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第三百四十二話 目前(一)

 星のない夜空を見上げている。

 月明かりも、星の光も、分厚い雨雲が遮断してしまっているのだ。情緒も気分もあったものじゃない、などと考えて、彼は苦笑した。感傷に浸っている場合でもない。

 そんなわかりきったことを再確認しながら、ゆっくりと息を吐く。吹き抜ける風は寒いものの、息が白くなるほどではなかった。

 九月二十五日。

 この大陸に四季というものがあるのかは知らないが、少なくとも、夏という季節はあった。夏を過ぎると、秋になるのだろうか。少しばかり気になったものの、そんなことはあとでいくらでも調べられるだろう。ファリア辺りに聞けば、すぐにでも答えは帰ってきそうなものだ。

 セツナはいま、《獅子の尾》隊の宿所であるテントの前に立っている。テントの中からはファリアとミリュウの口論が聞こえてくるのだが、彼は首を突っ込まないようにしていた。

(喧嘩するほど仲がいいっていうけどね)

 セツナは、腕に抱いた子犬を見下ろしながら、呆れる思いがした。仲がいいのは悪いことではない。かつての敵も、いまや味方同然の立ち位置にいて、セツナに対して気を許しているような節さえある。

 本心ではなにを考えているのかはわからないものの、彼女から溢れんばかりの好意を感じるのは事実だった。そして、ミリュウの好意はファリアにも注がれているのが、彼女の言動を見ていればよくわかった。

 ファリアも満更ではなさそうだった。とはいえ、ファリアのことだ。警戒を緩めてはいないだろう。

「おまえのご主人様は格好にうるさいらしい」

 子犬に話しかけると、黒い毛玉は眉をぴくりと動かしただけで、こちらを見上げようともしなかった。セツナの腕の中で、小さく丸まっている。

 ミリュウとファリアは、テントの中で着替えをしているのだ。着替えといっても、軍服を身に付け、鎧を纏うだけのことだ。ファリアは、いつもは戦闘服の上に軽装の鎧を着こむ。

 彼女の召喚武装オーロラストームの性質上、敵に接近して戦うということが少ないからだ。遠距離からの狙撃が彼女の戦い方であり、全身を重装甲で覆うよりも、軽く薄い鎧で急所を護る程度に留めることで、狙撃後に素早く移動できるようにしているらしいのだが。

 ミリュウが、その鎧はファリアには壊滅的に似合わないと言い出したのだ。彼女はファリアに似合う格好をさせてやると息巻くと、野営地を走り回り、余っている防具を掻き集めてきたのだから驚きだ。

 そして、セツナは追い出された。彼自身は、既に防具を身につけ、いつでも出撃できる状態だった。しかし、出発までにはもう少し時間がある。

 そうなのだ。ガンディア軍は、もうしばらくすれば、この野営地を引き払い、龍府を目指して進軍する予定だった。

 全体としての準備は、昨日のうちに整っていたという。軍議の成り行きとセツナの意識回復を待つために時間を費やしたということであり、その話を聞いたとき、セツナは申し訳無さと不甲斐なさでいっぱいになった。

 しかし、反省している暇はなかった。

 龍府攻略作戦において、セツナは重要な役割を果たさなければならないのだ。雪辱を果たす機会が与えられたというべきか。

 目が覚めて、ミリュウやファリアと話し合うことのできた時間は、いまや昔の出来事になりつつある。ルクス=ヴェインとの実戦訓練も、記憶の奥に埋没しかけている。学んだことは覚えている。しかし、師との戦いにばかり気を取られているわけにもいかないのだ。

 訓練。

 ルクス=ヴェインを師匠と仰ぐセツナには、ある意味ではいつもより優しい訓練だった。王都滞在中、毎日のように彼の元に通っていたものだが、そのときの訓練とは過酷を極めるものだった。全身の水分が汗となって流れ落ちたのではないかと思うこともあるほどに苛烈な訓練は、セツナの望むところでもあったのだが。

 木剣による打ち合いでは完膚なきまでに敗けた。ルクスの鍛えあげられた肉体と反射、天性の才能には、素人に毛が生えた程度のセツナが敵うはずもないのだ。

 カオスブリンガーとグレイブストーンの打ち合いで、ようやく五分に届くかもしれないといったところだ。いままで幾多の敵を屠ってきた黒き矛をもってしても、“剣鬼”には敵わない。

 昼間の訓練でも、力量の差が身に染みたものだ。病み上がりで疲労も残っていた、というのは言い訳にほかならない。それはルクスも同じだ。いや、ルクスのほうが重傷といってよかった。それなのにセツナの師は戦列に参加し、ドラゴンとの戦いにも興じたらしいのだ。

 恐るべき人物だと、改めて思うのだ。彼に師事してよかったとセツナは心から思う。ミリュウには悪いが、師事する相手を変える気はなかった。武装召喚師に師事するというのも悪くはないのだろう。武装召喚術に精通した人間のほうが、より深く教示してくれるかもしれない。

 しかし、ルクスの教え方が、セツナの性に合っていた。

 訓練の後、今後のガンディア軍の方針について説明を受けた。ドラゴンの出現によって予定は狂ったものの、方針を変えることはないということだった。

 当初の予定通り、龍府を制圧し、ザルワーンの国主ミレルバス=ライバーンを討つ。そのためには、まず、龍府にたどり着かなくてはならないのだが。

「さすがはセツナ様。準備万端のようですね」

 耳心地のいい声に目を向けると、武装した一団がこちらに近づいてくるのが見えた。先頭に立つ女性が携行用の魔晶灯を掲げており、一団の先頭集団を闇の中に浮かび上がらせている。女がふたりに屈強な大男と貴公子然とした人物。

