第三百三十一話 師弟(二)
「なんでも武装召喚師にやられたそうですね」
「やられたんじゃあない。殺ったんだ」
ルクスが、目を細めて訂正した。カインが目を通した報告書が正しければ、彼の発言は間違いではない。ロンギ川で起きた戦闘において、ルクス=ヴェインは、ザルワーン軍の武装召喚師にして聖将ジナーヴィ=ワイバーンに止めを刺したという。天竜童の巻き起こす嵐の中、彼ひとりで突っ切ったというわけではないようなのだが、少なくとも彼が殺したのは事実だということだ。
ジナーヴィ=ワイバーン。ミレルバス=ライバーンの次男がなぜ、そのような名を告げたのは不明だし、ガンディア軍がそれを尊重する理由も、カインにはわからないが、いまはどうでもいいことだろう。ジナーヴィの遺体から奪い取ったはずの天竜童が、いつの間にか消失していたという話も、いまは問題ではない。
いま、彼が気にするべきは、セツナとルクスの間に蠢く異様な空気のほうだ。互いに牽制しあっているような雰囲気さえある。
「それでも、死にかけたらしいじゃないですか。あとは俺達に任せて静養しておくべきですよ」
「……口だけは達者だね」
「口だけじゃないっすよ。師匠じゃあるまいし」
「いうようになったじゃないか。この戦争で少しは成長したようだね」
「それもこれも、師匠の訓練あってのものですけどね」
セツナは告げたが、本心でいっているのかはわからない。いつにもまして丁寧な口調は本心を隠しているのではないかと思うほどだが、それはカインに対する口調とは大きく異なるからそう感じるのかもしれない。セツナは、カインに対してはいつだって辛辣だ。
「そうかい」
不意に、ルクスの気配が変わった。
「そいつは嬉しいねえっ!」
碧い残光がカインの視界を断ち切ったのは、ルクスの早業に脳がついていけなかったからだろう。ルクスは背に帯びた長剣を抜くとともに横薙ぎに振るい、切っ先をセツナに突きつけたのだ。グレイブストーンの刀身の美しさは、話に聞いた通りだった。澄んだ湖面のように碧く、不純物ひとつ見当たらない。ただひとつ残念なのは、この悪天候だろう。彼の召喚武装は、陽光の中でこそ際立つという話だった。
「ちょっとあんたなにやってんの!?」
「ルクスさん!?」
「おいルクス!」
非難や悲鳴や怒声が響く中、ルクスは長剣を微動だにさせずにセツナを見据えていた。涼しい表情は、外野の声など届いていない証だ。彼の意識にはセツナしかいないのだ。そして、全身から迸る強烈な剣気は、彼が本気であることを示している。
(あれが“剣鬼”か)
カインは、ないはずの右手が疼くような錯覚に襲われて、はっとなった。疼くのは失った右手だけではない。ルクスが発する闘気が、カインの中の闘争本能を揺り起こそうとするのだ。全身が泡立ち、歓喜に打ち震える。戦いが始まろうとしている。
一方、セツナもまた、身じろぎひとつしていなかった。ルクスに師事する彼にとって、ルクスの暴挙は日常茶飯事だったのかもしれない。眼前のグレイブストーンを見つめたまま、彼は静かに口を開く。
「師匠、これはいったいなんの真似ですか?」
「なあセツナ。君は何日寝ていた? 丸一日か、丸二日か? それだけ寝ていたんだ。体も鈍ってしかたがないんじゃないか? 俺が鍛えなおしてやるよ。その性根から、徹底的にね」
ルクスが剣を引いた。と、思った直後、彼の足が地面を蹴っていた。間合いはあってないようなものだ。瞬時に肉薄するルクスに対し、セツナが取った行動は、当然、
「武装召喚」
呪文の結尾を唱えた瞬間、セツナの全身が発光した。爆発的な光の中で、激しい衝突音が鳴り響く。金属同士が激突したような轟音。召喚され、具現する最中の黒き矛が、ルクスの斬撃を受け止めたのだろう。普通ならば考えられないことだが、黒き矛ならばありえると思ってしまえるところに、黒き矛の異常性がある。
光が止んだ。
