第三千四百二十九話 選ばれしもの(ニ)
黒き矛カオスブリンガーが敵意を発する相手というのは、神属と決まっていた。
無論、神だけというわけではない。神兵、使徒、獅徒、分霊――神に属するすべてものに対し、明確な殺意を持ち、どす黒い悪意と夥しい敵意が、魔王の杖の深淵で渦を巻いている。それは、どんな神に対しても発せられる感情であり、魔王の杖の本能といっていいのだろう。
たとえば、セツナたちに協力的な神々にさえ、その怒りや憎しみに満ちた感情を隠そうとはしなかったし、ともすれば、黒き矛を手にしているセツナ自身がその激情に飲まれそうになることもあった。もしそうなった場合、セツナは黒き矛の強大な力を用いて、マリク神やマユリ神といった神々と戦うことになっていただろう。
もっとも、それはつまり、黒き矛の制御に失敗したということであり、セツナ自身が黒き矛の力に飲まれ、自分を失い、逆流現象の果てに精神的な死を迎えているのだろうが。
そんな黒き矛の怒りは、これまで様々な相手に対し発揮されてきた。
中でも一番大きかったのは、やはり、獅子神皇だろう。神々の王と名乗り、実際にそれだけの力を持つ存在は、魔王の杖にとっても最大最強の敵であるのかもしれないし、だからこそ、許し難く、絶対に滅ぼさなければならないという強い意志を感じたに違いない。
一方、ヴィシュタルはといえば、いままさに獅子神皇に次ぐだけの敵意を抱いているようだった。
ヴィシュタルがシールドオブメサイア以外の能力を用いたことが原因のようであり、そうであるとすれば、ヴィシュタルの発言内容にも間違いがないということなのではないか。
つまり、ヴィシュタルの能力が、カオスブリンガーと戦うために存在しているということだ。
「はっ」
セツナは、猛り狂わんとする黒き矛を落ち着かせながら、左手の杖を掲げた。ロッドオブエンヴィーの髑髏の目の空洞が妖しく輝くと、禍々しい光が放たれる。複雑に蛇行する昏い光は、ヴィシュタルへと殺到するのだが、しかし、彼が振った炎の剣によって打ち払われてしまう。熱気が渦を巻き、昏い光を飲み込み、焼き払う。
さながら、浄化するかのように。
「まるで最初からこうなることが決まっていたとでもいいたげだな!」
「その通りさ」
ヴィシュタルが、翼を羽撃かせた。神々しくも美しい光の羽が舞い散り、彼の飛翔をより優雅なものとする。そして、つぎの瞬間には、セツナの眼前にその姿はあった。炎の剣が爆炎を噴き出しながら、迫ってくる。
「最初からこうなることは、決まっていたんだよ」
ヴィシュタルの斬撃を受け止めたのは、黒き矛によってだった。黒く破壊的で禍々しい矛と、紅く幻想的で神々しい剣の激突。紅き剣が生み出す爆炎は、黒き矛の生み出す力と打ち消し合い、周囲の気温を急激に上昇させるだけに終わった。
「運命がね」
「運命だって? 冗談じゃない」
「冗談じゃないんだよ。本当のことなんだ」
ヴィシュタルが少しばかり儚げな表情をしたように見えたのは、炎の剣が生み出す光の加減だったのか、どうか。
セツナには詳細を確かめる術もなかった。彼がフェザーオブラファエルを展開する様を目撃したからだったし、その直後、ロッドオブエンヴィーの“闇撫”でもって炎の剣を掴み取り、ヴィシュタルごと投げ飛ばしたからだ。
さすがのヴィシュタルも予期せぬ攻撃だったのだろう。彼は、虚を突かれたようにして投げ飛ばされると、空中で静止した。
「どうしたところで、君とぼくは、こうして対決する羽目になっていたんだ」
「それがふざけてるってんだ」
