第三千四百二十三話 神の声(ニ)
「神斧ガンドゼイア」
ナルドラスは、大戦斧を頭上で旋回させたのち、石突きを床につけるようにした。
「と、いま名付けたのだが、どうだ? 格好いいだろう」
どこか自慢げなナルドラスの様子は、とてもこれから命のやり取りをしようという相手に見せるものではなかったが、そんなことは彼には関係がないのかもしれない。
余裕があるのだ。
神将の力については、ルウファには、想定できなかった。少なくとも獅徒と同等の力を持っているのは間違いないが、獅徒より強くても不思議ではない。実働部隊として世界中を飛び回っていた獅徒と異なり、神将は、獅子神皇の側に控えていたようなのだ。獅子神皇が側に置くということは、それだけ力を与えられていると見るべきではないだろうか。
少なくとも、神将ナルドラスは、獅徒レミリオン以上の神威を帯びていることは確かだ。それも、レミリオンが神々と融合したとき以上に強大で、目も眩むほどの神威だった。
「古代語で獅子の咆哮という意味だが、そんなことは、いわずともわかろうな」
ナルドラスが講釈を垂れている間も、ルウファは、呪文を唱えている。
ルウファが唱えているのは、古代言語の羅列だ。方式に則った文言の羅列。なぜ、古代言語を一定の方式に従って唱えることが術式となり、武装召喚術を発動させるのか、結局のところ、その理屈は完全には解明されていない。
呪文が術者の精神力を練り上げ、魔力として解き放ち、魔力によって世界に干渉、さらに異世界へと通じるようにする――ということらしいが、なぜ、古代言語にそのような力が備わっているのかはわかっていないのだ。
武装召喚術の発明者であるアズマリア=アルテマックスも、根本的なところは理解できていないのではないか、という気さえする。
問題なく使えているのだ。
そして、いまはそれが重要であり、それだけがすべてといっても過言ではなかった。
戦うための力が必要だから、魔人は武装召喚術を開発し、教え、広めた。
ルウファもまた、力を欲し、武装召喚術を学び、会得した。
それがすべて。
いまこそ、そのすべてを披露するときなのだ。
神の声たる神将ナルドラスを討つ。
たとえそれが実の父の成れの果てであったとしても。
いや、偉大なる父の成れの果てだからこそ、だ。
ルウファは、ナルドラスを見据えたまま、呪文の結語を発した。
「武装召喚」
術式が完成し、武装召喚術が発動する。
全身から力が沸き上がるような感覚があった。そして光。爆発的な光が視界を埋め尽くしたかと思いきや、つぎの瞬間には、純白の外套がルウファの体を包み込んでいた。
召喚武装シルフィードフェザーが、彼の呼びかけに答え、現出したのだ。
それによってルウファのあらゆる感覚が増大した。召喚武装を使用していることによる副作用が、意識を、五感を研ぎ澄まし、増幅する。それこそ、武装召喚師の強さの一因だ。常人が持ち得ないほどの五感の鋭敏さは、戦闘において大いに力を発揮する。
そしてそれによってわかったことは、ナルドラスの異様なまでの神威の膨大さだ。
獅徒レミリオンとは比較にもならない。
などとルウファが分析していると、ナルドラスが目を細めた。
「ふむ……いつ見ても、武装召喚師というのは格好いいものよな」
「……なにを」
言い出すのか、と、ルウファは、訝しんだ。
ナルドラスの表情、態度を見る限りでは素直に感心しているようだった。それが、ルウファにはわからない。なぜ、いま、この状況でそのような反応を見せるというのか。
「本心だよ、ルウファ」
「本心?」
「そう、嘘偽ることのない本心だ」
ナルドラスは、穏やかな表情で告げてくる。
「武装召喚師として活躍し、武功を立て、名声を得るおまえの姿は、バルガザール家の長として、おまえの父として素直に喜ばしく、嬉しいことだった。我が家で一番の心配事といえば、おまえだったのだからな」
「俺が……」
「わたしだけではない。ラクサスもロナンも、だれもかれもがおまえのことを心配していたよ。それはそうだろう。おまえは、バルガザール家の人間だ。二男であり、家を継ぐ立場にないからといって関心を持たれないことなどないのだよ。特におまえは、家を出て行ってしまったからな」
「それは――」
「しかしそれは、おまえがおまえであるためには必要なことだったのだろうな」
まっすぐにこちらを見つめるまなざしには、父親としての様々な感情が含まれているような気がした。“大破壊”で命を落とし、神将として生まれ変わったいまもなお、彼はアルガザード・バロル=バルガザールのままである、とでもいいたげな、そんな姿。
これでは、覚悟が鈍ってしまう。
「だからこうして、我が前に立っていられる。正々堂々と、正面切って、我が敵となって立ちはだかられる。それはそこにおまえがいるからだ」
「俺が……いる」
「武装召喚師ルウファ・ゼノン=バルガザール。おまえが召喚武装を纏い、戦う様を目の当たりにして、どれほど誇らしかったか。どれほど、周囲に自慢したか」
ナルドラスが心の底から嬉しげに告げてくる様は、ルウファにはなんともいえないものがあった。心を揺さぶられ、感情が激しく震える。
「わたしの息子は、この国一番の忠義者である、と!」
「父上……」
ルウファは、どう反応すればいいのかわからなかった。ナルドラスとなった父が、父のままの言葉と心で語りかけてきたのだ。その想い、感情に嘘はない。言葉に込められた気持ちは、本物だ。だからこそ、わからない。わからなくなる。
なにをどうすれば、この状況を収めることができるのか。
そんなルウファの心情を理解してのことなのか、ナルドラスは、大戦斧を軽く振り回した。それだけで大きく唸り、旋風が巻き起こる。
「だが、いまやおまえは我が敵となった。我が斃すべき強大な敵と! 我が主君に弓引く大敵と! ならば、我は全力でもっておまえを斃さねばならぬ。討ち斃し、滅ぼし尽くさねばならぬ」
大戦斧を構えたナルドラスの言葉は、強く、烈しく、ルウファを打った。耳朶に突き刺さり、鼓膜に刻まれる。敵意に満ちた発言。殺意の込められたまなざし。
「我は神将ナルドラス。獅子神皇が将にして、神の声」
ルウファは、頭を振った。
(ああ、そうだ)
ぐちゃぐちゃになっていた感情を纏め上げ、心に静謐をもたらす。
目の前にいるのは、敵だ。
父であって父ならざるものなのだ。
斃すべき、滅ぼすべき相手。
「我が声を聞け」
ナルドラスの大音声は、この空間そのものを激しく揺らした。
「そは、偉大なる百万世界の統率者、獅子神皇が声なり」
その発言が、戦闘開始の合図となった。
なぜならば、ナルドラスの大音声によって空間そのものが揺れ動き、衝撃波が生まれたからだ。衝撃波は、ルウファに襲いかかり、戦闘行動を強いた。防御するにせよ、回避するにせよ、戦闘行動を取らなければ打ちのめされ、最悪死ぬことになる。
ルウファは、瞬時にシルフィードフェザーを展開すると、その場を飛び離れた。
すると、ルウファが立っていた場所の床に大穴が開いた。
それを見る限り、人体を破壊するだけの威力はあるようだった。
つまり、ナルドラスは、ルウファを殺すつもりで攻撃を仕掛けてきたということだ。




