第三百三十三話 力無き者(二)
「なんだありゃあ」
「あれがドラゴンの真の姿、とかいうんじゃないでしょうね」
「どうだかねっ!」
驚きの声を上げる傭兵たちの中で、ただひとり、“剣鬼”ルクス=ヴェインだけがドラゴンに飛びかかっていった。傭兵として放浪する中で、彼の噂話はよく聞いたものだが、いまではセツナの師匠という立場の人物だ。
(セツナの師匠……か)
クオンが最初にその情報を耳にしたときは、素直に驚いたものだ。セツナに師がつくというのも驚きだったが、その相手が一介の傭兵だというのにも驚きを隠せなかった。もちろん、無名の傭兵ではない。高名な剣士だ。それこそ、ガンディアのみならず、数多の国が喉から手が出るほどに欲しがるような逸材なのだ。ガンディアの思惑もそこにあるに違いない。セツナの師としてルクスをガンディアに拘束することで、《蒼き風》もガンディアの専属にしてしまおうという目論見があるのではないか。
もっとも、《蒼き風》のような傭兵集団にとって、金払いのいいガンディアはありがたい存在に違いなく、彼らからしても悪い話ではないのだろう。だからこそ、受け入れたともいえる。
ルクスは、さすがに剣の鬼といわれるだけのことはあった。ジナーヴィとの戦いにおいて満身創痍の重傷を負いながら、その後遺症をまったく感じさせない戦いぶりは、まさに戦闘の申し子といっても不足はなかった。とはいえ、相手は地中から抜け出せないドラゴンの首だ。攻撃するだけならばだれでもできた。彼の真価を発揮するには物足りなさは禁じ得なかった。だからといってドラゴンに致命的な一撃が加えられたわけでもないのだが。
いまもそうだ。棘の生えたドラゴンに殺到したルクスだったが、彼は龍の首に斬撃を叩き込むこともできなかった。龍の首が震え、その全身にびっしりと生えた棘が飛び出したのだ。ルクスは、飛来した棘を避けるのではなく、剣で叩き落とそうとした。だが、驚くべきことに、グレイブストーンの刀身が刺に触れた瞬間、爆発が起きたのだ。もっとも、爆発は小さかった上、ルクスは盾の守護下にある。彼やクオンたちが驚かされただけに過ぎない。
しかし、ドラゴンの全身から発射された棘という棘が、各所で連続的に爆発を起こしていく様は圧巻という他なかった。爆発の連鎖は音響の渦であり、視覚を潰すかのような光の乱舞だ。シールドオブメサイアの守護は完璧であり、偵察部隊のだれひとりとして爆発に巻き込まれることはない。だが、爆音と閃光の中で、手が出しようがないのも事実だった。
それだけではない。
「スターダストの真似かあ!?」
ウォルドの素っ頓狂な声は、後方のクオンの耳にも届いていた。咲き乱れる爆発の光の中、ウォルドとイリスのふたりはなすすべもなく立ち尽くしている。ドラゴンに近づくこともままならないし、接近したとして、どうすることもできないのではないか。それに、ウォルドのいうことも気になっていた。
ドラゴンの巨躯から発射される棘爆弾は、彼の指摘した通り、スターダストの棘と同質のもののように思えた。
(まさか、ドラゴンが模倣したのか?)
