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第三百二十六話 狗と魔女(後)

「それは人間そのものだろう」

 カインがいうと、ウルは小首を傾げた。

「そう? んー、そうかもね……」

 不承不承といった彼女の反応を尻目に、彼は、ただ思いつくままに言葉を並べた。

「だれもかれもが我が侭に生きている。いや、生きたいと思っている。自分の想う通りに生き、死ぬことができたなら、どれほど素晴らしいものかと、な。だが、現実はそう甘くはない。大抵の人間は自分の思った通りに生きることなんてできはしない」

 ひとは生まれた瞬間、その出自によって人生の大枠が決まっている。王侯貴族に生まれるか、軍人の家系に生まれるか、平民として生を受けるか。平民の中でも商家に生まれるのか、農家で生まれるのかでも大いに異なるだろう。

 それに、王族に生まれたからといって、上流階級に生まれたからといって思うままに生きられるわけではない。多くの人間は、決められた道を進むしかない。レオンガンドですらそうだ。

 ガンディアの王子として生まれ育った彼は、父王の定めた進路を歩んでいるに過ぎない。王位を継ぎ、ログナーを飲み込み、ザルワーンに挑む。ガンディアにとっては既定路線であり、シウスクラウドの長年の夢なのだろう。

 その中でも、我を通そうとしているのがレオンガンドという人物だ。レマニフラの姫君との婚姻など、その最たるものだろう。シウスクラウドの定めた道筋を自分なりに歪めている。

 もちろん、内的要因だけではない。外的要因の変化も大きい。ザルワーンへの侵攻など、もっと時間をかけて準備してから行う予定だったはずだ。

 だれもが思い通りには生きられない。それでも我儘に振る舞いたがっている。運命を支配するのは自分なのだと想いたいのだ。

「あなたも?」

 不意に前に回り込んだウルが、こちらの目を覗きこんできた。仮面の奥の目から感情を読み取ろうとでもいうのかもしれない。

 当然立ち止まり、彼女を見下ろすことになる。魔女は笑顔の仮面を剥がしている。いつも通りの、なにを考えているのかわからないような表情だ。美人ではある。それは間違いない。

「ん?」

「自分の想う通りに生きて、想い通りに死にたいなんて、考えてる?」

 問われて、彼は黙り込んだ。

 答えがないわけではない。答えられないわけでもない。言葉を選ぶ理由もない。カイン=ヴィーヴルは、他者の反応を窺うような人間ではないのだ。いつだって独善的で、狂的で、タガが外れた存在として世界に認知されている。だれもがそう見ている。そしてそれも間違いではない。

 ランカイン=ビューネルとは、そんな人間だ。

 そうやって生きて、生き抜いた果て、死ぬために火を放った。世界を焼き尽くすなどという妄言を吐きながら、その妄想の中にこそ、彼の現実があった。壊れた人間には、正気と狂気の境界を認識することもできないのだ。

 そして、彼と出遭った。

「そうだな。死ぬのなら、彼に殺されるのがいい」

「セツナ=カミヤ?」

「どんな死に方でも文句はないが、最良の死に方はそれだな。彼ともう一度刃を交えることができるなら、狗になった甲斐があるというものだ」

「狗、ねえ……」

 カインが笑うと、ウルは馬鹿馬鹿しそうに肩を竦めた。彼のセツナへの執着に心底呆れ果てたのかもしれない。だが、こればかりはどうしようもない。カインは、黒き矛の少年と戦ったことで、初めて敗北を味わったのだ。

 絶対的な力の差を魅せつけられた上、殺されもせず、生かされたことも大いに関係があるだろう。生き延びてしまったのだ。あられもなく生き恥を晒していくことだけが、彼に許された道だった。勝手に死ぬことなど、認められはしなかったのだ。大量殺人者だというのにも関わらずだ。

 死ぬことも、ままならない。

 思い通りに生き、思うままに死ぬなど、夢のまた夢だ。

 セツナに敗れ、ウルに支配され、いまやガンディアの狗と成り果てた。

 口の端に笑みを刻む。それも悪くない。小国家群に覇を唱えんとする獅子王の狗ならば、さぞかし戦場には困るまい。たとえ、用済みとなって死地に放り込まれることになろうとも、構いはしない。むしろ望むところだ。

