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第三百四十一話 師弟狂宴(三)

「酷くないわ、正当な評価よ」

 ミリュウは胸の前で腕を組むと、相手に冷ややかな視線を注いだ。馴れ馴れしい男は嫌いだった。自分が他人に対して馴れ馴れしくするのも好きではない。

 他人とは距離を置きたいと、常に考えている。

 子供の頃は、そうではなかった。

 魔龍窟に堕ちて、なにもかもが変わった。価値観は激変し、人格さえも変容した。変わらざるを得なかった。でなければ生きていけなかったからだ。

 あの地獄では、人間性を手放せなかったものから順に死んでいった。生き残ったのは狡猾で残忍なものたちであり、人を人とも思わない連中だった。気を許せば、翌日には骸になっているかもしれなかった。

 そんな世界だった。

 他人を信用してはならない。

 他人を受け入れてはならない。

 他人に依存してはならない。

 それがあの地獄を生き抜くための三箇条だった。

 クルードとザインは特別だったのだ。ふたりにだけは、背中を預けることができた。無防備になることができた。あのふたりだけが、彼女の仲間だった。戦友だった。半身とさえいえたのかもしれない。

 しかし、そのふたりももういない。死んでしまった。戦場で、ガンディアの武装召喚師に殺された。

 仕方のないことだ。

 悲しむことはあっても、恨むことはない。

 立場が逆になる可能性もあったのだ。クルードがファリアを殺し、ザインがルウファを殺したかもしれない。ミリュウが、セツナを手にかけていたかもしれない。想像するだけで恐ろしいことだが、そういう未来もあったかもしれないのだ。

 互いに力を尽くした結果だ。

 黙って、受け入れるだけだ。

 けれど、すべてを失ったミリュウは、どうすればいい。

 心の中に生じた空白を、セツナの記憶が埋め尽くしたとして、だれが責められるのか。

(セツナセツナセツナセツナ……か)

 傍から見れば滑稽なことこの上ないだろう。そんなことはわかりきっているのだが、溢れ出る感情を抑えられないのだ。だから、セツナの側を離れられない。冷静に考えれば、異常なことだ。いや、冷静に考えなくても、奇妙な関係だろうが。

 それもまた、仕方のないことだ。彼女の意思だけでは、どうすることもできない。

「ミリュウちゃんはこういってるけど、どう想う? ファリアちゃん」

「どうしてわたしに聞くんですか」

「つれないなあ。俺と君の仲じゃないか」

「どんな仲なんです?」

 ファリアの半眼にも、ドルカはまったく動じる気配がなかった。ある意味大物なのかもしれない。

 そんなところに感心しながら、ミリュウは、彼の副官が面白くなさそうにしているのを見逃さなかった。だからどうということもないのだが。

「度重なる死線を潜り抜けてきた戦友でー、身も心も許しあった仲?」

「いくら軍団長でも怒りますよ。百歩譲って、死線を潜り抜けてきた戦友というのは認めていいとしても」

「百歩譲らなきゃ駄目なのね」

 ミリュウが笑うと、ファリアは当然のようにうなずいてきた。それでもドルカはへこたれない。

「なら戦友ということで」

「はあ……なんなんですか、いったい」

「それはこっちが聞きたいところだな。カミヤ殿が意識を取り戻したっていうから来てみたらこの騒ぎ。いったいどういうことなんだか」

「あの師匠にしてあの弟子あり、といったところです」

 ファリアが諦観とともに導き出した結論がそれなのだろう。彼女は、なにもかもを諦めたような表情で、野営地でぶつかり合うふたりに視線を戻していた。

《獅子の尾》隊宿所前の広場で、訓練という名の激戦を繰り広げるセツナとルクス。黒き矛と碧き剣が交錯するたびに激しい音と光が閃き、まるで戦場そのもののような空気を生み出していた。

 その様子を見守っているのは、ミリュウたちだけではない。ガンディア軍の兵士たちの多くが、ふたりの戦いを固唾を呑んで見守っているようだった。

 観衆の中には、エインやドルカの同僚である軍団長たちの姿も散見されたし、貴族然とした女性の姿もある。軍団長としては、ふたりの訓練をやめさせたいに違いないのだが、口を挟むこともできないようだった。後難を恐れているのかもしれない。

