第三千四百四話 結晶大地の激戦(八)
《その可能性は大いにあります。相手は神々の王――聖皇の力の継承者であり、その側近にはこちらの軍師と同等の戦術家がいる。そう考えれば、こちらの戦術が見透かされていたとしても、なんら不思議ではありません》
ラングウィンは、大多数の神兵を咆哮の一撃で粉々に打ち砕いてみせると、彼女の眷属の飛竜たちがつぎつぎと“核”を破壊していく。
彼女が、このような戦場に在ってどこか悠然とした言動を取る秘密はそこにある。銀衣の霊帝としての自負と尊厳、そして数多の眷属を率いているという事実が、ラングウィンをそのように振る舞わさせるのだ。
それはラムレシアにもわからないことではなかったが、彼女には、ラングウィンのようになれる自信はなかった。なぜならば、ラングウィンとラムレシアには決定的な違いがあるからだ。
ラングウィンには、ラムレシアにおけるファリアのような存在がいない。。
それがすべてだ。
とはいえ、使徒如きに遅れを取るいわれはなく、ラムレシアは、前方で巨大かつ異形の弓を構えた使徒を睨み据えると、羽撃いた。一瞬にして最大速度へと至れば、使徒が矢を番え終えたときには、その頭上を取っている。
使徒。
元は人間の女だったのだろう。整った顔立ちに張り付いたような笑顔が特徴的な女だった。人間の価値観でいえば、美人に当たるのかもしれない。しかし、人間らしさが残っているのは頭部だけだ。それ以外の部分はすべて変容してしまっている。全身、白く塗り潰されたように変色し、変化し、肉体そのものが異形に変わり果てているのだ。
特に注目するべきは腕だ。長く伸びた左腕の先が弓となり、右腕が矢筒のようになっている。無数の矢を同時に発射できるような構造の弓も、無数の矢も、その変容した両腕によるものだった。
背には三対の翼があり、全身には白い衣を幾重にも纏っている。
まさに神の使いそのものといっていい姿をしていた。
神の使いたる徒は、神の影響を受けた結果変容しただけの神兵とは比べものにならない力を秘めている。ただでさえ強化されているはずの神兵とですら、だ。それほどの力を持っているからこそ、不意打ちとはいえ、ラムレシアの翼を貫くことができたのであり、神兵の攻撃ならば、たとえ合体神兵によるものだったとしても、彼女を傷つけることは困難だっただろう。
ラムレシアは竜王なのだ。
三界の竜王の一柱にして、蒼白衣の狂女王。
ラムレシア=ユーファ・ドラース。
故に、使徒程度に負けるわけにはいかない。
《戦術が見透かされていたとしても、問題はない、と?》
ラムレシアは、使徒が素早く弓を掲げる様を見ながら、吼えた。咆哮が魔力の奔流を生み、術式が編み上げられ、魔法が発動する。蒼白い力の渦が咄嗟に放たれた無数の矢を根こそぎ破壊しながら使徒をも飲み込み、その左半身をでたらめに打ち砕いていく。
直後、使徒がなにかを叫んだのは、配下の神兵を呼ぶためだったのかもしれない。だが、それはかなわない。なぜならば、ラムレシアが立て続けに発動させた竜語魔法の数々が、使徒の強靭な肉体を徹底的に破壊し続け、再生さえ許さないまま、“核”をも粉々に打ち砕いたからだ。
強化されているとはいえ、使徒は使徒に過ぎない。
竜王の相手ではないのだ。
油断さえしなければ、不意を突かれるようなことさえなければ、後れを取るようなことはない。
《見透かしていたのであれば、その上でほとんどの戦力をこの地に展開し、我々を待ち受けていたと考えられます。そして、ネア・ガンディア側もナルンニルノルに送り込まれるであろう精鋭部隊を迎え撃つ準備をしていたのではないでしょうか》
《だから、この戦場の戦力を動かす必要はない、と》
《おそらく》
