第三千四百三十話 選ばれしもの(三)
だれよりも優しく、底抜けにひとの良い少年だった。
まるで太陽のようだとだれもが持て囃していた理由もわかりすぎるくらいにわかったし、だからこそ、当時のセツナには受け入れられなかったのだろう。
自分本位にしか物事を見ることが出来ず、受け取ることしかできない子供だったし、なにより、自分と母親以外のすべてに敵愾心を抱いていたような、そんな精神性では、彼を直視することなどできるわけもなかったのだ。
直視すれば、その眩しさの余りに目を灼かれてしまうかもしれない。
そんなことを思ったわけではないにせよ、どこかでそう感じていたからこそ、彼を直視しようとはしなかったに違いない。
いま、こうして変わり果てた彼の姿を直視できているのは、彼が変わり果てたからなのか、セツナが彼という存在を乗り越えることができたからなのか、それはわからない。
少なくとも、クオンへのわだかまりのいくらかは数年前の共闘で解消したといってもよかったし、最終戦争時にクオンが取った行動の真相を知るにつれ、彼に対する偏見を捨てていったものだ。
命を懸けて、この世界を護ろうとしたのだ。
尊敬に値する。
そんな彼が獅子神皇の使徒と成り果て、変わり果てた姿となって目の前に立ちはだかったのには、なにがしかの理由があるのだと想ったし、実際にそれはそうだったのだろう。
だが、いま三度、こうして対峙した上で、話し合いに応じてくれる様子すら見せないとなると、セツナも失望せざるを得ない。
彼の振り翳す運命論など、セツナには知ったことではなかったし、どうでもいいことだ。大事なのは、獅子神皇の打倒であり、そのためには少しでも力を残しておきたいということだ。
つまり、この状況を話し合いで解決できるのであれば、それに越したことはないということだが、ヴィシュタルの様子を見る限りでは、そんな可能性は微塵も残されていないようだった。
「話? いったいなにを話すというんだい?」
ヴィシュタルがなんともいいようのない表情をしたのは、セツナの反応を見て、だろうか。
「ここで、ぼくと君が。なにを?」
「たとえば俺に協力するとかさ」
「……君に協力?」
「獅子神皇の打倒に、だよ。あのときだってほら、俺を助けてくれたじゃねえか」
「あのときとは状況が違う。なにもかもがね」
セツナの発言を一蹴するとともに彼は、頭上に剣を掲げた。
「それにね、セツナ」
紅き剣の枝状の刀身から噴き出した炎が、彼の頭上で燃え広がり、まるで紅い龍の首が無数に絡み合うかのようにして膨張していく。そして球状に形を整えていくと、出来上がったのは、まるで小さな太陽だ。
「ぼくはもう、戻れないんだ」
ヴィシュタルが、紅き剣をこちらに向けて振り下ろすと、小太陽も同時に動いた。もちろん、セツナに向かって、だ。
「は……?」
「戻れないんだよ」
「なにが――」
いいたいのか、とは、聞けなかった。問う暇もなく、吹き飛ばされてしまったからだ。逆巻く光の奔流は、さながら光の嵐だ。防御障壁を纏ったセツナにとっては、ただ吹き飛ばされるだけの攻撃ではあったが、ヴィシュタルにとってはそれだけで十分だったのだろう。
(ちぃっ!)
セツナは、地面に叩きつけられるとともに、まるでその場に縫い付けられたかのように身動きが取れなくなっていた。フェザーオブラファエルによるものであろう光の嵐が吹き荒び続けている。そして、頭上からは小太陽が加速し続けていた。
風の拘束を打破しなければ、小太陽の直撃を受けることになるだろう。ヴィシュタルがとっておきとでもいわんばかりに繰り出し、なんとしてでも直撃させようとしているのだ。小太陽の威力を疑う余地はない。防御障壁を打ち破り、セツナの肉体を焼き尽くすに違いない。
となれば、なんとしてでもこの状況を脱しなければならないのだが、光の嵐による拘束は極めて強力であり、防御障壁ごと地面に押し込められていて、身動きひとつ取れないのだ。となれば、防御障壁を解除するしかないということになるが、そうすると、もうひとつの問題が浮上する。
防御障壁を解除すれば、無防備を曝すことになる、ということだ。
“竜の庭”謹製の防具を身につけ、その上からメイルオブドーターを纏っているとはいえ、セツナは人間だ。人体なのだ。防御障壁の上から抑え込むほどの風圧にその身を曝せばどうなるか、想像するまでもない。
メイルオブドーターに護られた部分以外、瞬く間に損傷し、深手を負い、場合によってはそれが致命傷となること請け合いだ。
(だからといって)
セツナは、小太陽を睨んだ。真紅の大火球は、まさに真夏の上天を灼く烈日の如く、燦たる輝きを発しながら、猛然と距離を詰めてきている。考えていられる時間は残りわずかだ。
(あれを受け止めるなんて賭けに出るのは止めた方がいいな)
ならば、どうするのか。
セツナは、右手の矛を回転させると、切っ先で左太腿を極めて浅く裂いた。鋭い痛みとともに流れ出た血の奥底に風景を視て、黒き矛の能力を発動させる。血を触媒とする空間転移。一瞬、あらゆる感覚が断絶されたが、それらは瞬時に元通りとなった。それだけではない。体の自由さは、光の嵐による拘束を脱したことを示していた。
そして、眼前にヴィシュタルの背中を捉えているのだから、セツナは、内心歓喜した。
隙だらけの無防備極まりない背中に飛びかかるのに躊躇はなかった。なにせ、ヴィシュタルは、フェザーオブラファエルと炎の剣の制御に集中しており、こちらに気づいてすらいなかったからだ。もっとも、それも一瞬のことだ。こちらの姿が掻き消えれば、理解しないはずがない。
セツナがヴィシュタルの背後に肉薄すると、彼がこちらを振り返った。奇妙なくらいに穏やかな微笑を湛えるその反応には、違和感しかなかった。余裕がありすぎる。しかし、セツナは攻撃の手を止めるような真似はしなかった。黒き矛でもってヴィシュタルを袈裟懸けに斬りつける。あっさりと。
そのあっさりとした感覚は、手応えそのものでもあった。
(なんだ?)
まるで豆腐でも切ったかのような手応えのなさに、全身が総毛立つのを認めた。
数え切れない戦闘経験から来る、無意識の警告。
ヴィシュタルの体につけた切り傷、その切り口から火花が散っているのが見えた。
(火花……まさか!?)
セツナが咄嗟にその場から飛び離れた瞬間だった。
ヴィシュタルの傷口から猛然たる爆炎が溢れ出したかと思うと、凄まじいまでの爆風がセツナを襲ったのだ。爆風の直撃を浴びたのは、ヴィシュタルを斬りつけるために防御障壁を解除しなければならなかったからであり、物凄まじい熱と炎の奔流の中で、体中が燃えるような感覚を抱いた。激痛もある。
だが、なにより厄介なのは、爆風で吹き飛ばされた先にヴィシュタルが待ち受けていて、彼の炎の剣がセツナの左肩に突き刺さったことだろう。熱を帯びた刀身が傷口を灼き、左肩が悲鳴を上げる。セツナ自身、絶叫したいところだった。
「自傷による空間転移。あまり感心しないな。もっと自分を大切にしないと」
「自分を大切にしすぎる方の仰ることは違うな……!」
セツナは、“闇撫”でもって炎の剣を掴み取り、左肩から強引に引き抜くと、すぐさまヴィシュタルと向き直った。
ヴィシュタルは、紅く燃えていた。
まるで小さな太陽のように。




