第三百二十四話 龍府への道を
ガンディア軍の勝利条件は、龍府の制圧である。
レオンガンド・レイ=ガンディアがマイラムにて掲げた大義を成すには、ザルワーンの首都・龍府を制圧し、国主ミレルバス=ライバーンを断罪しなければならなかった。
先王シウスクラウドの無念を晴らし、ガンディアの正義をこの世に知らしめるには、それしかないのだ。
シウスクラウドが病を得たのは二十年前。当時のザルワーン国主マーシアス=ヴリディアは既に死んでおり、現国主ミレルバスは、シウスクラウドの病に直接関わっているわけではない。しかし、大義の前では些細なことにすぎない。
ザルワーンの悪しき国主を打倒するというのが、ガンディアの正義なのだ。相手がマーシアスであれ、ミレルバスであれ、大差はない。
末端の兵士にしてみれば、信じるに足る正義があればいいのだ。命を懸けるに足るなにかがあればいい。であればこそ、戦える。士気も上がる。戦意も保つ。
しかしながら、軍議の場を包んでいたのは重々しい空気だった。
大将軍アルガザード・バロル=バルガザールの招集によって軍議が開かれたのは、二十五日の午前十時のことだ。
集まったのは、ガンディア軍の中核をなす人物ばかりであり、錚々たる顔ぶれといってよかった。大将軍の左右には、副将のジル=バラムとガナン=デックスが目を光らせている。
会場の左側には左眼将軍デイオン=ホークロウが腰を下ろしており、彼の近くにはケイト=エリグリッサ軍団長とレノ=ギルバース軍団長がいた。
レノ=ギルバースが、ログナー方面軍の軍団長でありながら、デイオン将軍の側にいるのは、北進軍として行動をともにしてきたことが影響しているのかもしれない。ケイトは中央軍に属していたものの、ガンディア方面軍第五軍団長としての本能がデイオンの側に落ち着かせたのだろうか。
右側には、デイオンとは対照的に右眼将軍アスタル=ラナディースがいる。ドルカ=フォームとエイン=ラジャールらログナー方面軍の軍団長が、右眼将軍の左右を固めている。
そして、大将軍と対面に位置する席には、ルシオンの王子ハルベルク・レウス=ルシオンとミオンの突撃将軍ギルバート=ハーディが席を並べており、バレット=ワイズムーンもその隣にいた。バレットはレオンガンドの側近であり、軍議の成り行きを見届けるために参加しているようだった。
レオンガンド自身がここにいないのは、大将軍に指揮を任せているからにほかならない。
大将軍とは、ログナー併呑後、ログナー軍を吸収して膨張した人員を整理し、再編する際に新設した役職である。その実態は、ガンディア軍の全権を掌握する存在であり、レオンガンドが彼にすべてを一任するのも当然だといえた。
将軍と軍団長たちが囲む卓の上には、ザルワーン領土の地図が広げられている。ナグラシア、バハンダール、ゼオル、マルウェール――攻略済みの都市には印が刻まれており、残るはスマアダ、スルーク、ルベン、そして首都・龍府の四都市だけである。
その四都市の内、スマアダはジベルによって制圧されたという情報が入ってきていた。火事場泥棒とでもいうべきか。
いや、ジベルが好機を見逃さなかっただけにほかならない。ザルワーンの注意は、侵攻してきたガンディア軍のみに向けられていた。中央から程遠い国境付近の都市を奪い取るには絶好の機会だった。
それでも、ガンディアによるザルワーン侵攻の直後に動き出さなかったのは、ジベルの用心深さの現れだろう。ガンディアが早々に敗れ、軍を引けば、ザルワーンはスマアダに手を出したジベルに牙を剥くに違いなかった。
いまなのだ。ガンディア軍がザルワーンの各都市を降し、勝勢に乗るいまこそが、ジベルにとって最大の好機だったのだ。ジベルはおそらく、メリス・エリスも手中に収めるだろう。
メリス・エリスはグレイ=バルゼルグの蜂起以来、ザルワーンのものとはいえなくなっていた。グレイの軍勢がガロン砦に篭もり、旧メリスオール領を占拠したのも同然だったからだ。
そして、ジベルはグレイ軍を陰ながら支援していた形跡がある。ジベルは、グレイが配下になることを望んでいたかもしれない。グレイ=バルゼルグほどの人物を支配下に置くことができれば、ジベルの軍事力は大幅に増強されただろう。
しかし、グレイはジベルの誘いに乗らなかったようだ。ガロン砦から龍府を睨んでいた彼の目的は、エインにはわからない。
北進軍は、皇魔ブフマッツに騎乗してファブルネイア砦へと行軍するグレイ軍を目撃したという。皇魔を軍馬とするなど、常識的には考えられないのだが、デイオン将軍が虚言を吐くはずもない。事実なのだろう。
ファブルネイア砦に向かったグレイ軍の消息は不明だ。ファブルネイアで戦死したのか、龍府に入ったのか。前者の可能性が高いものの、後者の可能性も捨てきれなかった。もっとも、その場合、ガロン砦に籠もっていた月日はなんだったのか、ということにもなりかねないのだが。
さて、残りの三都市のうち、スルークは黙殺してもいい。スルークに駐屯していた第六龍鱗軍は聖龍軍に吸収され、ロンギ川での戦いで中央軍に敗北、生き残った兵士の多くはガンディアに投降している。スルークの戦力は皆無といってよく、隣り合った都市であるゼオルからの監視だけで十分だった。