 ミリュウは、この何千人もの人間が注目する中心にいるのがセツナだということが、なぜか誇らしく思えた。まったくもってミリュウ自身には関係のないことなのだが、自分のことのように考えてしまう。

 不意に、空気が変わる。

「何度もいったはずだ。君の動きは直線的にすぎる」

 ミリュウの耳に忠告が聞こえたとき、ルクスの姿は、セツナの繰り出した矛の下を潜っていた。セツナは反撃を恐れ、身を捩ろうとしたが、間に合うはずもない。

 ルクスの剣の柄頭がセツナの下腹部に触れている。ミリュウはセツナの負傷を覚悟した。同時に、ルクスへの師事を止めさせるべきなのだと改めて確信する。病み上がりの最重要戦力に怪我をさせるような男に、師が務まるはずがない。だが。

「くっ……?」

「……あれ?」

 激痛を覚悟して顔をしかめたセツナと、勝利を確信し、優越感に満ちた表情を浮かべていたルクスが、ほとんど同時に戸惑いを見せた。

 ルクスは剣を引くと、柄頭に触れ、首を傾げた。

「おかしいなぁ」

 セツナはセツナで、グレイブストーンの柄頭が刺さったはずの部分を撫で、怪訝な顔をした。

 そのとき、観戦していたガンディアの軍人たちが道を開けた。ひとだかりがふたつに分かれ、その奥から進み出てきたのは、正規の軍人とは異なる空気を纏った一団だった。

 もっとも、そんなことをいったら、ミリュウの周囲には軍人らしい軍人はほとんどいなかったが。ファリアもカインもウルも軍人らしさは皆無だったし、傭兵たちはいわずもがな。ドルカさえ、軍人には見えなかった。

 それはともかく。

「まったく……怪我人がふたり揃ってなにをしているんですか」

 一団の先頭に立つ少年が、セツナとルクスに声をかけた。

 非の打ち所のない顔立ちに均整の取れた体躯。容姿端麗という言葉を体現したかのようであり、美少年といっても過言ではなかった。

 クオン=カミヤ。確か、《白き盾》とかいう傭兵団の団長だったはずだ。そして、セツナの知り合いでもある。この世界来る以前からの。

 ミリュウは、彼とは面識がある。彼が、意識不明のセツナを見舞いにきたとき、セツナの側にいたからだ。

 間近で見ると、セツナ以外には興味を持てなくなったミリュウですら息を呑むほどの容貌は、記憶から消しがたいものだ。セツナと無関係ではないから、というのも大きいが。

 団員たちとともに現れた彼は、盾を抱えていた。純白の盾は見事な真円を描き、黒く歪なカオスブリンガーとは正逆の存在であることを示しているかのようだった。

 シールドオブメサイア。話によれば、無敵の盾だという。ドラゴンの攻撃もまったく寄せ付けなかったというのだから、その能力の凄さもわかるというものだ。

 その力が、セツナの身を守った。

 クオンは、盾を抱えたまま、ふたりに歩み寄っていった。盾は、よく見ると、淡い光を放っている。盾の能力が作用している証だろう。

「また怪我でもしたらどうするつもりだったんです?」

「弟子の無能と嘆くかな」

 悪びれもしないルクスの口振りに、セツナは、唖然としたようだった。

「ひでえ」

 ルクスはセツナの感想など取り合う気もないのだろう。懐から取り出した布でグレイブストーンの刀身についた泥を拭うと、あっさりと鞘に収めた。そういえば、彼は長い鞘を背負ったまま戦っていたのだが、まったく邪魔になっていないようだった。凄腕の剣士なのは間違いない。

 セツナは、そんな師の様子にため息を吐くと、黒き矛を送還した。カオスブリンガーは光に包まれると、無数の粒子となって虚空に散らばり、消えていく。本来在るべき世界へと帰っていったのだ。

 訓練という名の真剣勝負は終わったのだ。

 ミリュウはほっとしたのも束の間、無意識のうちにセツナに駆け寄っていた。ファリアと並んで駆け寄ろうとしている自分に気づく。もっとも、セツナに一番最初に抱きついたのはミリュウでもファリアでもなく、セツナ信者の少年軍団長だったが。