 失った右肩の傷痕に触れながら、歩くのを再開する。ウルは既に隣に戻っていた。彼女はカインに絡むのも飽きたのか、陣中を見回している。つぎの標的を探していたとしても不思議ではないが、レノ=ギルバースがいるのだ。もちろん、彼ひとりに拘る必要もないし、魔女の暇つぶしの今後について考える必要もない。時間の無駄だ。

 カインは前方に視線を戻した。多少、足がふらついている。あるべきはずの右腕を失ったことで、平衡感覚に狂いが生じているのだ。右腕の重量が綺麗さっぱり失われた以上、感覚が狂うのも無理はなかった。といって、対策が取れるようなものでもない。左半身が重いという感覚に慣れるしかないのだろう。

 空に晴れ間は見えない。鉛色の雲が頭上を覆い、いつ降り出しても不思議ではないといった表情を浮かべている。空気感もだ。湿気を帯びた風は、雨の予兆にも似ていた。すぐに降りだすのか、それとも、気まぐれのように晴れるのか。

 ぬかるんだ地面に足が沈み込んでいくのを認識しながら、彼は、足を止めた。

 前方には、いくつもの天幕が立ち並んでいる。中央軍が構築を急いだ野営地は、ザルワーンとの長期戦を想定したものとなっている。四方を土壁で囲い、さらに堀を作るという念の入れようであり、その壁の内側に中央軍、西進軍、北進軍の軍勢が勢揃いしている。

 乱立する無数の天幕と数多の馬車は、壮観といってもいい。天幕に寝泊まりできるのは、基本的には軍の高官であり、レオンガンドら王侯貴族だ。部隊長以下、ほとんどの兵士は馬車で寝泊まりすることを強制されるのだが、不満の声は聞こえない。

 ここは彼らにとって敵地なのだ。寝床があるだけましだったし、馬車の荷台とはいえ、健やかに眠れるのならそれ以上のものはないだろう。最低限の食事にもありつける。この程度で不満を漏らすようなものが軍人としてやっていけるはずもない。

「追い出されたのかしら」

 ウルが疑問符を上げたのは、前方の天幕の前に立ち尽くす女に対してだろう。

「あれも君の支配下なのだろう?」

 カインは、女を観察しながら隣の女に尋ねた。赤毛の女は、ガンディア軍の軍服こそ身に纏っているものの、ガンディア軍人ではなかった。ましてや、《獅子の尾》の隊員であるはずがない。

 女の背後にあるその天幕は、王立親衛隊《獅子の尾》が使用しており、そのことを明示するために簡素な旗が立てられている。

 《獅子の尾》の隊旗はまだ完成していないこともあり、ガンディア王国軍の旗に《獅子のガンディール》と注意書されている程度ではあったが、だれが見てもそこに《獅子の尾》の隊長たちが宿所として利用していることはわかった。

《獅子の尾》隊長といえば黒き矛のセツナだ。ガンディア躍進の要である彼の寝所に近づこうとするような物好きは少ないといっていい。ガンディア軍内でのセツナの評判は、必ずしも良いものではない。

 突如、流星の如く現れた武装召喚師の少年。その活躍によって自分たちの国が領土を広げ、強くなっているという現実を否定するようなものは少ないだろうが、だからといって、彼のすべてを受け入れられるわけでもないのだろう。

 セツナは戦功を立てすぎた。軍人たちが嫉妬をするのもわからなくはないし、むしろ、その活躍を妬まないようなものが向上心を持っているとはいいがたいかもしれない。

 無論、嫉妬だけではない。恐れもある。黒き矛の戦いを目の当たりにしたものの多くは、セツナという少年そのものを恐れるようになった。悪夢を見るようになったと囁くものもいる。

 黒き矛のセツナは、確かに悪夢が顕在化したような存在かもしれない。

 その悪夢の寝所を守るように、女は突っ立っている。もっとも、手持ち無沙汰に陣内を見回しているようだったが。

「そうよ。っていっても、あなたほどきつく縛ってもいないけれど」

「ほう」

「従順なのよ、彼女。あなたと違ってね」

「そうか」

 ウルの言い草に反論する気にもなれない。事実、その通りなのだろう。それは、ランカイン=ビューネルという強烈な個性を支配するのは、簡単なことではないという証明でもあり、カインの中に残ったわずかばかりの自尊心も満たされる。

 満ち足りたところで、走狗の身になにがあるはずもないのだが。

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