第三千四百四十七話 天使と悪魔(一)
厳清の間におけるエスクと獅徒オウラリエルの戦いは、激しさを増す一方だった。
現状、エスクには、オウラリエルを斃す手立てがなく、勝利への道標すら見えていないということが、激闘の一因といえる。
オウラリエルそのものは、たいしたものではない、と、彼は考えている。たいした相手ではないというのに悪戦苦闘しているのは、斃せないからだ。どれだけ切り刻んでも、打ち砕いても、オウラリエルには意味がないのだ。
断ち切った数だけ増える。
打ち砕いた数だけ、増殖する。
それがオウラリエルのもっとも厄介な点であり、能力なのだ。
いまやオウラリエルは、厳清の間の空を覆い尽くすほどにまで増殖しており、それら圧倒的多数の敵を相手に大立ち回りを演じているのがエスクだった。
「もうひとつ」
エスクは、オウラリエルたちが掲げる杖を睨み、口の端を歪めた。激しさを増す戦いの中で、彼の意識は紅葉し続けている。まさに興奮状態であり、そのおかげか、多少の掠り傷程度では痛みさえ感じなくなっていた。その上、その程度の傷は立ち所に回復してしまうのだ。
「その成長性だな」
視線の先、曇天の下で無数の光が瞬いたかと思うと、数え切れない数の光弾がエスクに向かってきた。
その杖から撃ち出す光弾こそ、オウラリエルの数少ない攻撃手段なのだが、開戦当初は、ただ真っ直ぐに飛ぶ光弾しか撃てなかった。戦闘の素人が獅徒に生まれ変わったばかりで、力の使い方も知らなかったから、だろう。それが、いまや様々な種類、様々な弾速の光弾を撃ち分けるようになった上、何千何万もの光弾の中に織り交ぜるものだから、対処も困難なものとなっていた。
開戦当初からは考えられないほどの成長ぶりだ。
「とても爺さんとは思えないぜ」
オウラリエルの人間時代について、エスクが知っていることは少ない。彼自身の発言から想像するしかないのだが、その想像によってわかったことといえば、彼が人間時代に《白き盾》の一員であり、戦闘要員ではなかった老人だったということだ。
故に、欠番の獅徒、なのだろう。
そんな老人が獅徒に転生したことで強大な力を得、ただ暴れるだけでなく、急速に成長を始めたのだ。
エスクでなくとも、愉しくなるものではないか。
超高速で飛来する光弾の数々をソードケインの光刃で弾きつつ、光弾群に向かって虚空砲を撃ち放つ。いつもの虚空砲ではない。広範囲に拡散する衝撃波として発射したことで、前方に分厚くも強烈な障壁を発生させたのだ。そして、その衝撃波の壁が多数の光弾を受け止め、爆裂光弾を爆発させた。
大量の光弾が爆発し、その爆発に巻き込まれた光弾もまた、つぎつぎと誘爆していく。
虚空砲の撃ち分けについては、エスクもいまさっき思いついたところであり、それもオウラリエルが光弾を撃ち分けていることから虚空砲でもできるのではないか、と考えたのだ。そして、その通りの結果となった。
とはいえ、拡散虚空砲ですべての光弾を打ち落とせるほど甘くはなく、爆発にも爆風にも耐性を持つ強化光弾や、急角度の軌道を描く急襲光弾などは、まだまだ大量に残っていた。なにせ、オウラリエルは数え切れないほどの分身がいる。
その上、分身を叩いてもまったく意味がないのだ。
本体を斃さない限り、分身は増え続ける。
切っても、砕いても、貫いても、分身には効果がない。
「……待てよ」
エスクは、はたと気づき、その場から大きく飛び離れた。無数の光弾が、つぎつぎとエスクが立っていた付近の地面に突き刺さっていく。土砂が舞い、雨粒が散った。
誘爆を免れた光弾の追尾性能は微々たるものであり、ある程度引きつけておけばかわすのは難しくなかった。本来ならば、ほかの光弾で足止めしたところを攻め立てるものなのだろう。だから、回避しやすい。
「切っても砕いても貫いても意味がないならよぉ」
エスクが考え事を声に出しているのは、オウラリエルには相手の思考を読む能力があるからだ。それも、開戦当初は、たいしたものではなかった。考えていることを言い当てるだけの、なんの意味もない能力に過ぎなかったのだが、戦闘が長引くにつれ、彼自身が成長するにつれ、戦闘そのものにも活用するようになっていた。
エスクの思考を読んで、攻撃してくるようになったのだ。
それはもう嫌らしいというほかなかったが、すぐにエスクは、戦闘に関しては考えることを止めた。思考を放棄し、無意識に対処するようになったのだ。
すると、どうだろう。
オウラリエルは、最初、当惑した。エスクの思考がまったく読めなくなったことが、彼には余程衝撃的だったようだ。
それはそうだろう。
戦闘中、思考を放棄する人間など、いるはずもない。なにも考えずに戦い、生き残れるはずもない。だが、エスクにはそれができた。
百戦錬磨の“剣魔”なのだ。
数え切れない戦場を生き抜き、死線を潜り抜けてきた。
体が、戦闘を覚えている。
思考を手放しても、無意識に反応してくれる。
ただし、それは自分の身を守る上では役に立つが、敵を斃すためにはなんの意味もなかった。オウラリエルの群れの中に無為無策のまま突っ込んでいって剣を振り回したところで、オウラリエルの数を増やすだけのことだ。
だから、考えなくてはならない。
しかし、思考は読まれる。
だったら、と、彼は開き直って、考えていることをすべて言葉にした。
「全部消滅させりゃあいいんじゃないか?」
「やってみなされ。できるというのであれば、ですがな」
「できるとも。俺に出来ないことはないのさ」
いうが早いか、エスクは、跳躍するなり地面に向かって虚空砲を発射した。凄まじい衝撃波が大地に叩きつけられた瞬間、反動がエスクの体を空高く吹き飛ばす。再度虚空砲を放つことで加速すると、無数の光弾が彼を出迎えた。
「この状況でも、ですかな」
「無論」
エスクは、嗤った。余裕に満ちたオウラリエルの表情に変化が生じるのを見たからだ。エスクの思考を呼んだのだろう。なにをするのか、理解したのだ。
ソードケインは、彼の想いに応え、光の刃を形成する。エスクの想像通りに膨張したそれは、光の刃というよりは、巨大な光の板だった。エスクの身長の数倍以上の巨大さを誇るが、重量に変化はない。光の刃を最大限伸張させたとしても重量に変化がないのと同じであり、故に、軽々と振り回すことができた。
「これなら、一撃だろ?」
殺到する高速光弾の数々を光の板で受け止め、さらに迫り来る無数の光弾を拡散虚空砲で粉砕する。虚空砲の射程範囲には、多数のオウラリエルがいたため、大量の分身が生まれてしまったが、彼は気にも留めなかった。
もう一度、進行方向とは反対側に虚空砲を発射することで、みずから分身の群れの中に飛び込み、呆気に取られたオウラリエルに向かって光の板を叩きつける。オウラリエルの身の丈よりも遙かに長大な光の板は、その強靭な肉体を塵ひとつ残さず消滅させて見せた。
「ほらな」
エスクは、続け様に周囲の分身たちを光の板で消滅させながら、勝ち誇るように告げた。
「分身に頼るから、こうなる」
巨大な光の板を振り回すだけで何十体ものオウラリエルの分身が消滅したのも、そのためだ。