「セツナ様、痛くないですか?」

「あ、うん。だいじょうぶ。クオンのおかげでね」

 セツナは、真っ先に飛びついてきたエインに笑顔を見せたものの、さすがに疲労の色を隠せていなかった。黒き矛の補助がなくなったのもあるだろう。大粒の汗が額からこぼれ落ちた。

「だいじょうぶそうには見えないわよー」

 ミリュウがいうと、彼はこちらに愛想笑いを浮かべてきた。が、ファリアが追い打ちをかける。

「目覚めたばかりだっていうのに、無理しすぎよ」

「あいつが無理をさせすぎなのよ。やっぱりあたしに師事すべきね」

「あなたに任せるのも心配だわ」

「なんでよー」

 ミリュウは口を尖らせたが、彼女の言い分が正しいということは理解していた。自分がセツナになにを教えるというのか。他人に教示できるほど、行儀の良い戦い方をしてきたわけではない。

 武装召喚術こそ、人並み以上の実力はあると自負しているものの、セツナが求めているものは武装召喚術そのものの知識ではないようだ。彼が求めるとすれば、黒き矛を制御するための力。いま以上に力を引き出すために必要ななにか。技術だろうか。技量だろうか。器量だろうか。

 なんにせよ、それはミリュウには教えようがないものかもしれない。教えてあげられるのなら、全身全霊を傾けてもいいのだが。

「仕方がないさ。師匠に剣を向けられたら応えるしかない」

「だからって、怪我をしたら元も子もないでしょ」

「死ぬようなことじゃないよ」

「そういう問題じゃないわよ」

 セツナとファリアの言い合いは平行線を辿りそうだった。そんなとき、観衆となっていた軍人たちの間からどよめきが起こったと思ったら、瞬く間に静寂に包まれた。

 見ると、軍人たちが道を開け、直立不動の姿勢を取っていた。エインが飛び込んできたときと似たような光景ではあったが、そのときよりも強烈な緊張感が兵士たちを包み込んでいる。

 ミリュウは、察した。

「これはいったいなんの騒ぎなのかな?」

 彼女の想像通り、軍人たちの表情を強張らせたのは、彼らの主君だった。レオンガンド・レイ=ガンディア。

 ガンディアの若き王の足取りは軽い。ふたりの側近が慌てるほどで、セツナたちが驚くのも必然だった。

 セツナ、ファリア、エイン、ドルカの四人は、レオンガンドを迎えるために畏まった。それはふたりの傭兵団長も同じで、ルクスですら一応の礼儀は弁えていた。

 ミリュウだけが、ぼんやりと突っ立って、不遜にも王の容貌を直視している。しかし、だれも咎めない。眼中にないだけかもしれない。それはそれで寂しいことだ。

 が、彼女の立場を考えれば、当然ともいえる。捕虜の態度になど、いちいち構ってはいられないのだ。

「師とともに訓練を少しばかり」

 セツナは、恐る恐るといった風に告げた。当然、嘘はいってはいない。事実を告げたまでだろうが、ミリュウが感じた限りでは、あの訓練を少しばかりとはいえまい。

(徹底的に、よね)

 もちろん、ミリュウは茶々を入れたりはしない。主君の前でセツナの評価を落とすようなことはしたくなかった。そう考えた時、自然と畏まっている自分に気づき、胸中で苦笑した。王の前にいるという緊張感はなかったが、自分の態度ひとつでセツナに対する評価が変わるかもしれないという思い込みは、彼女の表情を妙に強張らせるのだ。

「訓練、か。君が強くなるのはわたしとしても歓迎するのだが、なにぶん、君は病み上がりだろう。無理をして、怪我でもされては困るな」

「はっ……」

「君はわたしの矛だ。このガンディアの矛なのだ。そのことを肝に銘じておいて欲しい。敵軍に風穴を開けるのは君をおいてほかにはいないのだからね」

 レオンガンドが、セツナの肩に手を置いた。その言動からセツナへの信頼と期待が現れている。

 セツナは感激したように肩を震わせたが、そのときの表情はミリュウには見えなかった。

 それだけが少し残念だった。

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