クオンは、光の乱舞の真ん中に超然と聳える巨体に目をやった。棘は、発射したらそれで終わりというわけではないらしい。つぎつぎと新しい棘が生えてきており、棘爆弾の乱射はそう簡単に収まりそうにはなかった。そこもスターダストと同じだ。
雨のように降り注ぐ棘は、なにかに触れるだけで小さな爆発を起こす。クオンたち偵察部隊の人間だけではない。巻き上げられた粉塵に触れるだけで爆発し、その爆発の余波に飲まれて誘爆するのだ。途切れることのない閃光と轟音がクオンたちを襲っていた。爆発による被害は皆無だったが、光と音の二次災害まではどうすることもできない。
「これじゃあ埒が明かんな……後退だ! 後退!」
シグルド=フォリアーの号令も、爆音の嵐の中ではほとんど聞き取れなかった。彼の身振り手振りでようやく理解したものもいるし、一部が後退し始めたことで状況を把握したものも少なくはない。かくいうクオンも、シグルドたちが引き上げてくるのを見て後退を決断した。
「《白き盾》も後退する!」
クオンが叫ぶころには、ウォルド、イリスを始め、前線に向かわせていた団員たちが戻ってきていた。偵察部隊は《白き盾》と《蒼き風》の混合部隊なのだ。《蒼き風》の歩調に合わせるのは当然だった。それに、前線部隊の指揮はウォルドに任せてもいた。彼がシグルドの判断に同調したのだろう。
「調査は打ち切り、といったところですかな?」
「少なくとも、これ以上相手をしている意味は薄いな」
ウォルドに答えながら、クオンはドラゴンを見ていた。
全身に棘爆弾を生やした巨大な爆発物は、こちらの後退行動に満足したのか、棘を飛ばさなくなっていた。地上数百メートルの高度にドラゴンの双眸が輝いている。きっと、地上の動き見えているに違いない。ドラゴンにとってクオンたちなど、人間にとっての蟻に過ぎないのかもしれないが。
いや、だからこそ、怒り狂ったように棘を乱射したのかもしれない。ドラゴンにしてみれば、人間の繰り出す攻撃で打ちのめされるなど考えられなかったのだ。たとえそれが召喚武装の力であっても、ドラゴンにはそれが異世界のものかどうかなど理解できまい。
連鎖的な爆発がなくなると、圧倒的な静寂が場を埋め尽くした。光も音も消えた。静けさとともに闇が降ってきている。戦場となったヴリディア砦周辺の惨状は、筆舌に尽くしがたいものがある。森の木々はドラゴンの転倒によって薙ぎ倒されただけでなく、度重なる爆発によって徹底的に破壊されていた。破壊されたのは、木々だけではない。地面にも大小無数の爆発痕が残り、粉塵が舞い、焦げ付いた臭いが鼻腔を満たしていく。
そんな惨状の中にあって、クオンたちはまったくの無傷だった。それこそ、馬鹿馬鹿しくなるくらいに傷ひとつ負っていない。爆発の嵐は彼らを傷つけることもできなければ、恐怖を与えることにすら成功していなかった。閃光に目を灼かれ、轟音に耳をやられたものはいるかもしれないが、それも感覚的なものにすぎない。鼓膜も網膜も傷つけられてはいないはずだ。
シールドオブメサイアの守護は、十二分に機能していた。
「あれを倒すにはどうすればいい?」
今度は、クオンが問いかけた。
「そうですね。まず、圧倒的な火力が必要でしょうな。最低でも、スターダストの全力を上回る破壊力が必須となります。俺の召喚武装にそんなものはありませんし、マナにもないでしょうね」
「当然、わたしにもないぞ」
「おまえは武装召喚術のひとつも使えないだろ」
「む……」
ウォルドに突っ込まれて、イリスは口をへの字に結んだ。イリスはただ会話に入りたかっただけかもしれない。クオンは微笑したものの、笑っていられるような状況でもなかった。頭上には、未だにドラゴンのご尊顔がある。攻撃してこないのは、こちらがこのまま撤退するのを待っているからだろうか。それとも、棘爆弾が効果ないということを理解したからかもしれない。
どちらにせよ、ある程度の知能はあるとみるべきだ。だからどうだという話ではあるのだが。
「ぼくの召喚武装にも該当するものはないな」
クオンが告げると、ウォルドは困ったような顔をした。
「クオン様がシールドオブメサイア以外の召喚武装を使われるとなると、我々が辛くなりますよ」
「わかっているよ」
ウォルドがいっているのは、盾の守護がなくなれば団員たちがドラゴンの攻撃に曝されるということだ。当然、クオンもそれに含まれる。盾の守護もなしにあのドラゴンに立ち向かうなど、考えるだけで馬鹿馬鹿しいことだ。
「だから、さ。たとえ圧倒的な力があっても、ぼくがそれを扱うことはないよ」
護ることこそ、クオンの戦い方だ。
自分を護り、仲間を護り、味方を護り、そして、勝利する。
絶大な力で敵を捩じ伏せるよりも余程難しく、同時に、とてつもなく効果的なことだ。味方の損害が少なければ少ないほど、勝利の意味も価値も大きくなるものだ。たとえ勝利したとして、自軍が壊滅的な打撃を受けていれば、意味がない。それは勝利とさえ呼べないものだ。しかし、無傷で勝利することができれば、どうだろう。勝利の価値は、まったく別のものになってくる。
そのための盾だ。
シールドオブメサイア。
大袈裟な名前だと、いつも思う。
それでも、それだけの価値のある召喚武装だと彼は信じていたし、それを裏付ける性能を発揮してもいた。実際、爆発の嵐の中で偵察部隊を守り切ったのは、シールドオブメサイアの能力なのだ。
盾を掲げるだけで、戦闘にはなんら寄与しない自分の存在が嫌になることもあった。そういう自分を変えるために別の召喚武装を呼んだりもした。どれもこれもぱっとしない能力を有した召喚武装は、クオンの力になることさえなかった。
シールドオブメサイアだけが、彼の力となった。