ルベンは、ザルワーン西端の都市だ。イシカとの国境に隣接している関係上、そこから軍勢が派遣されるということは考えにくい。隙を見せれば、スマアダのように隣国に蹂躙されるかもしれないのだ。
そして、龍府。
「龍府の防衛戦力は、龍眼軍のおよそ二千人。精鋭揃いで、各都市に駐屯する龍鱗軍や、五方防護陣の砦に入っていた龍牙軍よりも強力だといわれております」
大将軍の副将ジル=バラムが、低い声で状況を伝えた。
ザルワーンの各軍に付けられた名称が龍に関するものなのは、ザルワーンが龍の国だからだ。五竜氏族に支配された龍の国。首都を護るのは龍の眼であり、首都の周囲に展開するのは龍の爪、各都市を防衛するのは龍の鱗――ということなのだろう。
ガンディアにも、同じような由来で名付けられた組織が存在する。王立親衛隊だ。《獅子の牙》、《獅子の爪》、《獅子の尾》――獅子の国を自負するガンディアには相応しい名称なのかもしれない。ふと、彼はそんなことを思った。
「ミリュウ=リバイエンや、他の投降兵の証言からも判明していますが、開戦当時、龍府にはそれ以上の戦力はなかったということでしたね」
「はい。ご存知のように、我が軍は現在、ヴリディア砦南方に陣を張っております。陣を張って二日、ザルワーン側からの攻撃はおろか、偵察すら確認できなかったことから、龍眼軍が龍府の主戦力であり、ザルワーンの残存戦力というのは間違いないかと」
もちろん、龍府の二千がすべてではない。ルベンにも残っている。だが、それだけだ。それだけでは、ガンディア軍との戦力差を埋めることはできない。その事実をこの場にいる誰もが認識している。
だというのに、だれもが浮かない顔をしていた。
「こちらの兵力は約七千六百。余裕ですな」
ドルカーフォームが軽口を叩いたが、だれも同意を示さなかった。もちろん、だれもがそれを認識している。兵力ではこちらが圧倒しているのだ。普通ならば、彼のいった通りだ。
龍府との戦力差は三倍以上。たとえ龍府に籠城したとしても、十分勝機の見込める数字だった。
「龍府は、な」
アルガザード・バロル=バルガザールが、小さくつぶやくと、軍議の場に静寂が横たわった。大将軍の一言には重みがあるのだ。
アルガザードは、わかりきったことを考えても仕方がないとでも思っているに違いない。分散した戦力を糾合したいま、龍府の防衛戦力など物の数ではないのだ。
力押しでも、十分に勝つことができるのは疑いようがない事実だ。ただし、正面からぶつかり合えば、こちらの多大な損害を覚悟しなければならない。首都である。防備を怠ってはいまい。しかし。
「問題は五方防護陣だ。いや、五方防護陣だったというべきか」
アルガザードが過去形にしたのは、ガンディアの各軍が攻略を担当した三つの砦が、ドラゴンになったからだ。
砦が竜になるなど前代未聞の話であり、普通ならば信じられるはずもない。だが、砦が在ったはずの場所に現れたドラゴンを目の当たりにすれば、現実と受け入れるしかないのだ。地中から生えた竜の首は、頭部が天に届くほどに巨大であり、見るものを圧倒し、恐怖させた。
ガンディアの各軍は、それぞれに調査を行い、とても敵う相手ではないという判断を下した。北進軍はロック=フォックス軍団長を失い、西進軍はセツナ・ゼノン=カミヤが負傷、中央軍こそ無傷で済んだものの、無敵の盾を模したドラゴンを突破することは不可能に近かった。
結果、三つに分かれていたガンディア軍はひとつの大軍勢として纏まることになったのだが、それで問題が解決したわけではない。
ドラゴンは、依然としてヴリディア砦の跡地に君臨し、ガンディア軍の龍府への進軍を阻んでいる。
「ドラゴンを倒す手立てがなければ、龍府の攻略を論じたところで意味が無い」
アルガザードのいうことももっともだった。
ドラゴンを無視して龍府に近づくことはできない。砦と砦の間に横たわる森の中を潜行しようものなら、ドラゴンの挟撃を受けて壊滅するかもしれないのだ。
ドラゴンは、五方防護陣の思想をそのままに受け継いでいる。
巨大なドラゴンは、ただそれだけで驚異的な存在であり、体当たりだけで森の木々は薙ぎ倒され、大地は破壊されたという。武装した軍隊であっても、一撃で蹴散らさるのは火を見るより明らかだ。
中央軍が損害を出さなかったのは、《白き盾》を偵察に使ったからであり、もし別の部隊をドラゴンの調査に向かわせていたら多数の死者を出していたに違いない。北進軍の偵察部隊は壊滅に近い被害を出している。
西進軍の偵察部隊が無事だったのは、ドラゴンの注意がファリアとセツナに向いていたからであるといい、もしセツナがドラゴンに突撃しなければ、相応の犠牲が出ていたようだった。
セツナが負傷したのは無駄ではなかったということだ。彼が、偵察部隊の後退を援護したおかげで、ドルカの部下たちは死なずに済んだ。
「そのための軍議でしょう」
「エイン軍団長、君にはなにか策でもあるのかね」
「もちろん。だれもが考えつくような、しかしこれ以上にない策ですが」
そういってエインが提示した作戦は、やはりこの場にいるだれもが思いつくような代物であり、だからこそだれも言い出せなかったようなものだった。