龍府に集中していること請け合いだ。圧倒的な戦力差を前にリバイエン砦の所有権を主張して、なにが得られるものでもあるまい。

 そして、現実にはリバイエン砦は地上から消滅している。

 ドラゴン召喚のための犠牲となり、砦の人員共々消え去ったのだ。大量の人間が死んだが、五首のドラゴンは、龍牙軍などよりも余程強固な防壁となってザルワーンに君臨するだろう。

 人々の犠牲は無駄ではない。

 無駄にはならない。

(わたしが存在する限り、無駄にはしない)

 彼は、硬く誓うと、別の視点に注目した。

 ヴリディアのドラゴンは、南方に視線を固定していた。龍府周辺を覆う森の南部に敵国の陣地が築かれているのだ。ガンディア軍の野営地は、二日前から昨日のうちに急造されたものであり、ガンディア軍の土木建築技術の高さ、早さが窺えるというものだ。

 ガンディア軍は二日前、ビューネルやファブルネイアと同じく、ヴリディアに対しても部隊を差し向けてきた。噂に聞く無敵の傭兵団《白き盾》が混じっていたのだろう。ドラゴンの攻撃はまったく通用しなかったが、ドラゴンもまた、彼らの攻撃を無力化するすべを手に入れた。《白き盾》を打ち砕くことはできないにせよ、ヴリディアのドラゴンが負ける要素もなくなったのだ。

 ドラゴンを倒せないと判断したガンディアの部隊は後方に退き、待機していた軍勢ともどもさらに南に下った。ドラゴンの射程を恐れたのだろう。そして、陣地を作り始めると、ビューネルとファブルネイア付近に展開していた軍勢がつぎつぎと合流し、ガンディア軍の人数は数倍に膨れ上がった。

 もっとも、どれだけ人数が増えたところで、ドラゴンに敵うわけがない。

 ザルワーンの守護龍なのだ。敗れるはずがなかった。

 ガンディアの黒き矛ですら一蹴したという自負が、彼の確信を揺るぎないものとしていた。

 合流したガンディア軍だったが、すぐには動き出さないだろうと彼は考えていた。野営地を築いたのだ。持久戦に持ち込むつもりなのかもしれない。もちろん、持久戦になったところで、彼が負けるはずもない。

 負荷に耐えかねて意識が焼き切れたとしても、精神を消耗し尽くして命が尽きたとしても、もはや地の獄に囚われることはない。

 何度だって蘇り、守護として振る舞うだけだ。

 そんな彼の予想は、いま、否定された。

 ガンディア軍の野営地に動きが見えたのだ。何千もの人間が動けば、否応なく音が鳴り、大気が揺れる。ひとつひとつが微々たるものであっても、それが何千も集まれば当然、大きくなり、龍の耳に届くのだ。

 そして、龍の目が野営地の変化を捕捉する。武装した兵士たちの群れが野営地から離れるのが見て取れる。無数の歩兵が纏う鎧が、月の光を反射してきらめいていた。

 まるで、闇の中を流れる光の川だった。

 光の川は、ヴリディアへと至る街道を北へ流れていた。つまり、ヴリディアのドラゴンを目指しているのだ。

(早いな)

 ガンディアの全軍が合流して、二日あまり。

 これでは野営地を築く必要さえなかったのではないかと思うのだが、ガンディア軍にはガンディア軍の事情があるのだろう。それに、時間をかけたところで打開策が思いつくはずもない。

 ドラゴンを打倒する作戦など、あるはずもない。

(負けるはずがない)

 彼は、確信とともに敵の群れを見下ろしていた。

 何千という人馬の群れが、怒涛となって街道を進軍してくるのが見えている。侵攻だ。龍府への進撃なのだ。だが、彼らが龍府の地を踏むためには、ヴリディアを突破しなければならない。

 ヴリディアのドラゴンを打倒しなければならない。

 五方防護陣は、龍の降臨によって完璧なものとなった。龍府の周囲五ヶ所に出現したドラゴンは、かつての五砦よりも凶悪な防衛戦を構築している。五つの龍の首は、それぞれに広大な範囲を支配下に置いており、ドラゴンとドラゴンの間に空隙などないのだ。つまり、隙間を通過することはできない。

 戦い、倒すしかない。

 しかし、ガンディア軍にはドラゴンを倒す術はなかった。黒き矛は敗れ去り、白き盾もドラゴンを強化しただけだった。彼らがいかに武装召喚師を投入しようとも、無敵の盾を展開するドラゴンを傷つけることなど敵わない。

 勝利が決定的なものだとわかる戦いほどつまらないものはない。

 だが、彼は、慈悲を見せるつもりもなかった。

(わたしは守護。龍府の守護者。ザルワーンの守護龍)

 彼の意識は、いまやドラゴンと完全に同期していた。

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