禍々しい漆黒の矛を手にした少年と、美しい群青の長剣を握った青年が、ごく至近距離で得物をぶつけ合ったまま、睨み合っていた。
カインは、左手でウルを下がらせると、自分も後退した。近くで見ていたいのはやまやまだが、彼らが周囲を考慮するような戦い方をするとは思えない。そんな行儀の良い戦い方をするセツナなど、記憶になかった。彼はただひたすらに本能の赴くままに戦っていた。幼く拙い戦い方だった。それでいて、圧倒的な戦果を上げるのだから恐ろしい。それもこれもカオスブリンガーの性能の高さ故には違いないが、黒き矛を召喚できたのも彼の実力と見てもいい。
黒き矛は、彼の呼びかけに応じ、契約を結んだのだ。
「まったく……怪我をしても知りませんよ」
「自分の心配をしなよ。君の一撃が俺に届いたこと、あったかい?」
挑発しあう師弟の様子に、シグルドもジンもあきれ果てたようだったし、ミリュウとファリアも唖然としていた。
それは、この一同を遠巻きに観察していた軍人たちも同様らしく、カインが一瞥したところ、突然始まったふたりの戦闘にどう反応するのが正しいのか考えあぐねているようにみえた。上官に報告するべきか、このまま見守るべきか。普通ならば前者なのだが、兵士たちがセツナに抱く複雑な感情は、前者を選択することを手間取らせるようだった。
ガンディア軍を構成するガンディア人もログナー人も、セツナ・ゼノン=カミヤという人物に対して特別な感情を抱いている。ログナー人は、彼のことを祖国が滅びた最大の要因と見ており、彼への憎しみは根深いものがある。事実、その通りなのだから仕方のないことだ。バルサー平原での戦いにおいて、セツナは千人以上のログナー兵を殺戮したし、ログナー戦争においても数え切れないほどの首級を上げている。
ログナーの青騎士ウェイン・ベルセイン=テウロスを殺したのもセツナだ。
いまやログナーという国は消え去り、ほとんどの国民がガンディアに帰順したにせよ、セツナを恨む声が消えることはないだろう。身近なひとの死を戦争だから仕方がないと割り切れる人間のほうが少数なのだ。かといって、その感情をセツナに直接ぶつけることもできない。そんなことをすれば自分がどのような目に遭うのかがわかりきっている。
(人間などというのは、弱く、惨めで、卑しいものさ)
一方で、ガンディア軍人がセツナに対して抱く感情というのは、もう少し複雑だ。彼らは黒き矛の活躍を歓迎してはいるのだ。セツナが活躍すればするほどガンディアの勝利に近づくのだから当然だろう。そして、それだけ自分たちの危険は減る。バルサー平原の戦いなどその最たるものであり、バルサー平原に展開したログナー軍を壊滅させたのは、ほとんどセツナ単独の力によるものであり、《蒼き風》も添え物に過ぎなかったという。
ガンディアの正規軍からは損害は出なかったといっていいくらいだった。そのおかげでガンディア軍のログナー侵攻は早まったといってもいいのだが、それは別の話だ。
セツナの活躍を素直に受け止め、彼を応援するものも、必ずしも少なくはない。セツナを猛烈に後援するレオンガンドに習おうとするものもいる。しかし、セツナの戦いを目の当たりにしたものの多くは、彼を恐れるようになったというのだ。少年の姿をした鬼神。戦場の死神。悪魔。軍人たちの間で囁かれる異称こそ、彼らの抱く恐れそのものだといっていい。
その上、セツナは瞬く間に栄達していった。どこの馬の骨ともしれぬ少年が、数ヶ月も立たないうちに王宮召喚師、王立親衛隊長に上り詰めたのだ。しがない軍人たちの虚栄心を刺激し、妬みや反感を買うのはある意味では必然だったのだ。
いまも、ルクスと対峙するセツナを見た軍人たちの表情には、さまざまな感情が揺らめいている。恐怖、不快感、憎悪、嫉妬、好奇、興奮――数多の感情が錯綜し、雨上がりの野営地に奇妙な風景を描き出している。
(面白いことには、なったな)
カインは、仮面の奥で口を歪めた。