第三千四百十四話 花開き、羽踊る(ニ)
ソウルオブバードは、ハートオブビーストと同じ武装召喚師によってこの世に遺されたものだ。
アバードの武装召喚師セレネ=シドールがシーラのために召喚し、捧げたのがハートオブビーストであり、ソウルオブバードはセレネ自身が愛用していたという。セレネの死後、持ち主が入れ替わり立ち替わった末、エリルアルムの手に収まったのだ。
それも数年前、“大破壊”後のことだった。
シーラが変身した金眼白毛九尾によって龍府にもたらされ、保管されていた召喚武装たち。強力な兵器であるそれらを死蔵しておくのは勿体ないということで利用されることとなり、エリルアルムがソウルオブバードを手にした。
最初、召喚武装の扱い方を知らなかったこともあり、能力を発動することすら困難だったが、配下の武装召喚師たちが懇切丁寧に教えてくれた甲斐もあって、セツナたちと再会するころにはソウルオブバードの能力を十全に発揮出来る程度には扱い慣れていた。
そして、そこからの戦いの日々が、召喚武装使いとしての力の使い方に磨きをかけていった。
龍府での日々よりも、絶え間ない実戦の連続、死線の連鎖を潜り抜けることのほうが、実力を高める上で効果的なのは当然のことだ。
ひとは、経験を積み重ねることで洗練されていくものだ。
そうしてソウルオブバードの使い手として相応しい実力を得たという自負が、エリルアルムをこの戦場に立たせている。
ナルンニルノル・闘心の間。
敵は、獅徒イデルヴェイン。
転生前はどこか小国家群の国を支配する王族だったらしいが、そんなことはどうでもいいことだ。価値観が違うことが判明した以上、拘る道理がない。
ただ、斃すだけだ。
斃し、一刻も早くセツナと合流する。
獅子神皇の討滅こそがナルンニルノルに乗り込んだ唯一の目的なのだ。
獅徒にかまけている場合ではない。
(手強い相手だが……)
それもまた、百も承知ではあった。
だからこそ、最初から全力で行くしかないこともわかっている。
消耗を抑え、余力を残そうとした挙げ句、敗北し、命を落とす結果に終わっては意味がない。たとえ、獅徒撃破によって力が尽き果てようとも、斃せないよりはいい。斃せなければ、セツナの足を引っ張ることになる。それだけは、許せない。
エリルアルムは、己の太腿から引き抜いた短剣を見るなり、ソウルオブバードの能力を発動させた。瞬間、エリルアルムの背中に違和感が生じる。それは皮膚が引き裂かれるのではないかというような痛みであり、肉体に起きた変異の証だった。そして、鉛色の巨大な翼が視界を覆い隠すと、前方上空から殺到した無数の短剣からエリルアルムを庇った。
ソウルオブバードの能力は、ハートオブビーストに似ている。
肉体的な変化をもたらし、身体能力を向上させるという点だけを見れば、まったく同じといっていいのではないか。
差違を上げるとすれば、その肉体的変化の特徴と、能力発動のための触媒だろう。
ハートオブビーストは、血を触媒とし、猛獣を模した肉体的変化を起こすが、ソウルオブバードは、生命力を触媒とし、猛禽を模した肉体的変化をもたらす。
エリルアルムの背中に走った激しい痛みは、ソウルオブバードの能力によって巨大な翼が生えたからだ。肉体と一体化した翼は、だからこそ、エリルアルムの意のままに動き、視界を覆うようにして全身を包み込むことも容易く行える。
一対の鉛色の翼による防壁は、殺到した数百本の短剣の直撃を受けると、耳障りな金属音こそ発したものの、打ち砕かれてしまうようなことはなかった。とはいえ、いくらかは削られ、羽根が何枚も散ったのは間違いない。
重量感たっぷりの翼を開くと、周囲の浅瀬に無数の短剣とともに鉄の羽根が散っていた。水面には陽光が跳ね返っている。
ソウルオブバードの能力のひとつ、アイアンクロウは、金属の翼を生やすというものだ。飛行能力は、ソウルオブバードの能力の中でもっとも低く、空中戦には向かないものの、防御能力においては比肩するものがないほどに優秀だった。
竜の鎧すら砕く短剣の雨を受けて、多少、羽根が散った程度なのだ。その頑強さ、推して知るべし、といったところだろう。
「それがソウルオブバードの能力のひとつ、か。面白い」
どこか愉快そうに笑ったイデルヴェインには、まだまだ余裕があるようだった。
それはそうだろう、と、想う。
獅徒なのだ。
この程度、児戯に等しいのではなかろうか。
「……よく知っている」
「斃すべき敵のことだ。調べられるのに調べないのは愚かというもの」
「貴様は、わたしと戦うことが最初から決まっていた、とでもいいたいようだな」
「そうとも」
「得意の運命論か」
「ふふ」
イデルヴェインは、微笑するとともに剣の切っ先をこちらに向けた。刀身が輝いたかと思うと、周囲に水飛沫が上がる。エリルアルムは咄嗟にアイアンクロウで全身を庇うと、けたたましい衝撃音に眉根を寄せた。
同時にイデルヴェインの能力の厄介さを身に染みて感じる。
斬撃とともに短刃を飛ばしてくるだけならばまだいい。現状の威力と速度では、回避するなり、アイアンクロウで防御するなり、護りに徹すればどうにでもなるからだ。問題は、イデルヴェインの剣から発生した短刃は、落下し、飛ぶ力を失ったあともイデルヴェインの意思によって再び飛びかかってくることだろう。
回避に成功したと思った瞬間、かわしたはずの短刃が死角に突き刺さっている可能性だってあるのだ。
しかも、短刃の生成には剣を軽く振るだけでよく、さらにいえば限度というものもなさそうなのだ。このまま、無数の短刃を投げつけられ続ければ、さすがのアイアンクロウの頑健な羽根も削り尽くされてしまうだろう。そうなれば、エリルアルムの全身もずたずたに引き裂かれるに違いない。
実に嫌らしく、実に厄介な相手であり、攻撃法法だ。
(だが、この程度で音を上げていては……な)
エリルアルムは、アイアンクロウの内側で顔を上げると、両手でもって槍の柄を握り締めた。ソウルオブバードの意思を感じ取り、そこに己の意思を伝える。
召喚武装は意思を持つ。
異世界の何者かが術式によって武器や防具に姿を変えたものなのだから、当然といえば当然だ。そして、そういう契約を結んだ以上、召喚武装となった存在が現状に対し、不平や不満の声を上げることは基本的にはない。
あるとすれば、装備者が気に入るか気に入らないかということであり、それは召喚武装使いにこそ見られる現象だという。
召喚武装の本来の使い手ではなく、まったくの第三者が勝手にその能力を使おうというのだ。召喚武装側からしてみれば、看過できることではない。
つまり、召喚武装使いが召喚武装の真の力を引き出すには、みずから契約を結んだ武装召喚師以上に困難であり、容易いことではない、ということだ。
エリルアルムも、ソウルオブバードの能力を自在に引き出せるようになるまで、苦労したものだった。
いまでは、自分以外の人物を対象に、複数人に翼を与えるといった芸当までできるようになった。それもこれも、ソウルオブバードと根気よく付き合ってきたからだ。
自分以外の他者に翼を与える能力。
それもまた、能力が個人に終始するハートオブビーストとの差違といっていいだろう。
そして、その能力を自分自身に集中した場合、どうなるか。
簡単なことだ。
さらに翼が生え、あらゆる能力が向上する。
エリルアルムは、吼え、アイアンクロウを解放した。




