第三千四百四十二話 百万世界の叡智(五)
ラグナは、吼えた。
咆哮とともに術式を展開し、魔法を発動する。
全身至る所に突き刺さり、巨大な肉体を徹底的に破壊しようとするアルシュラウナの攻撃に対抗するべく、すべての魔力を解き放ったのだ。無数の光の槍は、容易くラグナの肉体を包む鎧を突き破り、分厚い筋肉を貫き、骨も内臓も灼き尽くさんばかりに暴れている。
凄まじい痛みが、体中をくまなく蹂躙していた。
それこそ、ラグナがいままでに経験したこともないくらいの痛みであり、彼女は、目の前にいる敵がこれまで戦ったことのあるどのような相手よりも圧倒的に強く、凶悪だということを思い知った。思い知りながらも吼え続け、魔力を発散し続ける。
「ラグナちゃん!? だいじょうぶなの!?」
「心配など無用じゃ! エリナよ、おぬしだけは必ず護る。安心せよ」
エリナの悲痛な叫び声を聞いて、ラグナは、安心させるべく極めて強気に告げた。エリナは、ラグナの竜語魔法による多重防御障壁に護られている上、ラグナから離れた場所に移動させたため、アルシュラウナの攻撃に巻き込まれることはない。
だが、数十万本の光の槍による痛撃は、ラグナの想像を絶する破壊力を持っており、その大陸級といっても過言ではないほどの巨躯が既に崩壊を始めていた。手、腕、肩、胸、首、頭、背、翼、尾、足――ありとあらゆる箇所に光の槍が突き刺さり、傷口を広げていくのだから、魔法によって肉体を復元することなど不可能に近かった。
「無駄……無意味……無謀……無明……」
「はっ、無駄かどうかを決めるのはおぬしではないわい! わしの力を、緑衣の女皇の力を見くびるでないぞ!」
「無駄……無意味……無謀……無明……」
同じ言葉を繰り返しながら、アルシュラウナが光背を広げていく。まるで虚空に描き出された呪文のような未知の文字の羅列。それがなにを意味するのかなど、ラグナにわかるはずもない。ただひとつ理解できることがあるとすれば、もはやこの肉体が限界を迎えているということだ。
「我は獅徒アルシュラウナ。百万世界の叡智を司り、百万世界の過去、現在、未来を視るもの。ラグナシア=エルム・ドラース。汝が肉体は、いま、崩壊する」
アルシュラウナが右手をこちらに向けて翳したときだった。
ラグナの体に入り込んでいたすべての光の槍が、爆発した。
「おおおおおおおおおおおおおおっ!」
ラグナは、自身の肉体が粉々に吹き飛ぶ直前には、全魔力を発散しきっていた。それは、自身の護りを度外視する行為であり、光の槍の同時爆発には耐えようがなかった。意識が消し飛ぶほどの衝撃と激痛。目の奥からなにもかもが白く塗り潰され、なにもかもが失われていく。
「ラグナちゃん――!?」
エリナの絶叫が遙か遠くで聞こえた気がした。
「そんな……」
エリナは、ラグナの巨躯が莫大なまでの光の爆発に飲まれ、消滅していく様を目の当たりにして、絶句するほかなかった。
その際、強烈な爆風がエリナを襲ったが、吹き飛ばされもしなかった。ラグナが魔法によって護ってくれていたからであり、その魔法が、ラグナの消滅後も作用し続けているからだろう。
ラグナは、それこそ大陸のような巨躯を誇っていたというのに、あっという間に消滅してしまった。視覚が狂うほどの、耳が壊れてしまうのではないかと思うほどの大爆発のあと、光も音も消え、戦場に静寂が舞い戻ったとき、そこにはなにも残っていなかったのだ。
跡形もなく、周囲の地形ごと消し飛んでいる。
残ったのは、爆発の痕跡であり、爪痕だ。
巨大竜と化したラグナを抹消させるほどの大爆発。その威力は凄まじく、入り組んだ迷宮のような図書館が更地になってしまったような、そんな感覚があった。もっとも、図書館は極めて広大であり、爆発によって消滅したのは、そんな図書館のほんの一部の空間に過ぎない。
「我が視た未来は、いまや絶対的な過去と成り果てた。つぎは汝だ。エリナ=カローヌ」
エリナが茫然としていると、アルシュラウナはそんな風なことをいってきた。
振り向けば、獅徒の周囲に数百本の光の剣が浮かんでいて、それが自分を狙っているのだと、エリナは悟った。
エリナは、透かさず右腕を掲げ、フォースフェザーの能力を発動したが、それでどうなるものでもないということも理解していた。ラグナの魔法が一切通用しなかったように、フォースフェザーの能力も、アルシュラウナには通用しない。
アルシュラウナに通用するのは、未知の存在たるトワの攻撃だけなのだ。
(だったら、トワちゃんが攻撃する隙を作るのよ、わたしが!)
