第三千四百三十八話 百万世界の叡智(一)
ラグナたちと獅徒アルシュラウナの戦闘は、加速度的に苛烈なものとなっていっていた。
アルシュラウナによる猛攻が止まらず、それどころか手数が増える一方であり、ラグナが攻撃する機会はそう簡単に得られないのだ。
防戦一方とはまさにこのことであり、つぎつぎと飛来する本がその内側に隠された武器でもって攻撃してくるのを、ラグナは竜語魔法で撃ち落としながら飛び回り、なんとかしてアルシュラウナへの攻撃を試みるのだが、アルシュラウナへの攻撃魔法も、獅徒が呼び寄せた本が盾となって防ぐため、届かない。
様々な竜語魔法を用いて、攻撃しているのにも関わらず、だ。
たとえば、拡散する火炎弾は、同様に拡散する本の盾によって防ぎきられた。地面を伝い、対象の真下から立ち上る雷撃の渦も、対象の全周囲で起きる無数の爆発も、対象の現在位置への空間転移攻撃も、対象とその周囲一帯を焼き払う光の奔流も、なにもかもが完璧な対策によって防がれてしまっていた。
よって、アルシュラウナは無傷であり、余裕をもってラグナたちへの攻撃を続けているのであり、ラグナは防御に専念するほかないのだ。
(見切られておる……のか?)
まるで、こちらの攻撃方法を完全に理解しているかのような、完璧な対処法の数々は、ラグナにそのような疑念を抱かせた。
ラグナがこれまで取ってきた攻撃手段は、すべて竜語魔法によるものだ。竜属であり、相手に接近できない以上、その攻撃が竜語魔法一辺倒になるのは当然だったし、竜語魔法だけでも十分に戦えるという算段もあった。竜語魔法対策など、そう簡単にできることではないはずだったし、一方的に攻撃できるものと踏んでいたのだが、どうにも、アルシュラウナには通用しない。
それどころか、完全無欠といっても過言ではないような対策が取られている以上、竜語魔法に頼り切った戦い方では、アルシュラウナを斃すことは愚か、傷つけることすらできないのではないか。
だが、しかし、だとすれば、どうやってアルシュラウナを攻撃するというのか。
なんとか接近し、近接戦闘に持ち込むか。
それでどうにかなるのならばいいが、そう簡単な話ではなさそうに思えた。
アルシュラウナは、ラグナの魔法によって壊滅的な打撃を受けた地点から大きく移動しながら、つぎつぎと本棚から本を呼び出しては、こちらに向かわせてくる。
それら本による攻撃は苛烈だが、威力そのものは決して高くはない。本の中から現れた武器は、剣や槍、斧、鎚といった近接攻撃武器だけでなく、弓が現れ、矢を放ってくることもあったし、魔法の杖が出現し、魔法による攻撃をしてくることもあったが、ラグナが捌ききれないほどのものではなかったのだ。
こちらの攻撃を見切るほどの能力を持ちながら、攻撃手段そのものには決定打となるものがないという点が、アルシュラウナのある意味での弱点かもしれない。
いまのところ、ラグナは防戦一方ではあっても、負傷してもいないのだ。
とはいえ、このまま互いに決定打のない状態で戦闘が継続すれば、いずれこちらが先に力尽きるのは目に見えている。
相手は、獅徒だ。
獅子神皇より無尽蔵の力を与えられているのであれば、力尽きることなどあるはずもなく、“大破壊”の力を取り込むことで膨大な魔力を得たとはいえ、限界のあるラグナのほうが先に消耗し尽くすのは道理だ。
そして、アルシュラウナがそれを狙っている可能性を考えれば、ラグナも苦い顔をせざるを得ない。
四方八方から飛来する無数の本を翡翠色の炎で焼き払い、着地と同時に吼えた。周囲の地面を隆起させることで分厚い防壁を構築する。そうすることで頭上だけを注意していればよくなるが、それではアルシュラウナを攻撃することなどできない。
そんなことは、ラグナもわかりきっている。
「トワよ」
「なに?」
「おぬしはあやつのことを知っておったな?」
「うん。それがどうしたの?」
「なんでもいい。あやつについて知っておることを教えるのじゃ」
「うん、わかった」
トワが嬉しそうな顔をしたのは、ラグナに頼られたからなのか、どうか。ラグナには、トワという少女のことがよくわからない。わからないが、彼女がセツナの妹として、セツナの役に立ちたがっていることだけははっきりとしていたし、その点についてはまったくの同感といってもよかった。
ラグナだけではない。エリナも、そうだ。
セツナのためにこそ、ここにいる。
「アルシュラウナは、獅徒の中でも特別な立場にあったんだって」
「特別な立場?」
「なんじゃそれは」
「えーと……確か、“霊樹”っていうのと関わりがあって、それでネア・ガンディアの軍事力を強化した……とか」
「“霊樹”……?」
聞き覚えのある呼称だと、ラグナが想った矢先だった。
「ラグナちゃん、上!?」
「わかっておる!」
エリナが悲鳴を上げたのは、頭上に巨大な本が出現したからだ。ラグナが作り出した防壁は四方を囲うものであり、頭上には大きな隙があった。それはなぜかといえば、全周囲を防壁で囲うことは、みずからを窮地に追いやる可能性があったからだ。視界を確保し、アルシュラウナの攻撃を常に察知できなければ、危うい。
そして、実際、その通りとなった。
アルシュラウナは、防壁を破壊するよりも、防壁の穴から攻撃する方が得策と考え、実行に移したのだが、その攻撃手段の規模がこれまでとは段違いだったことは、ラグナも予期せぬところだった。
この図書館のどこに眠っていたのかというくらいに巨大な本が、厳かに開く。
すると、表面に無数の波紋が走り、つぎつぎと武器が出現した。剣、槍、斧、鎚、杖、弓――多種多様、無数の武器は、出現と同時に降り注いできた。武器の雨だ。それも集中豪雨といっていい。
ラグナは、吼えた。頭上だけを護ればいい、と、防壁を構築した甲斐があったというものだ。実際、敵の攻撃が一点に集中しているのだから、そこだけを護るように竜語魔法を発動すればよかった。どれだけの集中攻撃も、それを上回る竜語魔法ならばどうとでもなる。
竜語魔法が生み出す翡翠の光の渦が、滝のように降り注ぐ無数の武器を尽く消し飛ばしていく。
その間も、トワによる解説が続いていた。
「“霊樹”は、百万世界中の知識をアルシュラウナに与えた。莫大で膨大な知識の数々を。そのせいでアルシュラウナは壊れてしまった。でも、獅徒だから、壊れようがない。壊れても、死にようがない。滅びようがない。だから、アルシュラウナは生きているし、戦える」
「なんだか、可哀想だね……」
「……そうじゃな」
巨大な本もろともに武器の雨を吹き飛ばすことに成功したラグナは、トワとエリナを抱えたまま、防壁の外へと飛び出した。防壁の内側に籠もっていても、出来ることは限られている。
「しかし、情けは無用ぞ。あやつを斃さねば、セツナとの合流もままならんのじゃ」
「わかってるよ、ラグナちゃん。でも、どうやって斃すの?」
「“霊樹”じゃ」
「へ?」
エリナがきょとんとする側で、ラグナは、にやりとした。トワに話を聞いてよかった。トワのもたらした情報こそ、この状況を打開するにたるものだった。
“霊樹”がアルシュラウナの知識の源だからこそ、ラグナの攻撃が一切通用しなかったのだ。
では、どうするというのか。




