第三千四百二十四話 神の声(三)
(神の声……か)
王宮大広間を模した戦場そのものを揺らすほどの大音声を思い出して、ルウファは、ナルドラスを見遣った。ナルドラスは、大戦斧ガンドゼイアを下段に構えながら、こちらの動きを見ている。
先程、大広間の床に大穴を開けた衝撃波は、ナルドラスの大音声が生み出したものに違いない。威圧感と迫力に満ちた大音声こそ、大戦斧とは異なるナルドラスの武器であり、強力な能力なのだ。そして、それが極めて厄介であることは想像するまでもない。
まず、大戦斧ですら脅威なのだ。
ルウファが見る限り、大戦斧ガンドゼイアは、見た目通りの攻撃範囲ではなさそうだった。軽く振り回しただけで大気が渦巻くほどだ。ナルドラスが全力で振り抜けば、広範囲を巻き込む一撃となることだろう。
その上で、声を用いた攻撃手段を持っている。
それがただ衝撃波を発生させるだけならばまだいい。まだ、対処のしようもある。
しかし、ルウファには、それだけではなさそうな気がしてならなかった。
(ほかにもなにかあるはずだ)
それを探るためには、こちらが行動を起こすしかない。
攻撃し、反応を窺うのだ。
幸い、シルフィードフェザーは、近距離、中距離、遠距離とあらゆる距離に対応した攻撃手段を持っている。しかも空中を自在に飛び回れるのだから、万能に近いといってもいい。それになにより、ルウファは、シルフィードフェザーの試練を乗り越え、シルフィードフェザーと心の底から理解し合っていた。
能力を完全に引き出すことができるようになっているのだ。
それはつまり、召喚状態の維持や能力の行使における精神力の消耗を極端に抑えられるということだ。
いままで以上に長時間の戦闘が可能となり、長期戦、持久戦も容易くこなせるようになっていた。
もっとも、ナルンニルノルに飛び込んだ目的を考えれば、ここで持久戦を展開するわけにはいかない。決戦に持ち込み、極力早くナルドラスを討ち斃すべきだった。
そのためにも、相手の能力を知る必要がある。
もちろん、最初から全力を出すことも考慮の内にある。全能力を完全解放し、力だけで押し切るという戦法だ。シルフィードフェザーと理解し合ったいまならば、いままで以上の力を発揮できること間違いなく、神将を相手にしてすら押し切れるかもしれない。
が、その場合、相手の予期せぬ攻撃によって不意を突かれ、せっかくの全力攻撃が空振りに終わる可能性もあったし、なにより、相手の力がこちらを上回っていた場合、どうしようもなくなる。
神将は、おそらく、神兵や使徒、獅徒と同じ存在だ。
神の力によって生まれ変わった証として、“核”を持っているはずだ。つまり、斃すためには、“核”を破壊する必要があるということだ。“核”さえ破壊できれば、どれだけ力の差があろうと関係がないということでもある。
要するに、“核”の在処を探し出すことが先決であり、そのためにも力を温存しておく必要があるということだ。
(最初から全力で戦うのはなしってこと)
ルウファは、自分に言い聞かせると、翼を広げた。そして、空中からナルドラスに向かって無数の羽を飛ばした。風の力を纏う羽は、まるで解き放たれた矢のように、ナルドラスへと殺到する。しかし、数十発の羽弾は、ナルドラスには届かなかった。
ナルドラスが大戦斧を軽く振り上げただけで旋風が巻き起こり、すべての羽弾を絡め取ってしまったのだ。羽弾は、シルフィードフェザーが制御する風の力によって飛翔していた。大戦斧の巻き起こす竜巻によって、その風の力ごと巻き上げられればそうもなろう。
(軽く振っただけでそれですか)
ルウファは、ナルドラスが力の一端すら見せていない事実になんともいえない気分になりながら、つぎの手を打った。