ラグナがそうしたように、自分もそうするべきだ、と、彼女は奮起した。目の前でラグナを失ったことが、彼女の心を昂ぶらせていた。
フォースフェザーの能力は、支援や補助に特化したものであり、相手を攻撃するような能力はない。しかし、敵の注意を引きつけるだけならば、攻撃能力など必要はないのだ。
むしろ、防御に専念したほうがいい。
「無駄……無意味……無謀……無明……」
「そんなこと、やってみなきゃわからないわよ!」
「そうじゃ、その意気じゃ!」
「へっ!?」
「ラグナシア=エルム・ドラース……!」
無感情に思われたアルシュラウナが突如として憤慨したのは、エリナが素っ頓狂な声を上げるのと同時だった。
それは、アルシュラウナにとっても、予期せぬことだったのだろう。
「なぜだ、なぜ……!」
「わしは三界の竜王が一翼、緑衣の女皇ぞ」
ラグナの厳かで力強い声音は、エリナを心底安堵させた。
先程、ラグナの巨躯が消滅した空間になにか強大な力が収束していくのが、感覚としてわかる。それは物凄まじい熱量を持った力の渦であり、エリナは、自身を包み込む防御障壁ごと吸い寄せられるのを認めた。が、抗おうとも思わなかった。なぜならば、その力があまりにもよく知った波長を持っていて、柔らかく、優しく感じられたからだ。
ラグナの気配だった。
そして、力が一点に収束すると、それは現出した。
翡翠色の鱗に覆われた巨大竜。
緑衣の女皇ラグナシア=エルム・ドラース、その偉容を目の当たりにすれば、エリナの安心感は何倍、いや何百倍にも増幅した。そして、その背に辿り着く。
「ラグナちゃん! 無事だったのね?」
「この状態を無事といっていいものかどうかはわからぬがな」
「どういうこと?」
「見てわからぬか?」
「……あ」
エリナは、ラグナが先程より一回り小さくなっていることに気づき、彼女のいいたいことを理解した。
ラグナは、転生竜と呼ばれる存在だ。竜属の王にして、古来よりイルス・ヴァレを管理する三界の竜王のみがそう呼ばれる。転生竜とは、不老不滅の存在であり、死してなお、魂だけとなっても生き続け、やがて肉体を取り戻して復活を果たすという。
実際、ラグナは、エリナたちの記憶の上では、二度、転生を果たしていた。
一度目は、セツナに斃された直後、セツナが発散した魔力を取り込み、二度目は、セツナを護るために命を落とした後、数年前の“大破壊”時に。
そして三度、彼女は、いまエリナの目の前で転生を果たしたのだ。
それも、みずからの魔力を糧とする強引な転生であり、そのためにラグナは膨大な力を使っただろうことは想像に難くない。
「無駄……無意味……無謀……無明……」
「何度も何度もおなじことをいいおる。やってみなければわからぬといったじゃろう。のう、エリナよ」
「うん!」
エリナは、ラグナの力強い発言に全力でうなずいた。




