第三千四百三十四話 異変(三)
濛々と立ちこめる爆煙の中、敵の気配が一切変化していないことには気づいていたし、あの程度の攻撃で斃せるような相手だなどと考えたこともなかった。
アズマリアが異世界から召喚した暗紅色の飛竜ラグドルアの力は、強大だ。しかし、当然ながら神々の王と対等以上に戦えるような、そんな大それた存在ではない。もしそのような存在が百万世界の何処かにいて、アズマリアが平然と召喚できるのであれば、そもそも、このような決戦を起こす必要もない。
神々の王をも超える力を以て、聖皇と世界のの契約そのものを消し去れば、最終戦争さえ起きなかったはずだ。
だが、現実には、そんなことはありえない。
獅子神皇の力は、聖皇が数多の神々との契約によって得た絶大かつ無尽蔵に近い力であり、そんなものを持ち合わせている存在など、百万世界を探し回っても見つかるわけがなかった。
ただ、ひとつの可能性を除いては。
「素晴らしい威力ではあるが、それではわたしを傷つけることはできんよ」
唐突に爆煙が消え去ると、言葉通りに無傷の獅子神皇が立っていた。見る限り、外傷ひとつ、掠り傷ひとつついていない。ただし、立っている。それまで玉座に腰を落ち着けたままだった彼が、ついに立ち上がったのだ。というのも、玉座がラグドルアの魔法によって徹底的に破壊されたからだ。
それによってわかったのは、この空間を形成する物質が絶対無敵の強度を持っているわけではないということであり、ナルンニルノルそのものを破壊することも不可能ではない、ということだ。
もっとも、ナルンニルノルだけを破壊することにはなんの意味もない。
獅子神皇を討たなければ、なにも終わらないし、変わらないのだ。
ラグドルアが再び吼えた。竜属特有の術式は、咆哮によって完成し、発動する。いわゆる竜語魔法だ。ラグドルアの咆哮によって発動した竜語魔法は、獅子神皇の周囲の空間を歪曲させると、その中から暗紅色の光線を撃ち出すというものだ。
しかし、四方八方から殺到する数多の光線に対し、獅子神皇は、表情ひとつ変化させない。
「つまらん。これでは先程までと同じだぞ?」
いうが早いか、獅子神皇に殺到していた光線が突如として軌道を変えた。そして、アズマリアに向かってくる。物凄い数の光線が襲いかかってくる様に、アズマリアは、ラグドルアを呼び寄せた。ラグドルアが雄叫びを上げながら、アズマリアの眼前に飛び出す。そのときには、ラグドルアの全身は、強い輝きを帯びていた。竜語魔法だろう。
己の魔法を己で受け止めることになるとは、ラグドルアも想定していなかっただろうが、想定の範囲外だったのは、それだけではなかった。
ラグドルアがその巨躯に張り巡らせたはずの魔法防壁は、つぎつぎと殺到する光線を弾くことも防ぐこともできず、ラグドルアの全身が穴だらけになっていったのだ。
(獅子神皇め、ラグドルアの魔法を強化したのか)
だから、ラグドルアが全身に纏った魔法防壁も意味を為さなかったのだろう。強度が足りなかったのだ。
体中穴だらけとなったラグドルアだったが、まだ息が合った。吼えることで魔法を発動させ、自身の傷を塞ぐと、獅子神皇に向かって飛びかかっていく。全身から莫大な魔力を発散させながら、光の矢の如く、真っ直ぐに。
それは、アズマリアの命令ではない。
ラグドルアの意地なのだ。
在るべき世界において、大いなる覇者として名を馳せる彼にとって、このような一方的な展開は、屈辱以外のなにものでもないのだ。その屈辱を晴らすには、みずからの全身全霊でもって、獅子神皇に手傷のひとつでも負わせる以外にはない。
ラグドルアの考えていることを理解し、アズマリアは、その最期を見届けた。
ゲートオブヴァーミリオンを使えば、彼を本来の世界に送還することは容易い。しかし、覚悟を決めたラグドルアの姿を見れば、そういう考えは起きなかった。
死に様を決めるのは、己自身だ。