獅徒、神将、そして獅子神皇を加えて十名程度の戦力だけが、ナルンニルノル内部に残っていることがトワによって判明している。つまり、たったそれだけの人数で、どれほどの数になるのかもわからないこちらの精鋭部隊を迎え撃つつもりだということなのだが、そのことについて疑問は持たない。
なぜならば、獅子神皇ひとりで絶対的な力を持っているという前提があるからだ。
世界を滅ぼしうる力を持っているのが、獅子神皇だ。
なんなら、獅子神皇ひとりで待ち受けていたとしても、大差はないのではないか。
そう思えるほどに、獅子神皇と他の力量差は大きく、隔絶されている。
そのように考えれば、ラングウィンがいうことにも納得が行くというものだ。
《だからといって陽動組の戦いに意味がないわけではありませんよ》
《ああ、わかっている》
仮に連合軍全軍がナルンニルノルに乗り込めたとして、その場合、ネア・ガンディア軍もナルンニルノル内部に合流したことだろう。
そうなれば、どうなっていたことか。
混沌とした戦場で、獅子神皇の待ち受けるであろうナルンニルノル中枢を目指す必要があり、しかも、いつ味方が敵に回るかもわからない恐怖とも戦い続けなければならないことを考えれば、陽動組がこの結晶の大地で戦うことに意義はあった。
少なくとも、味方の損害を減らすことには一役も二役も買っているはずだ。
ラムレシアの唯一の不安であり、不満は、ファリアの側にいてやれないことだが、だからといってファリアを信じていないわけではない。
彼女ならば、必ずや生き残り、無事な姿を見せてくれるはずだ。
神々の戦いというのは、不毛だ。
信仰がある限り不滅の存在である神々が相争ったところで、その勝敗を決めるのは困難なのだ。どれだけ体を損壊させたところで立ち所に回復してしまうし、神兵や使徒のように“核”を持たず、滅ぼす方法がない。
一方の神がもう一方の神に対し、圧倒的優位に立ち、極限まで弱らせることができれば、神性を吸収するという方法も取れなくはないのだが、そこまで持って行くことが困難を極めた。
圧倒的な力の差があっても、簡単なことではないのだ。
まず、神という存在を弱らせるということそのものが難しい。
祈りによって無尽蔵に力を得る神をどうやって弱らせるというのか。
一時的に弱らせたところで、立ち所に力を取り戻してしまうのだから、意味がない。
しかも、今回、ハサカラウたちが戦っているのは、圧倒的多数の神々であり、一柱の神を徹底的に弱らせたところで、すぐさま別の神からの横槍が入るため、吸収しようがないのだ。
極限まで弱体化した神から神性を吸収するには、それなりの時間が必要だ。神性を吸収し、みずからの神性と統合することで、その神への祈りすら自分のものとするのだから、当然だろう。神性の統合が完了するまでに攻撃でもされれば、また最初からやり直しになる。
当然、吸収されなかった神は、そこから急速に回復し、また弱らせることから始めなければならなくなる。
「無理か」
ハサカラウは、神の吸収を諦めると、その場から飛び離れた。ネア・ガンディアの神々は、連合軍の神々の中でも特に大きな力を持つハサカラウに集中攻撃を仕掛けてきている。極めて合理的な判断だが、それは、連合軍側にとっても理想的な状況といえた。
連合軍側の目的は陽動なのだ。
勝利ではない。
そうである以上、ハサカラウは、無理に戦おうとする必要はなかったし、勝とうとする必要もなかった。
ただ、それでも神を吸収することで自身を強化したいと思ったのは、そうすることで大活躍できるのではないか、と考えたからだ。
この最終決戦でだれもが目を惹く活躍をしてみせれば、シーラとて、放っては置くまい。
ハサカラウの頭の中には、それだけしかなかった。
故に、負けない。




