第三千四百四十一話 百万世界の叡智(四)
ラグナの肉体が一瞬にして変容する。
竜と人間、両方の性質を持った形態である竜人態より、竜属本来の姿であり、最高最大の形態である巨竜態になったのだ。
それこそ爆発的といっていいほどに膨張し、変化する。竜人態とは完全に異なる竜の肉体。強靭極まる筋肉は鎧そのものであり、その上から超硬度の鱗や皮を纏う。首が伸び、翼が巨大化し、尾もより鋭利かつ破壊的になっていく。二本の腕と、二本の足もまた、いずれも強靭無比であり、特に両脚は圧倒的な巨躯を支えるだけの力があった。
セツナと同程度の身の丈しかなかった竜人態に比べると、数十倍、いや、数百倍の質量を誇るその形態は、ラグナが全魔力を解放したことを示してもいた。
竜人態は、セツナたちとともに戦う上では、小回りが利いたり、色々な面で融通が利くということで使いやすくはあるのだが、全力を発揮するには向いていなかった。
一方、巨竜態は、その巨大さから、戦場を選ぶのだが、常に全力を発揮することができるため、獅徒を相手にする上ではこれ以上ない形態といっていい。
そして、全周囲から殺到した神威の光線に対しては、ラグナは、竜語魔法によって周囲の空間をねじ曲げることで対応した。竜語魔法による防御障壁を張るのではなく、周囲の空間を歪めたのは、ただの防御障壁ならば撃ち抜かれる可能性があったからだ。
無数の神威光線は、歪曲空間に激突すると、炸裂するでもなく、あらぬ方向に飛んでいった。やがて、図書館領域の各所で爆発を起こす。
もっとも、ラグナの巨大化による被害のほうが圧倒的といっていいのだが、むしろそれは喜ぶべきことかもしれない。
「どうじゃ、これがわしの力よ」
「さっすがラグナちゃん……」
「じゃあ、どうして最初からそうしなかったの?」
「もっともな疑問じゃが、相手が相手じゃからのう」
「相手?」
「アルシュラウナの実力も能力もわからぬ以上、迂闊なことはできまいて」
もし、最初から巨竜態で挑んでいたとして、アルシュラウナの真の姿を引き出せていたかどうかも怪しいところだ。巨竜態になったからといって、攻撃手段に大きな違いはないのだ。こちらの魔法が通用しない以上、結果は変わらない。
「それにじゃな。この形態になったからといって、わしの魔法があやつに通用するようになったわけでもないのじゃ」
「そ、そうなんだ?」
「あやつには、既知の攻撃は効かぬ。そして、わしの魔法はすべて、既知の攻撃となる。わしは長生きじゃからのう」
長く生きてきて、散々に魔法を行使してきたという事実がある。その事実が百万世界中の記憶を情報として、知識として収集することのできるアルシュラウナの力となっているのだ。ラグナの竜語魔法はすべて無力化されてしまう。
「じゃ、じゃあ、どうやって……」
エリナが、おずおずと口を開いた。どうやって、アルシュラウナを打倒するというのか。その疑問はもっともだった。現状、ラグナには打つ手がない。ラグナの持つ攻撃手段は、尽く無力化されてしまうのだから、どうしようもない。
ラグナはトワを見た。生まれ立ての女神は、どうにもぼんやりとしているように見える。緊張感も危機感もまったくないといった様子だ。戦闘中だということすらわかっていないのではないか。そんな気さえする。
「トワよ。やはり鍵を握るのはおぬしじゃ」
「わたし……」
「あやつにとって未知の存在たるおぬしだけが、あやつを斃すことができる」
それは、先程証明した。
アルシュラウナは、既知の攻撃に対しては終始圧倒的かつ絶対的だが、未知の存在、未知の攻撃に対しては極端に脆弱になる。ただのトワの体当たりにさえ対処できなかったのだ。トワがその全力を発揮してくれたならば、アルシュラウナを打倒することも不可能ではないはずだ。
ただし、先程のように彼女を投げつけ、体当たりをさせても意味はない。既知の攻撃は、アルシュラウナには通用しないのだ。
