第三千四百三十一話 選ばれしもの(四)
紅く輝くヴィシュタルの姿は、さながら炎の天使のようだ。
白一色に近かったはずの彼の全身が赤々と輝いているからだろう。頭髪も、肌も、甲冑も、フェザーオブラファエルも、シールドオブメサイアさえも、だ。なにもかもが紅蓮の炎そのもののように輝いていて、彼が先程放った小太陽そのものだったことを暗示している。
つまり、ヴィシュタルが先程作り出していた小太陽は、自分自身であり、故にこそそこにとてつもなく強大な感じ取ったのだろうし、メイルオブドーターの防御障壁を突破されるほどの威力を感知したのだろう。全身全霊の力を込めて突進してきた、というわけだ。
一方、小太陽を形成し、光の嵐を起こしていたヴィシュタルは何者なのか、といえば、小太陽生成中に本物と入れ替わった偽物であり、セツナを誘い込むための罠に違いなかった。
そして、自身の小太陽化も、爆散する偽物も、炎の剣の能力なのだろう。
フェザーオブラファエル同様、なにかしら名称はあるのだろうが、そんなことはどうでもよかった。
大事なのは、相手の能力を知ることであり、その能力への対処法だ。
さらにいえば、紅く輝くヴィシュタルは、白ヴィシュタル以上の神威を発散しており、彼が小太陽化し、小太陽を取り込んだことで己が力を飛躍的に向上させたことが窺い知れる。
「そうだね。否定はしないさ」
より強く、紅い光を発する七支剣のすべての切っ先に火が点る。
「ぼくは、ぼくの目的を、悲願を成就するためには、なんとしてでも生き続けなければならなかった。たとえ、ぼくを慕い、ぼくの元に集ってくれた仲間たち、同胞たちを犠牲にしてでも、ぼく自身が傷つき、斃れるわけにはいかなかったんだ」
ヴィシュタルの左腕に固定された盾が淡く輝く。真円を描く純白の盾。シールドオブメサイア。彼の人間時代からの代名詞であり、彼が率いていた傭兵集団の象徴でもあるそれは、絶対無敵の盾として知られる召喚武装だ。
「ぼくは、選ばれてしまったから」
「シールドオブメサイアに……か」
「そうだよ。君がカオスブリンガーに選ばれたように」
ヴィシュタルがこちらを見た。全身が赤々と輝く中、瞳だけは碧く澄み渡っているのが異様なほどの存在感を主張していた。
「無敵の盾と最強の矛。アズマリアがいう両極の力。世界を変えるだけの力を秘めた存在に選ばれた以上、そこに使命を見出すのは自然なことじゃあないか?」
「ああ、そうだな」
セツナは、ちらりと右手を見た。黒き矛をしっかりと握り締めたままの右手。黒く禍々しく、破壊的な形状をした矛は、ヴィシュタルへの敵意ではち切れんばかりだ。その激情を制御することそのものは、難しいことではない。
彼は、常に黒き矛の神々への敵意を抑え込んできていたのだ。手慣れている。
「そうかもしれねえ。否定はしねえよ」
自分もそうだ、と、セツナも想わなくもない。
黒き矛という最強最悪の召喚武装を呼び出したとき、セツナの人生は開けたといっても過言ではない。あのとき呼び出したものが別の召喚武装ならば、アズマリアも歓迎しなかっただろうし、燃え盛るカランで命を落としていた可能性が高い。
すべては、黒き矛の圧倒的な力がもたらした結果に過ぎず、その絶大な力を手に入れたことにはなんらかの意味があるのではないか、と、考えないこともないではなかった。
ただし、早々にガンディアに属し、レオンガンドに忠誠を誓ったことで、力を持つものの使命について考えている暇も理由もなくなっていったが。
結局、己の手にした力について、黒き矛に使い手として選ばれた理由について、考える時間ができたのは、すべてを失ってからのことだった。
