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第三百三十六話 遠い願い(二)

「……それだけで十分じゃないか」

「本当に?」

 シールドオブメサイアの声は、甘い。淡く、穏やかで、まるで光そのもののような声色だ。耳を澄まして聞いていれば、心さえ蕩かされてしまうだろう。そんな確信を抱くからこそ、クオンは彼女の声に意識を持って行かれないように注意するのだが。

「……なに」

「本当にそう思っておられるのですか?」

「ああ」

 力強く頷くと、シールドオブメサイアは、心底呆れたようだった。クオンの首や腰に絡めていた腕を解き、虚空を泳ぐように離れてみせる。光り輝く存在は、この夢現の舞台においてなにもかもが自由自在なのだ。重力などあってないようなものだったし、彼女が望めば、いかようにでも変化できるはずだ。

「我が主よ、あなたは綺麗事ばかりを並べ立てる偽善者そのものですね。そんなこと、本当は少しも思っていないくせに。あなたはただ力を欲している。あの竜を打ち倒しうるだけの力を求めている。それだけの力がなければ、ひとびとを救えないから。救世主になんてなれはしないから」

「黙れ」

 いったものの、彼女がこちらの命令を聞かないことはわかっていた。かといって、耳を閉ざすことはできない。シールドオブメサイアが聞かせたがっている以上、その言葉を聞き届けなければならない。クオンに選択肢はない。

「可能性を知ってしまったから、余計に救われない」

「黙れ」

「彼には、その力があるかもしれない。そう思ってしまった」

「黙れ……」

「セツナなら、彼の黒き矛ならば、ドラゴンを倒せるのではないかと期待し、同時に嫉妬してしまった」

「黙れといっているんだ……!」

 声を荒らげて、つぎの瞬間、酷く後悔する自分に気づいた。激情が一瞬にして冷えきってしまうのは、クオンにはよくあることだった。頭が冷えれば、冷静さを取り戻すのは容易なことだ。シールドオブメサイアの優雅な空中遊泳を見遣りながら、目を細める。

 叫んだのは、きっと、図星だったからだろう。シールドオブメサイアを模倣したドラゴンを前にして自分の無力さを実感したのは事実だったし、セツナならば、という考えに及んだのも間違いなかった。セツナとカオスブリンガーならば、ドラゴンを相手に引けをとらない戦いができるのではないか。

「でも、セツナもドラゴンには敵わなかった。あなたは、彼の身を案じる一方、安堵したはずだ。彼が救世主になるなんて、あなたに許せるはずがない」

「許すも許さないもないだろう」

 あまりの馬鹿馬鹿しさにクオンが笑うと、シールドオブメサイアは動きを止めた。その場に直立すると、胸の前で腕組みする。

「せっかく、乗りに乗ってきたというのに、冷水を浴びせられた気分です」

「なにもかもがおまえの思い通りにはならないさ」

「そうですね……確かに、その通りでした。ここは夢と現の狭間の世界。我が主の目覚めが近づけば近づくほど、わたしの影響力は薄くなる」

 つまり、覚醒が近いということだが、彼女はなぜか少しばかり寂しげな口調だった。シールドオブメサイアらしくない態度に戸惑うものの、クオンがかけるべき言葉はない。彼が黙ってみていると、彼女の体が灰色の虚空に溶け始めた。指先や髪の先端が光の粒となって分解していく。

「そうでした。伝えたいことはもうひとつあったのですよ」

「もうひとつ……?」

 反芻するようにつぶやいて、クオンは苦い顔をした。それが、つい今しがた叩きつけられた現実の味なのかもしれない。自分が無力な一個人に過ぎないという現実は、シールドオブメサイアの支配から逃れつつある今でも否定することはできない。

 シールドオブメサイアは、風景に溶けていく自分の腕を見つめながら、あっさりと告げてきた。

「彼が目覚めたようです」

「彼……?」

神矢刹那かみやせつなが意識を取り戻したのですよ。また、戦いの日々が始まるということです」

「セツナが?」

 クオンは、彼女の言葉を素直には受け取れなかった。セツナがドラゴンとの戦闘で負傷し、意識不明のまま眠り続けていたのは間違いないのだが、その情報を彼女が知っているのはおかしなことだ。そう、セツナがドラゴンに敗れたという話も、彼女が知っているのはおかしいことなのだ。

 とはいえ、いままでだって、本来クオン以外なら知り得ない情報をなぜか彼女が知っているということは多々あった。まるでクオンの半身のように、彼の記憶を語り、彼の感情を口にし、彼の心情を熱演した。そうやってクオンの神経を逆撫でにすることだけを生きがいにしているような節が、シールドオブメサイアにはあった。

 彼女の有り様について文句をいえないのは、クオンがシールドオブメサイアに頼らざるを得ない現実がある。シールドオブメサイアの能力は偉大だ。どんな召喚武装を手にしても、シールドオブメサイアに比肩することはなかった。シールドオブメサイアでなければならない。《白き盾》が無敵の傭兵団でいられるのはシールドオブメサイアがあるからこそであり、彼女の助力がなければ、クオンはこの異世界においてなんの発言力も持てなかっただろう。

 救世主になりたい、などという妄言を吐くこともできず、野垂れ死んでいたのかもしれない。

 クオンは、シールドオブメサイアには感謝しているのだ。その意志の顕現である彼女にも優しく接したいのだが、この心が剥き出しになる空間では、自分を取り繕うことも難しい。もっとも、そういう風に己を偽ったところで、彼女には見透かされてしまうのだが。

 ここは彼女の支配領域。クオンの意識が夢と現実の狭間をたゆたう間にだけ開かれる幻想世界。肉の衣さえ纏っておらず、心は丸裸も同然、思いもよらぬ言葉が飛び出すのもこの世界ならではのことだ。自分を制御できない。ときには荒ぶる激情のままに怒声を張り上げることさえあった。

 自分らしくないと思ってみても、抑えられなければどうしようもない。

 しかし、覚醒が近づけば近づくほど、クオンは自分を取り戻していく感覚を抱くのだ。それでもまだ無防備だ。この空間から解き放たれない限り、心を鎧うことなどできない。それでは、ひとは生きてはいけない。あるがままの心を曝して生きていけるほど、ひとは強くはない。クオンも同じだ。いやむしろ、鉄壁の盾の守護に甘えるクオンこそ、己の本心を隠さなければ生きていけないのかもしれない。

 そんなことを考えている間にも、シールドオブメサイアの崩壊は加速していく。現実が近づきつつあるのだ。クオンの肉体が、眠りから覚めようとしている。うんざりするような状況からようやく開放されるのだ。喜びしかないのだが、問い質さなければならないこともあった。彼女がいったことが真実なら、それほど嬉しいことはない。

「セツナが意識を取り戻したというのは、本当なのか?」

「……我が主よ。あなたの心はいつだって彼が最優先。それが少し、寂しい」

 なぜか、彼女はそんな言葉を浮かべてきた。体はすでに半壊していて、残るは胴と頭だけになっていた。それもすぐに分解し、光となって消えてしまう。

 シールドオブメサイアの体を構成していた光が虚空に溶けて消えると、残るのは灰色の世界だけだ。もっとも、天と地、その狭間にあるものすべてが灰色に塗り潰された空間は、地平の果てから崩壊し始めている。破滅的な速度で壊れていく幻想領域の有り様を認めながら、クオンは、愕然とした。

「なにを――」

 シールドオブメサイアの意図も理解できぬまま、彼の意識は破壊の奔流に飲まれた。


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