第三千四百三十六話 世界を翔ける虚空の扉(ニ)
メレドがアザークに対し宣戦を布告したのは、つい最近のことだ。
世界全土を巻き込んだ最終戦争は、大陸小国家群に属するほとんどすべての国々を飲み込み、踏み潰し、蹂躙し、滅ぼしている。
メレド、アザークとて例外ではなく、両国とも、西より押し寄せてきた神聖ディール王国の軍勢の前に為す術もなく滅び去った。抵抗はした。だが、聖王国の圧倒的軍事力の前には、メレドもアザークも無力だった。ガンディアという小国家群に於ける超大国を後ろ盾にしても、まったく意味を為さなかったのだ。
そして、三大勢力が同時に動き出し、小国家群を包囲覆滅するようにして進撃を続けたものだから、この世のどこにも逃げ場はなかった。
交渉の余地さえなく、ならばと抵抗を試みても、ただただ敗北を重ねるだけだった。
当時、大陸小国家群は絶望に包まれていたといっても過言ではない。
そして、そのようにして三大勢力によって踏み潰された国々は、本来ならば、そのまま最終戦争の勝者が築き上げたであろう歴史の礎となり、次第に忘れ去られていっただろう。
しかし、そうはならなかった。
最終戦争は、ほどなく予期せぬ幕引きを迎えたからだ。
大崩壊。
ワーグラーン大陸がばらばらに引き裂かれた未曾有の天変地異は、最終戦争によって瀕死の状態だった国々にさらなる致命傷を与えたものの、同時に蘇生する機会をも与えた。
なぜならば、メレドやアザークを蹂躙した聖王国の軍勢が大崩壊直後に姿を消したからだ。
メレドもアザークもすぐさま復興に取りかかり、この数年で多少なりとも国力の回復に成功していた。もちろん、問題がないわけではなかった。むしろ山積みといっていい。しかし、国力の回復に専念した数年は無駄ではなかったし、それによって両国の関係に大きな変化が訪れるのは当然といえば当然の結果だった。
メレドとアザーク。
ガンディアという大樹に寄り添うことで安寧を得ていた国だ。その大樹が根から消え失せ、影に身を潜めることもできなくなったことは、両国の関係を改めさせる契機となったのだ。
この島は、メレドとアザーク、そしてイジュアールのわずかな領土で成り立っていた。メレドはイジュアールの一部を取り込むと、アザークをも飲み込み、島を統一しようと考えた。そうすることでこの混沌たる時代を乗り切るための地盤を築こうとしたのだ。
(しかし、急ぎすぎではないか)
サラン=キルクレイドには、メレド王サリウス・レイ=メレドの考えがよくわからない。いまこの混迷を極める時代を乗り切るために国を強くしたい、というのはわかる。が、そのためにいまこの状況でアザークに攻め込むのは、得策とは想えない。
だが、だからといって彼に国王に進言するだけの確信があるわけではなかったし、立場上、そんなことができるはずもなかった。
彼が部下とともに九死に一生を得たのは、サリウスらに拾われたからであり、メレドで重用されているのもサリウス王のおかげだった。
だからこそ、その恩返しとして、メレドの尖兵を務めている。イジュアール領を落としたのも彼だったし、ほかにも様々な面でメレドに貢献しているのだ。
「サラン隊長」
不意に呼びかけられて、はっとした。自分がいつの間にか考えに耽っていたことに気づいたからだ。場所は、アザーク国境目前の陣地。サラン隊に宛がわれた天幕の中だ。
顔を上げると、副隊長のイルダ=オリオンがこちらを見ていた。普段以上に神妙な表情をしているのが印象に残る。
「……なにか問題でもあったのかね?」
「問題といいますか、なにか、変なんですよ」
「変?」
「とにかく、天幕の外へ出てください」
「ああ、わかった」
いわれるまま、天幕の外へ出てみれば、彼女がなにをいっているのか瞬時に理解できた。それと同時に陣地全体が騒然としていることにも気づく。あまりに考え込み過ぎていて、天幕の外の騒ぎにも気づいていなかったのだろう。
らしからぬことだ、と、彼は想う。
そして、陣地上空の異様な光景を目の当たりにして、茫然とする。
頭上には、夜空が広がっていた。流れる雲の多い、星空。しかし、どんな星々よりも明るく激しく光り輝くものがある。それらは、まるで波紋のように夜空を走り、幾重にも広がり、数多に拡散していた。
なにかよからぬことでも起こっているのか、とは、想わなかった。
なぜならば、光の輪の向こう側に見知った人物の姿があったからだ。
「あれは……シーラ殿」
サランは、懐かしさのあまり、想わず唸った。
サリウス・レイ=メレドは、夜空の下にいた。
南方を、見遣っている。
遙か南方にアザークとの国境があり、そこに彼の配下たるメレド軍が辿り着いている頃合いだからだ。
アザークへの侵攻は、この島の統一を目指すために避けては通れぬ道であり、アザークが同様の野心を隠し持っていた以上、いまこの機を逃すわけにはいかなかった。
無論、メレドの国力の回復および国情の安定化を最優先するべきである、という理屈はわかっている。
しかし、いまをおいてアザークを攻撃する機会はないだろう、と、彼は考えていたし、それこそがメレドを安定させるための最高の方法だとも想っていた。
アザークはいま、表面上安定しているように見えるが、実際は、そうではないのだ。
アザークという国は元々、親ガンディア派と反ガンディア派に分かれ、内部で対立し、血で血を洗う争いを起こすような国だった。そしてそれはどうやらアザークの血筋によるところが大きかったらしく、歴史上、何度となく同じことを繰り返してきている。
そして、いままさに、アザーク国内は二派に分裂していた。
それもこれも、サリウスが手引きしたからではあるのだが、それにしたって上手く行きすぎではないか、と思わなくもない。
「陛下、陛下。あれはいったいなんでしょう?」
「ふむ?」
右から呼びかけられて、サリウスは、そちらを見た。彼の親衛隊が空を指差している。
「光の……扉?」
「扉には見えないよ」
「じゃあ、門」
「門にも見えない」
親衛隊の少年たちのやり取りに心地よさを感じながら、サリウスは、その幻想的な光景を目の当たりにした。夜空に浮かぶ無数の波紋。光の波紋だ。波紋が波紋を生み、空を埋め尽くしていく。夜の闇にちりばめられた宝石のような星々すらも、影が薄くなるほどに。
それが一体なんなのか、サリウスにはわからない。しかし、この世には人知の及ばないことがいくらでもあることを彼は知っていた。
「だが、どうやらどこかへ通じているようだ」
サリウスが目を凝らしたのは、光の波紋の向こう側にこことは異なる空間が映し出されていることに気づいたからだ。見知らぬ光景。見知らぬ風景。見知らぬ世界。だが、知っているものもある。
その見知らぬ世界で戦っている人物のことだ。
(あれは……セツナ殿か)
かつて、大陸小国家群に雷名を轟かせた黒き矛の使い手は、光の波紋の向こう側で、何者かと戦っていた。激しい戦いだった。それこそ、常人の目には追えないほどに疾く、苛烈極まりない激闘。死闘といっていいのだろう。
彼がなぜ、なにものと戦っているのかは、わからない。知る由もない。
しかし、サリウスは、この光景を見ていることそのものに意味があると想った。