再び、羽弾と飛ばすと同時に、風の弾丸を飛ばしたのだ。空気を圧縮して作り出した風弾と、風の力を纏う羽弾。数十発の羽弾は、直線的に飛翔してナルドラスに殺到し、数十発の風弾は、曲線や放物線を描くようにして対象へ向かう。
すると、そのとき、ルウファは、愕然とした。
ナルドラスの姿が視界から消失していたからだ。
強烈な怖気に襲われ、背後を振り向き様、ルウファは、咄嗟に翼を変形させながら頭上に掲げた。瞬間、凄まじい衝撃が翼からルウファに伝わってくるとともに、火花が散った。激突音が耳を劈き、衝撃波がルウファの顔面や胸を叩く。
結果、そのまま強く吹き飛ばされたが、軽傷で済んだのは、咄嗟の判断が功を奏したからだろう。
ナルドラスが大戦斧を振り下ろす様を見ながら、空中で態勢を立て直す。
先程なにが起こったのかといえば、簡単なことだ。ナルドラスが背後から大上段に振りかぶった大戦斧を振り下ろしてきたのだ。それをルウファは、強靭な刃に変形させた翼で受け止めて見せた。ナルドラスは、本気ではなかった。全力の一撃ではなかった。
だから、シルフィードフェザーの変形程度で受け止められたのであり、激突後に生じた衝撃波の威力もたいしたものではなかったのだ。
それでも吹き飛んだのは、わざとだ。ルウファは、大戦斧が起こした衝撃波を利用して、ナルドラスとの距離を取った。
距離を取りながら、瞬時に翼を展開し、風弾を発射している。百発の風弾が様々な軌跡を描きながらナルドラスに殺到すると、ナルドラスは、何事かを叫んだ。途端にナルドラスの周囲の床がせり上がり、巨大な壁となった。
風弾がつぎつぎとその壁に激突していく。風弾の威力は、決して低くはない。即席に作り上げられた壁を削り取り、ついには壁そのものを破壊して見せたが、そのときにはナルドラスはその場を離れている。
風弾の着弾点より後方に退いたナルドラスは、大戦斧を大きく振りかぶっていた。
(なにを……)
するつもりなのか。
ルウファは、ナルドラスがこちらを見据えていることに不穏なものを感じ取り、すぐさま左に飛んだ。
つぎの瞬間、ナルドラスが大戦斧を振り下ろした。凄まじい斬撃だった。虚空を切り裂き、床に叩きつけられる。そして、空間そのものが切り裂かれ、斬撃が空中を奔った。つい先程までルウファが浮かんでいた空中にも、だ。
飛び退かなければ斬撃の餌食になっていたということだが、ルウファは、そんな斬撃すらもナルドラスの本気とは見ていなかった。
飛ぶ斬撃など、召喚武装の能力としては初歩中の初歩といっていい。ある程度の能力を持つ召喚武装ならば、普通に起こせる程度の現象だ。
ナルドラスの斬撃は、確かに強力だ。大広間の床と天井に長大な亀裂が走っていることからも、その射程の長さが窺い知れるだろう。当たれば、致命的な一撃になりかねない。
しかし、それもこれも当たれば、の話だ。
当たらなければ、どうということはないのだ。
幸い、ルウファには、シルフィードフェザーがある。
シルフィードフェザーの飛行能力を駆使すれば、飛ぶ斬撃を回避し続けることも難しくはないはずだ。
(それに)
ルウファは、空中を飛び回りながらつぎつぎと羽弾や風弾を繰り出しつつ、ナルドラスの行動を見ていた。ナルドラスの声は、衝撃波を生み出すだけではないということは、既に判明している。床を防壁に作り替えたのも、声の力だろうし、いままさに天井からつぎつぎと矢が降り注いできたのも、神の声の能力に違いなかった。
神の声。
まさにその通りなのだ。
声が周囲に作用し、様々な現象を生み出すなど、神の声というほかない。
(厄介な)
しかし、それでこそ戦い甲斐がある、と想わなくもなかった。




