第三百二十三話 役割(三)
ミリュウ=リバイエンとは、ガンディア軍の敵であり、ガンディアの兵を何人も殺した憎むべき相手であり、捕虜となったはずの人物だ。
そういう立場であるはずなのに、西進軍においてはある程度の自由を勝ち取り、みずからの意志で《獅子の尾》の監視下に入った。《獅子の尾》というよりは、セツナの管理下に置かれたがったようだが。
彼女の目的はわからず、警戒する必要があると思っていた。しかし、ミリュウの言動を総合する限り、セツナたちにとって害をなす存在ではないのではないか、と考えてもいいのかもしれない。
ミリュウは母国を憎み、恨んでいる。ガンディアよりも余程、ザルワーンへの悪意のほうが強いらしい。ザルワーンに利益をもたらすような行動を取るようには見えなかった。少なくとも、いまのところ、そのような行動に出てはいない。
ミリュウがその気なら、ドラゴンに打ちのめされたセツナを殺すことくらい、簡単にできたはずだ。それをしなかった時点で、彼女にセツナたちへの害意はないと見ていい。そして、眠っていたセツナを見守り続けていたということは、傷つけることさえ考えていないということなのだ。
彼女が一体なにを求め、なにを望み、なにを願っているのかなど、セツナにはわかるはずもないのだが、なんにせよ、敵対視する必要はなさそうだった。
「わたしだって、隊長の側についていたかったんですけどね。そういうわけにもいかず」
「隊長補佐だもんな。俺の代わりに……大変だったよね」
「まさか。大変なことなんてないですよ。隊長が……セツナが無事なら、それで」
ファリアはそういったものの、セツナはなんと労えばいいものかと考えあぐねた。
王立親衛隊《獅子の尾》は、特殊な組織だ。
隊員はたった三人で、それぞれ重要な位置にいる。隊長、隊長補佐、副長。このうち、隊長がもっとも頼りないというのがなんともいいようがなく、隊長補佐と副長が協力して隊を支えてくれているのはだれの目にも明らかだった。
隊長であるセツナ・ゼノン=カミヤは、戦場で暴れることだけしか能のない人物だからだ。そして、それを正そうともしないのがセツナのセツナたる所以なのだろう。
成長していない。
自分を卑下したところで、なにが良くなるはずもなく、彼は静かにうなだれた。この世界にきてからというもの、いつもだれかに頼っているのを実感する。
だれかに寄りかかり、手助けを期待し、甘えている。そういう自分がとてつもなく嫌いなのだが、かといって、セツナにできることといえば、目の前の敵を倒すことくらいだ。
もし、武装召喚術が使えなかったなら、どうなっていたのだろうか。
路頭に迷い、野垂れ死んでいたのだろうか。
まず間違いなく、ランカインを叩きのめすことなどできなかっただろうし、それ以前に、あの森を脱出することさえできなかったのかもしれない。
それだって、そんなに昔のことではない。たった三ヶ月ほどしか経っていないのだ。
(三月……か)
たった三月で、セツナを取り巻く環境は大きく変わった。なにもかもが変わり過ぎた。あの懐かしい世界の生活とはまったく異なる日々が、光のように流れていく。
その中で、戦闘などというのは、数えるほどしかない。
それでも、セツナがこうして人並みに生きていられるのは、戦って、戦って、戦い抜いて、勝利を掴み取ってこられたからだ。それも自身の実力などではなく、黒き矛の力でしかない。自分ひとりの力で成し遂げたことなど、なにひとつないのだ。
(なにひとつ……)
ドラゴンに挑んだのだって、黒き矛という当てがあったからだ。カオスブリンガーなら、どんな敵だってねじ伏せることができたのだ。ミリュウにこそ敗けたが、あれは黒き矛の使い手としての技量の差であり、黒き矛に秘められた力の大きさを裏打ちするものだ。
セツナが使いこなせばいいだけの話だった。ミリュウ以上に力を引き出し、操ればいい。そうすれば、どんな敵が来たって負けることはない。
