第三千四百十七話 神の剣(一)
神将ナルノイア。
かつてのガンディアにおいて、王立親衛隊《獅子の爪》隊長を務めたミシェル・ザナフ=クロウ、その成れの果てだ。
ミシェル・ザナフ=クロウといえば、ラクサス・ザナフ=バルガザールとともに、ガンディアにおける最高位の騎士の称号を与えられた人物だった。当然、ガンディア国王レオンガンド・レイ=ガンディアへの忠誠は厚く、忠誠心の塊のような人物であることはよく知られていたし、ミリュウの記憶にも残っているほどだ。
ミリュウは、王立親衛隊《獅子の尾》に所属していた。が、同じ王立親衛隊だからといって《獅子の爪》隊長であるミシェル・ザナフ=クロウと交流を持つというようなことは、まったくといっていいほどなかった。隊長のセツナや、隊長補佐、副隊長ならば話は別だろうが、ミリュウは良くも悪くも一般隊士に過ぎなかったし、なにより、ミリュウにはセツナ以外眼中になかったのだ。
特にガンディアに在っては、セツナだけが天地のすべてであったのだし、他人に興味を持てというのが無理な話だった。
ただし、ミシェルのひととなりをまったく知らないという話ではない。
理由がどうあれ、同じ王に仕える身であり、近侍しているようなものだ。どうしたところで、耳に入ってくる。
ミシェルのなにごとに対しても真剣に取り組む様は、ガンディアの騎士たるもの斯くあるべしといわれるほどの評判であり、彼をして騎士の鑑であるという声も少なくなかった。実際、騎士として彼ほどの人物は、同じ獅騎たるラクサス・ザナフ=バルガザールを除いてはいなかっただろう。
だからこそ、最高位の騎士なのだ。
それだけに、彼が神将として生まれ変わり、獅子神皇に付き従っているのも納得がいったし、理由を聞く必要もなかった。
獅子神皇の家臣として、神将として立ちはだかった以上、戦い、斃す以外に道はない。
もしこの領域外に脱出出来る方法があるのであれば話は別だが、ないだろう。
(空間転移魔法を使えば……)
あるいは、この領域を脱出することができるかもしれない。
しかし、その場合、神将ナルノイアはどうなるのか。
ミリュウとナルノイアによる一対一の戦いが、いままさに始まろうとしている。
このことを考えるに、ミリュウ以外の突入組の多くが一対一の戦いを強いられているのではないか。セツナは当然のこととして、ファリアもルウファもレムもシーラもだれもかれもが、だ。ナルンニルノルに残っている敵の数と突入組の数を考えた場合、そのような状況になっている可能性は高い。
なぜ、そんな羽目になったのか。
簡単なことだ。
そのほうが、ネア・ガンディア側の勝算が高いからだ。
なにせ、ネア・ガンディア側は最高戦力が揃っている。
獅徒と神将、そして、獅子神皇。
いずれも並外れた力を持つ化け物揃いだ。
連合軍突入組も、セツナを筆頭としていずれも連合軍の中でも特筆するべき戦力ではあるのだが、突入組に選ばれた理由が理由であるため、最高戦力とは言い切れないところがある。
そんな戦力差を見切った上で、ナルンニルノル各所に分散させられたのだとすれば、不利となるのは当然、こちらだ。
そして、もしここでミリュウが擬似魔法による空間転移を成功させ、この剣神の間を脱出した場合、どうなるのか。
ナルノイアがほかの戦場に加勢しにいく可能性は、少なくない。
そしてそうなった場合、ミリュウ以外のだれかが命を落とす可能性が限りなく高くなる。ただでさえ、突入組のだれかが脱落してもおかしくない状況なのだ。
ミリュウの読みが当たっていれば、だが。
(あたしひとりだものね。ほかに考えられないわ)
ミリュウがほかのだれかとともにナルノイアに当てられたという状況ならば話は別だが、そうではない以上、この読みが当たっている可能性は高い。しかも、だ。仮にミリュウがほかの仲間とともにナルノイアに当てられたとしても、空間転移魔法を試している場合ではない。
神将を捨て置けるわけがないのだ。
それで味方の被害が増大したら、目も当てられない。
特にセツナだ。
セツナもおそらく一対一の戦いを強いられているのだろうが、その点に関しては安心して良かった。セツナなのだ。負けるわけがない、と、思える。しかし、そこにナルノイアが加わると、どうなるか。さすがのセツナでも苦戦を強いられるかもしれない。
たとえ討ち斃したとしても、大きく消耗することは想像に難くない。
故に、ここはミリュウがひとりで踏ん張るしかないのだ。
(そうよ、あたしひとりで斃す。相手がだれであれ、ね)
そのためにラヴァーソウルを召喚した。
真紅の太刀の柄を握り締めたミリュウは、一切の油断なく、ナルノイアを見据えていた。
神将ナルノイアは、純白の甲冑を身に纏っている。その鎧の下の白い肉体は、完全に神化していると見ていいだろう。神兵や使徒、獅徒と同じだ。神威によって神化という名の変容を遂げ、人間とは完全に別の存在へと成り果てている。だからこそ、莫大な神威を帯び、凄まじい圧力を放っているのだ。
全身が泡立つほどの威圧感。
まさに強敵と対峙している感覚だった。
顔立ちは、人間時代と然程変わらない。顔も頭髪も眉もなにもかも白く染まり、両目が金色に輝いているだけだ。そしてそれが、彼が人外へと変わり果てた証明でもある。
身に纏う甲冑には、獅子の意匠がふんだんに取り入れられていた。さすがは獅子の国ガンディアの騎士であり、獅騎と謳われただけのことはある、というべきか。絢爛豪華な鎧は、神々しささえ放っているが、それは彼自身の放つ気配そのものでもあった。
神将なのだ。
神々しくて当然というべきなのだろう。
しかし、恐れはない。
まるでなにかがミリュウの心を護ってくれているようだ。柔らかく、温かい力を感じる。セツナの気配。ここにいないはずなのに、隔絶されているはずなのに、どういうわけか、感じる。時空を超えて、感じるのだ。
(これがきっと)
魔王の加護。
あるいは、魔王の祝福。
セツナにとってこの上なく大切な存在であることの証。
「こうして貴殿と対峙することになるとは、あの頃は考えたこともなかった」
不意に、ナルノイアが口を開いた。聞き覚えのある声音。しかし、聞き覚えがあるという程度で、馴染みがあるというわけではない。
「《獅子の尾》隊士ミリュウ・ゼノン=リヴァイア殿」
「あたしもよ、《獅子の爪》隊長殿」
多少丁重に言葉を返しつつ、ミリュウは、ラヴァーソウルを軽く振った。すると、それだけで刀身がばらばらになり、大きめの破片が空中に散らばった――かに見えたが、つぎの瞬間、刀身の破片が見えない力で結びつけられたようになる。
ラヴァーソウルの能力だ。
刀身そのものが超強力な磁力を帯びているのだが、その磁力を制御することにより、破片同士を連ね、鞭のように振り回すことを可能としている。
「でも、容赦なんてしてあげないから」
「それはこちらの台詞だよ」
苦笑が聞こえた。
「我が存在は、陛下の御為にあり」
ナルノイアが腰に帯びた剣を抜いた。それも二本だ。彼は、長さの違う二本の剣を腰に帯びていたのだが、それを同時に抜くと、両手に握って見せた。
ミシェル・ザナフ=クロウが二刀流という話を聞いた覚えはなかった。