護るべきものを護れず、奪われ、失い、踏みにじられ、心を折られ、そして辿り着いた地獄の底で、ようやく、自分とカオスブリンガーのことを考えられたといっても過言ではなかった。
そして、いまがある。
「だから、俺はここにいる」
セツナは、黒き矛を掲げるのとともに、闇の翅を羽撃かせた。魔力を帯びた鱗粉が、全身の傷という傷に覆い被さり、痛みを和らげていく。治癒力があるわけではない。ただ、傷口を上から塞いだだけのことであり、応急処置だ。
「そうだよ。そうなんだよ」
ヴィシュタルは、どこか嬉しそうに微笑んだ。
「だから、君とぼくはここで決戦をしなければならない。両極の存在に選ばれた者同士」
「どうしても、決着をつけなきゃいけないらしいな」
「それは、最初からわかっていたことだろう。それとも君はあれか? あのとき、ぼくの盾を打ち破って、それで一矢報いたつもりなのか?」
挑発的な発言は、ヴィシュタルらしからぬものではあったが、だからこそ、セツナは、虚空を蹴った。あのときとは、リョハンでのことだろう。変わり果てた世界での予期せぬ再会。セツナが投げ放った矛は、盾に折られることなく、その絶対無敵の守護領域を破壊した。
そのことで多少なりとも溜飲を下げることができたのは確かだが、当然、ヴィシュタルが全力で守護領域を展開していたとは考えていなかった。
「冗談!」
叫び、黒き矛でもって斬りかかれば、ヴィシュタルは盾を翳した。シールドオブメサイアが瞬時に展開した守護領域にカオスブリンガーが激突し、黒く禍々しい魔力が爆発的な勢いで弾けた。凄まじい反動が右手に伝わる。いまの力では切り裂けないことを悟ると、セツナは、左手を掲げた。左手にはロッドオブエンヴィー。髑髏の口腔から溢れた闇が巨大な手を形成し、ヴィシュタルを守護領域ごと握り締める。
「だがよ、おまえがあのとき心を折ってくれたおかげで、俺の心は何百倍にも頑丈になって復活したんだぜ!」
守護領域ごと投げ飛ばせば、ヴィシュタルは、即座に守護領域を解いた。空中で静止し、翼を広げる。三対六枚の翼から無数の羽が発射された。紅く輝く羽の弾丸たち。
「何百倍にも? 魔王に堕ちかけておいて、よくいうよ」
「堕ちてねえからな!」
「……まあ、確かに」
炎の羽弾が螺旋を描きながら迫ってくるその中心で、ヴィシュタルの態度に揺るぎはない。
「良かった。本当に」
「なにがだよ!」
「君が、君のままでいることが、だよ」
「んだよ、気持ち悪い!」
「素直に喜んでくれていいよ?」
「はっ」
冗談めかしていってきながら、炎の羽弾を際限なく発射してくるヴィシュタルに、セツナは、返す言葉もなかった。
もっとも、猛然と殺到してくる無数の羽弾から逃げ切ることそのものは難しいことではない。エッジオブサーストとの同化によって、メイルオブドーターの飛行速度は増大しているのだ。回避し続けるだけならば、なんら問題はなかった。
(避け続けるだけならな)
しかし、それではなんの意味もないことは、セツナだって百も承知だ。
こうなった以上、ヴィシュタルを斃す以外に道はないのだから。
「ところで、セツナ。君はそのままで、このぼくと戦うつもりかい? 戦って、勝つつもりなのかい? そんな状態で。そんな半端な形態で。君の力は、まだまだそんなものじゃあないだろう」
ヴィシュタルが、煽るようにいってくる。
「まさか、全力を尽くさずともぼくを斃せるなどとは想ってはいないだろうね?」
セツナ自身、認めざるを得ないことだ。
炎の剣を翳し、自身も燃え盛る紅蓮の炎の化身の如き彼に対し、力を温存したまま戦うというのは、悪手以外のなにものでもない。