他者がとやかくいっていいことではない。
それがたとえまったくの無意味で、無駄な行為であったとしても、だ。
暗紅色の飛竜が、全魔力を解き放ち、一条の光となって獅子神皇の元へ到達した瞬間、その巨躯は、獅子神皇に触れることもできないまま、爆散した。跡形もなく消し飛び、莫大な魔力だけが四方八方に飛び散っていく。
獅子神皇は、降り注ぐ魔力の雨の中、平然とした様子でこちらを見ていた。面白くもなさそうな、そんな表情。
「召喚対象を武器とし、防具とする……実に召喚術師らしい戦い方だが、不完全極まりないそなたでは聖皇のようにはいかないようだな」
「そうだな」
それは、認めざるを得ない。
聖皇と同等の完全なる召喚魔法が使えるのであれば、最初からそうしていた。だが、使えなかった。アズマリアの力では、召喚魔法の発動にすら至らなかった。召喚魔法を使うには、特別な才能と力が必要なのだ。
それでも、アズマリアは諦めなかった。召喚魔法が使えないのであれば、それに類する力を得ればいい、と、考えた。そうして擬似召喚魔法というべき武装召喚術が誕生し、最初の召喚武装としてゲートオブヴァーミリオンが生まれた。
「だが、だからこそ、ということもある」
アズマリアは、不敵に笑った。召喚魔法を使えないからこそ得た力は、いままさにこの状況のためにあったといっても過言ではないだろう。
ゲートオブヴァーミリオンは、常に発動しているのだ。
このイルス・ヴァレ全土を、世界中を巡るほどに。
「ふむ……」
獅子神皇は、アズマリアの反応に多少なりとも不快感を覚えたようだった。
「やはり、そなたは、この状況を、自分の置かれた立場を、世界が陥っている苦境を、なにも理解していないようだな。ならば、わからせてやろう」
厳かな声音で告げてくるなり、獅子神皇が左手を虚空に翳した。すると、獅子神皇の周囲の空中に光の波紋が無数に浮かび上がり、それらは光の幕を形成していった。空中に展開した無数の光の幕を見遣れば、それぞれ異なる風景が映し出されていることがわかる。
セツナたちが映写光幕と名付けていた飛翔船の機能と同じようなことだろう。
ここではない別の空間の現状を映像として空中に投影しているのだ。
そして、それらの光の幕に映し出されているのは、アズマリア以外の突入組の様子だった。
セツナは獅徒ヴィシュタルと対峙し、ファリア、ミリュウ、ルウファ、エインはそれぞれ神将と思しきものと対決していた。シーラ、レム、エスク、ラグナ、エリナ、ウルク、エリルアルム、そしてトワたちも、それぞれに獅徒と激しい戦闘を繰り広げている最中だった。
いずれも異なる空間で戦っているところを見ると、ナルンニルノルに突入した直後の強制空間転移によって、ほぼ一対一となるように振り分けられたようだった。唯一、多対一となって数の上では優勢なのがラグナ、エリナ、トワの三名だが、映像を見る限り、あまり数的優位を生かしているようには見えない。
ほかの戦場も、激闘こそ繰り広げられているものの、だれもが優位を取れておらず、どうにも圧され気味だった。
しかし。
「それで?」
アズマリアは、獅子神皇を見据え、問うた。
「それらがわたしの置かれている立場とどう関係するというのだ? 獅子神皇よ」
獅徒や神将との間に戦闘が起こった場合、一筋縄でいかないことくらい、わかりきっていたことだ。
それが一対一の個人戦となればなおさらのことだ。全員が無事に生きてこの終点に辿り着けるなどという甘い考えは、アズマリアの中にはなかった。
最悪、セツナひとりここに到達すればそれでいいからだ。
そして、セツナがヴィシュタルに負けるとは想えない。
それになにより、なんとしてでも勝たなければならないのだ。
(そのための準備は整えたはずだ)
だから、勝つ。
死獅神皇を討ち滅ぼし、五百年以上の長きに渡る戦いに決着をつけるのだ。