 それに、少年。

 少年が一団の頭領なのは、一目瞭然だった。周囲の人物は、彼の歩く速度に合わせて移動していた。

 セツナは、その少年に対して、いまや感情を荒らげる必要はなくなっている自分に気づいた。

「嫌味っぽいな」

 口をついて出た言葉の軽さが、心境の変化を如実に表している。彼に抱いていた感情が、少しずつ、しかし着実に変わり始めているのだ。それは、この異世界だからこそ起きた変化なのかもしれず、セツナは妙な気分になった。

 しかし、彼にはこちらの感情は伝わっていないようだ。少年は微笑んでいる。

「そんなつもりはないんですが、そう受け取られたのなら申し訳ありません」

「なんで畏まってるんだよ」

「ガンディアにおける君の立場を考えれば当然だろう? ぼくたちは雇われの身。親衛隊長である君を敬うのは自然なことだと思うんだけどね」

 彼が悪びれもせずに告げてきたので、セツナは肩を竦めて応えた。隣の美女は笑みを湛えているが、魔晶灯の女はセツナを警戒しているようだ。大男と貴公子は我関せずといった風を装っているように見える。

《白き盾》の団長と幹部たち。

 クオン=カミヤ、イリス、マナ=エリクシア、ウォルド=マスティア、グラハム――彼らの名前は、しっかりと覚えていた。イリスといえばレオンガンドを襲撃した人物だが、レオンガンド自身が問題にしなかったのだから追求する意味はない。現状、ガンディア軍の一員として働いてくれているのなら文句もない。

 彼らもまた、セツナと同じく出撃準備を完了させ、出陣のときをいまかいまかと待っていたのだろう。クオンだけは《白き盾》の制服に外套といういつもの格好だったが、ほかの幹部たちはそれぞれに防具を身につけている。

《獅子の尾》のテントにきたのは、ただの暇潰しだろう。

 出発まで、もう少し時間がある。

「らしくないことをいうんだな」

 本来のクオンが傲岸不遜な人物だとか、そういうことではない。しかし、彼のセツナへの言葉遣いにしては無理があったのも事実だ。もう少しぞんざいで、無遠慮なのが、セツナの中のクオンという少年だった。

「そんなことをいいだせば、キリがないさ。こんな世界で、自分らしく在り続けるのは難しい」

「……そうだな」

 クオンの言葉を肯定しながら、腕の中で子犬がもぞもぞと動いているのを認める。彼らが来てからだ。犬は鼻が利く。知らない匂いが混じってきたので困惑しているのかもしれない。

 テントの中の口論は聞こえなくなっていた。

 それでも周囲の騒がしさは消えない。準備に追われているのは、なにも《獅子の尾》だけではない。この野営地に集ったすべての戦力が出撃するのだ。ザルワーンとの最終決戦。龍府を落とすには、総力を叩き込む必要があるのだ。

「で、なにか用か?」

「つれないね。明日にはふたりで戦うことになるというのに」

「だからだろ」

 ぶっきらぼうに告げると、クオンはなにがおかしかったのか、ただ笑った。

「まったく、馬鹿げた作戦だとは思うよ。ほかに方法がないのもわかるけどね。本来ならお手上げだ。軍を引いて、戦争を終わらせるために動いたとしても不思議じゃない」

 クオンの感想に、セツナは口を挟もうとは思わなかった。一字一句、同意したいところだが、それも馬鹿馬鹿しい。

 龍府への道中には、ドラゴンがいる。あのドラゴンを通常の戦力で倒すのは難しい。それどころか、武装召喚師であっても厳しいところがある。

 ドラゴンは、召喚武装を模倣した姿に変身することができ、その召喚武装の能力を行使するのだ。オーロラストームの雷撃、カオスブリンガーの剛力、スターダストの爆撃、そしてシールドオブメサイアの鉄壁。

 召喚武装に応じて即座に変態するドラゴンを倒すのは、至難の業だ。しかし、ドラゴンを倒さなければ、ガンディアの勝利はありえない。龍府に到達できないからだ。

 逆をいえば、ドラゴンを倒すことさえできれば、ガンディアの勝利は確定したも同然だ。こちらの総戦力は、龍府のそれを遥かに上回っている。たとえセツナが戦列に加わらずとも、負ける要素はない。

 問題は、ヴリディアのドラゴンなのだ。

 龍府に辿り着く上では避けては通れない存在だった。迂回したところで、ドラゴンの射程範囲から逃れられるかは不明だったし、ヴリディアから遠ざかったところで、ビューネルかファブルネイアのドラゴンに目をつけられる。

 五方防護陣は、ドラゴンと化したことで、より強固な防衛網を構築したのだ。

 それならばいっそ、一点突破するべきだというのがガンディア軍の導き出した結論だ。ヴリディアのドラゴンを撃破し、龍府へと直行すれば、ビューネルとファブルネイアのドラゴンは黙殺できるかもしれない。

 しかし、不安もある。ドラゴンの最大射程を把握できていないのだ。もしかすると、ビューネル、ファブルネイアのドラゴンの攻撃がヴリディアまで到達するかもしれない。そうなればお手上げだ。

 ガンディア軍の一点突破作戦は、本隊の壊滅によって水泡に帰すしかない。

 もっとも、ほかに手立てがあるわけでもない以上、その作戦に賭けるしかなかった。そして、その作戦が失敗する未来は見えない。

「俺とおまえなら、やれるだろ?」

 セツナがクオンの目を見つめると、彼は驚いたように目を見開き、しばらくしてから微笑んだ。

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