第三千四百四十三話 百万世界の叡智(六)
「無駄……無意味……無謀……無明……」
アルシュラウナは、呪文を唱えるようにして同じ言葉を繰り返していた。
あらゆる世界の知識を得、百万世界の叡智といっても過言ではないほどの存在ならば、エリナたちの抵抗にそのような反応をするのは当然なのだろう。こちらの攻撃は一切通用せず、相手の攻撃を防ぐ手立てがない。ラグナがその強力な魔法で身を守ろうとしても、つぎの瞬間には無力化され、嵐のような攻撃に曝されてしまう。
エリナとて同じことだ。
フォースフェザーの能力を最大限に発揮して構築した防御障壁も、アルシュラウナの知識の前では無力なのだ。
では、どうすればいいのか。
やはり、トワを頼みとするほかないのだ。
トワだけは、アルシュラウナの知識の外にいる、という。実際、トワの攻撃は通用し、アルシュラウナに大打撃を与えている。アルシュラウナが本気を出すほどの状況に追い込んだのだ。
だが、それはアルシュラウナが全力ではなかったからこそ通用したのであり、いま、この瞬間にトワがアルシュラウナに致命的な一撃を叩き込み、この戦いを終わらせるなど、奇跡に等しい。
奇跡など、そうそう起こるものではない。
隙を作らなくては、ならない。
(どうやって……?)
アルシュラウナの布陣は完璧だ。
ラグナが咆哮とともに発動した魔法は、無数の流星のような光がアルシュラウナに集中的に降り注ぐというものだったが、それら流星群は、アルシュラウナに到達する寸前、アルシュラウナが展開する文字列に触れた瞬間、溶けるようにして消えてしまった。
アルシュラウナの光背が、幾重もの防御陣を形成しているのだ。そして、その防御陣は、どうやらラグナの竜語魔法を瞬時にして分解してしまう性質を持っており、しかも、常に呪文を唱えているようだった。
まるで、ミリュウのラヴァーソウルのように。
エリナの師と違うのは、無数の刃片を磁力で強引に結びつけることで呪文を形成しているわけではなく、光背そのものが未知の文字列によってできているため、術式の構築に余計な動作が必要なさそうな点だった。
そして、それが意味するところは即ち、瞬時に魔法めいた攻撃を行うことができるということであり、ラグナの流星群を分解した直後、アルシュラウナは、ほとんどまったく同じような現象でもって、ラグナに反撃した。
まばゆい光の流星群がラグナに殺到したのだ。
ラグナは、当然、避けようとした。一回り小さくなった巨躯を魔法の力で飛ばし、大きく距離を開けたのだが、流星群は、ラグナの移動先に待ち受けていた。
「なんじゃと!?」
ラグナが驚きの声を上げながら防御障壁を展開したが、やはり、ラグナの魔法はアルシュラウナの知識の前ではまったく意味がなかった。流星群が防御障壁を中和し、ラグナの巨躯に直撃していく。ラグナが天地を振るわせるほどの咆哮を発すると、流星群のすべてを受け止めた巨体が爆発した。
エリナには、どうすることもできない。
声をかける時間すらなかった。
再び、巨大な魔力のうねりが生じ、ラグナがさらに一回り小さくなって復活すると、瞬時にアルシュラウナの攻撃が巨竜を襲った。ラグナの復活地点に収束した光が、盛大に爆発を起こし、ラグナの肉体を徹底的に破壊し尽くしていく。ラグナの咆哮は、さながら断末魔の叫びだ。
耳を塞ぎたくなるくらいに、痛々しい。
「無駄……無意味……無謀……無明……」
「なんのっ! わしはまだまだ元気じゃぞ!」
そう叫ぶラグナの声音は、確かに活気に満ちていた。散々殺され、一回りも二回りも小さくなり、弱体化しているというのに、勝利を信じて疑っていないようだった。
「こんなにも元気に生きておる!」
復活し、もう一回り小さくなったラグナだが、それでも十分すぎるほどの巨躯を空高く浮かばせると、アルシュラウナに向かって高笑いに笑って見せた。
「わしを滅ぼすには力不足も甚だしいわ!」
「知っている……三界の竜王……転生竜……」
「その程度、セツナだって知っておるぞ! なんの自慢にもならんわ!」
ラグナが吼え、魔法が発動する。翡翠色の光が津波となって地上を飲み込み、アルシュラウナをも包み込もうとする。だが、アルシュラウナは光の津波の中でも平然としていた。やはり、光の津波も光背によって分解され、アルシュラウナに到達できないのだ。
(ラグナちゃんの魔法は通用しない)
それでもラグナが攻勢を止めないのは、アルシュラウナの気を引き続けなければならないからだ。ラグナが攻撃の手を止めれば、ただでさえ余裕のあるアルシュラウナから隙を作り出すことなど、不可能となってしまう。
しかし、だからといって、このままラグナが殺され続ける様を見ているだけというのは、エリナには耐え難いことだったし、それでは自分がここにいる意味がない。
(わたしに……できること……)
護られるために、ナルンニルノルについてきたわけではないのだ。
力になりたかった。
セツナの、みんなの。
そのためにミリュウに師事し、武装召喚術を学び、戦い続けてきた。
戦闘には向かない性格だのなんだのといわれながら、食らいついてきた。
それなのに、ラグナが殺され続けるのを黙って見ているのは、どういうことなのか。
また、ラグナが殺された。
アルシュラウナの攻撃によって、ラグナの巨体が千々に引き裂かれ、閃光の中に消えたのだ。
すぐさま、ラグナの復活はなったものの、当初に比べると随分と小さくなっていた。それでも人間に比べるまでもなく巨大なのだが、小さくなった分だけ力が減っていることは明らかだった。ラグナの体の大きさは、力の総量そのものを示しているからだ。
それが次第に小さくなっているということは、どんどん勝ち目がなくなっていくということだ。
元より勝ち目の薄い戦いだというのに、このままラグナが殺され続ければ、いずれ、ラグナの復活さえままならなくなるのではないか。
転生竜が滅びることはないというが、転生による復活のためには、それ相応の力が必要なのだ。ラグナが復活のたびに小さくなっているのもそのためなのだ。復活のために取り込んだ力を消費しているから、復活時には以前より小さくなってしまう。弱体化してしまう。
延々と繰り返せるわけもない。
いずれ、力尽きる。
そうなっては、こちらの負けだ。
エリナひとりでは、アルシュラウナの隙を作ることなどできない。
トワひとりでも、同じことだろう。
エリナは、ラグナの巨体が砂のように崩壊を始める様を見て、右腕を翳した。
アルシュラウナに向かって。
「お願い、フォースフェザー。力を貸して。いまここで諦めるわけにはいかないの。ここでラグナちゃんを失うなんてこと、あっちゃ駄目なのよ。お願い、フォースフェザー。お願い、ザンラシアの妖精王さん」
フォースフェザーの羽根飾りに触れながら、強く、願う。
「わたしのすべてをあげるから、助けて」
ただ、強く。
ひたすらに純粋に。
すると、どうだろう。
その想いがフォースフェザーに届いたのか、ザンラシアの妖精王とやらが聞き入れてくれたのか、腕輪についた四枚の羽飾りが異様なほどに強烈で、幻想的な光を放った。