別の方法、別の手段でもって、アルシュラウナに致命的な一撃を叩き込む必要がある。
そして、獅徒の“核”を破壊するのだ。
「隙はわしが作る。なんとしてもな。トワよ、頼んだぞ。セツナのためじゃ」
「うん。わかった。やってみる。兄様のため……!」
「うむ、その意気じゃ」
トワが俄然やる気を出した様子を見て、ラグナは安堵した。セツナのため、という一言が彼女のやる気に火を点けたようだ。そういうわかりやすさは、嫌いではない。
「わ、わたしは?」
「エリナはわしが護ってやるから安心せよ」
「そういうことじゃなくって……」
「フォースフェザーで応援してくれておるじゃろう。それだけで十分じゃ」
「……うん」
不承不承といった様子のエリナの反応だったが、ラグナには、彼女に構ってやれるだけの余裕はなかった。神威の光が、歪曲空間を貫いてきたからだ。そしてそのまま、ラグナの巨躯に直撃し、皮を灼く。
フォースフェザーの能力によって、元より強靭な肉体の強度はさらに上がっている。故にその程度ではたいした痛みを感じることもないが、歪曲空間が突破されたということは、アルシュラウナによる猛攻が始まるということだった。
「知っている……すべて……解析済み……対処可能……」
アルシュラウナの声が聞こえた。
すると、頭上から無数の光の束が降ってきて、歪曲空間を貫き、ラグナの巨躯に到達した。
ラグナは、すぐさま背に乗せていたエリナを懐に転送しつつ、翼や背中、肩や尾に物凄まじい熱量を感じ取った。莫大な神威の塊が降り注いできて、直撃したのだ。強靭な肉体を貫き、灼いていく。その痛みたるや強烈極まりないが、ラグナは、吼えることで対応した。
竜語魔法を発動し、自身を前方へと吹き飛ばしたのだ。
それは、上空から降り注ぐ光の雨から逃れるのと同時に、アルシュラウナへの体当たりを試みるものであったが、ラグナの巨躯は空中で止まってしまった。
「無駄……無意味……無謀……無明……」
アルシュラウナの巨腕が、ラグナの巨躯を容易く受け止めたのだ。質量では圧倒的な上、魔法で加速したはずの巨躯をあっさりと受け止めてしまうのだから、アルシュラウナの力そのものが以前とは比較にならないほどに高まっていることがわかる。
だが、そんなことはどうでもいいのだ。
ラグナは、アルシュラウナを引きつければいい。そして、隙を作ればいい。そのために全力を尽くすだけのことであり、攻撃が通用しない程度で衝撃を受けている暇はなかった。
だから、そのまま軽々と持ち上げられ、地面に叩きつけられても、なんとも想わなかった。衝撃こそ全身に走ったものの、元より強靭な肉体だ。地面に叩きつけられる程度で傷つくような、そんな柔なものではない。
「無駄……無意味……無謀……無明……」
アルシュラウナが巨腕で虚空を撫でるようにすると、空中に無数の光が生じた。神威の光だ。もはや図書館の本など関係なく攻撃してくるようになった、ということだろう。
「さっきから同じことばかりいいよって!」
ラグナは叫び、魔法を発動させる。
咆哮が翡翠の光となり、一条の光芒となってアルシュラウナに殺到する。しかし、アルシュラウナが右手を翳すと、それだけで翡翠の光芒は溶けて消えた。
(術式を分解されたか)
歪曲空間が突破された時点でわかっていたことだが、アルシュラウナは、ただ竜語魔法の知識があるだけではないのだ。竜語魔法がどのような術式によって構築されているのかを理解し、どうすれば分解できるのかも熟知している。
そして、竜語魔法が発動した瞬間に術式を解析し、分解するための対抗術式を展開しているのだ。
だから、魔法が通用しない。
一方、アルシュラウナの攻撃は、ラグナに通用する。
アルシュラウナの巨腕が生み出した神威の光は、光の槍となってラグナに襲いかかり、巨躯の至る所に突き刺さった。