セツナは、怒りを込めて叫んだ。叫びながら、ヴィシュタルに飛びかかる。エッジオブサーストとの同化によって強化されてメイルオブドーターの飛行速度は、ヴィシュタルに匹敵するかそれ以上であるはずだ。事実、ヴィシュタルが動き出すより早く、セツナは、彼の眼前に到達している。
「いまこうして戦っているのは、おまえが立ちはだかったからだろう? 俺の敵として、獅子神皇の使徒として!」
「そうだね。それも否定しないよ」
「おまえが獅徒にならなきゃ、獅子神皇に従わなきゃ、こうはならなかった……違うか!?」
「……ああ、そうだね」
言葉を戦わせながら、矛と剣をぶつけ合う。そのたびに炎が舞い、魔力が拡散した。神威と魔力、正反対の性質を持つ力同士の激突は、空間そのものを激動させ、震撼させる。
熱風が渦を巻いているのは、犠聖の間が燃えているからだ。
祭壇を包み込む花園全体が燃え上がっていた。まるで世界の終わりの景色を演出するかのような炎上ぶりだった。白く美しかった花々の姿は見る影もない。なにもかもが紅蓮の炎に塗り潰されてしまっている。
「でもね、セツナ。そうはならなかったんだよ」
ヴィシュタルが、黒き矛による突きを防御障壁で受け止めて見せた。シールドオブメサイアの能力だろう。現状、全身全霊を込めた一撃でもなければ、その頑強な防御を突破する術はない。
そして、ヴィシュタルが翼を広げ、輝かせた。
「たとえ、何度世界が繰り返されようと、時間が繰り返されようと、ぼくは同じ選択をするだろう。獅子神皇の使徒として転生し、君の前に立ちはだかろう。それがぼくの運命だから」
まばゆい光が視界を塗り潰したかと思うと、凄まじい衝撃がセツナを襲った。空中高く打ち上げられた上、無数の羽が弾丸のように襲いかかってきたものだから、セツナは防御に専念しなければならなかった。防御障壁を構築し、羽弾の数々を受け止める。
「それが、世界の定めた理だから」
「運命だの理だの、おまえ、なにいってんだよ?」
光の羽弾は、防御障壁に衝突すると、大きく爆ぜ、セツナの視界を奪っていく。全周囲が白くまばゆい光に塗り潰され、なにも見えなくなっていく。
これがヴィシュタルの狙いだったのだ、ということに気づいたとき、セツナは、防御障壁を解くのと同時に全周囲に力を解き放った。黒き矛の能力のひとつ、いわゆる全力攻撃と命名したそれは、セツナを中心とした広範囲に破壊の力を拡散するというものだ。
そして、その破壊の力は、球状に膨れ上がりながら、目潰し目的の羽弾を尽く飲み込んでいった。
ついでに、ヴィシュタルの目論見も妨害することに成功したに違いない。
彼は、セツナの視界を奪った隙に死角を突こうとしていたはずだ。
「少しは冷静になれよ。運命なんてものは、自分の手で切り開くもんだろうが! 未来は変えられる。なにもかもが世界に定められ、変えられないのが理だなんて、俺は認めないからな」
「君が認める認めないの話じゃないのさ」
ヴィシュタルは、困ったような表情で告げてきた。
「この世の道理について話しているんだ」
「道理? 屁理屈の間違いだろ」
「なんとでもいえばいい。ぼくは君の敵であり、君はぼくの敵だ。それが世界の定め。この世の道理」
「……もう少し、話のわかる奴だと思っていたんだけどな」
セツナは、少しばかりの失望を込めて、つぶやいた。
ヴィシュタルことクオンに対する感情の複雑さは、セツナ自身にも完全には把握しきれない。クオンとは、この世界に召喚される以前からの因縁があるのだが、それは、たぶん、きっと、おそらく、セツナだけが一方的に抱いていたものだ。
クオンは、ただただ心根の優しい性格をした少年だった。
それがひねくれ者のセツナには眩しすぎて、直視できなかっただけのことなのだろう。
いまならば、わかる。