だが、セツナはまたしても敗れた。
「なんなんだろうな、あのドラゴン」
セツナは、結晶体に覆われたドラゴンが複眼の黒竜へと変容する光景を思い出して、身震いした。夢に見たドラゴンが現実のものとなり、敵となった。倒すべき敵となったのだ。
畏れがあった。
黒き矛そのものと対峙したようなものだ。黒き矛の複製を手にしたミリュウとの対決とはわけが違う。
しかし、なにもできなかった。空中に投げ出されていた。身動きひとつ取れないまま、衝撃を受け、意識を失ったのだ。気がつけば、ミリュウの顔が目の前にあった。ついさっきのことだ。夢にうなされて、目が覚めた。長い間寝ていたようなのだが、そういう感覚はなかった。長い夢を見ていたわけでもない。
「ザルワーンの切り札なんでしょうね。首都を守護するドラゴン。ビューネル砦だけじゃなく、ヴリディア砦にも、ファブルネイア砦にも出現したそうよ」
「陛下は!?」
「無事よ。陛下みずからドラゴンに接近するはずないでしょ」
「それもそうか……」
セツナは、レオンガンドの無事が確認できて、心底ほっとした。もっとも、ガンディアの王たるレオンガンドが負傷でもしていれば、全軍が大騒ぎになっていただろうし、セツナも安穏と眠っていられなかったかもしれないが。叩き起こされた可能性も少なくはない。
レオンガンド・レイ=ガンディアは、セツナにとって唯一無二の主君だ。彼と君臣の契りを結んだときから、セツナの戦いは始まったといっても過言ではない。レオンガンドの矛として、若き獅子王の刃として、戦場を駆け回るようになった。それは喜ぶべきことだろう。
居場所ができた。
「《白き盾》と《蒼き風》が共同で偵察に向かったらしいけど、わたしたちと同じように迎撃に遭ったらしいわ。《白き盾》のおかげで被害はまったくなかったそうだけど」
セツナの役割をクオンが果たしたということだろうが、当然、クオン自身も無傷だったに違いない。彼の召喚武装シールドオブメサイアは無敵の盾だ。
自分のみならず、仲間も守護するという恐るべき能力であり、だからこそ、クオンが率いる傭兵集団は不敗であり、無敵なのだという。セツナは、クオンの召喚武装を実際に見たわけではないし、話でしか知らないのだが、そういう噂を肯定する情報が溢れている以上、疑う必要もない。
「それで結局、どうなったんだ?」
「当時の中央軍の戦力ではドラゴンを突破することは不可能だと判断して、後退したのよ。各軍と合流し、ドラゴンに対抗するためにね」
「師匠とクオンたちでも駄目だったのか……」
セツナは、中央軍の動きよりも、そちらのほうが気になった。
セツナの師匠ルクス=ヴェインは、一部で“剣鬼”と畏れられるほどの剣の達人であり、召喚武装グレイブストーンの使い手だ。並みの戦士では太刀打ち出来ない凄腕の剣士と、クオンの無敵の盾が力を合わせてもドラゴンを倒すことはできなかったという事実は、セツナにも衝撃的だった。
黒き矛ですら傷を負わせるので精一杯だったとはいえ、クオンの盾は無敵なのだ。ルクスは負傷を気にすることなく戦えただろうし、ほかの傭兵や武装召喚師たちも参戦したはずなのだが。
「なんでも、シールドオブメサイアを模倣したそうよ。オーロラストームやカオスブリンガーを模倣したように」
「無敵の盾を模倣……? それ、勝ち目無いじゃん」
セツナが愕然とつぶやくと、ファリアが怜悧な目でこちらを見据えた。
「だから、中央軍は各軍との合流を急いだのよ。そして、あなたの目覚めを待った。無敵の盾を破るには、最強の矛が必要でしょう?」
セツナは、はっと目を見開いた。
体中の痛みが消えたような気がした。きっと気のせいだが、それでも昂揚する感情を抑えることはできない。セツナにはやらなくてはならないことがある。ミリュウに敗けたから、ドラゴンに敗れたからといって落ち込んでいる暇はないのだ。
『先陣を切るのは君の役目だ』
レオンガンドの言葉が脳裏を過った。