第三千二百三十二話 世界を焦がす地獄の業火(七)
神兵とやらは、彼の二倍ほどの大きさであり、当初の認識である巨人というには小さく思えた。
無論、それでも十分すぎる巨躯であり、そんなものが大挙して押し寄せてくるのだから、戦っているものたちにしてみれば、恐ろしいというほかあるまい。
しかも白く淡く発光する肉体は、さながら甲冑にでも覆われているようであり、外骨格が発達しているらしいことが窺い知れる。
外骨格に鎧われた強靭な肉体は、“核”とやらを破壊しない限り、際限なく再生し、復元するということだが、“核”の在処を見つけ出すためには、肉体を破壊しなければならない。
どちらにせよ、その巨躯を徹底的に破壊するのが手っ取り早い、ということだ。
そこまで考えたときには、彼は、戦場の真っ只中に飛び込んでいた。
敵と、味方――というよりは、無関係な第三者といったほうが正しい――が入り乱れ始めた戦場では、神兵の奇怪な咆哮が響き渡り、対抗するようにして声を上げる兵士たちの姿は、涙ぐましくすらあった。
ザイオン帝国軍の兵士たち。
ひとりひとりの実力は不明だが、数だけは多い。しかし、物量だけでどうにかなるような相手とも思えない上、神兵の数は、時間とともに増大している傾向にあった。
見渡す限りの戦場。
神兵の群れは、その北側から押し寄せている。
それはさながら大地を飲み込む白い津波のようであり、飲み込まれれば最後、抵抗すらできないまま命を落とすに違いない。
そう断言できる。
事実、この最前線に至るまでの戦場北部は、神兵の大津波に飲み込まれ、白く塗り潰されており、その中で戦っているものはいなかった。
彼らがいる最前線も、このままでは白い大津波によって飲み込まれ、洗い流されてしまうだろう。
(だから、か)
彼は、手にした杖を掲げるなり、その先端を飾る龍の首から火球を吐き出させた。それは杖型召喚武装・火竜娘を完璧に再現した武器であり、彼の精神力を火炎に変えるという火竜娘の能力も完全に再現した。
竜の息吹きとともに撃ち出された火球は、夜の闇を引き裂きながら神兵の群れの頭上へと到達し、炸裂する。
爆発によって生じた紅蓮の猛火が雨のように降り注ぎ、周囲一帯の神兵を焼いた。強固な外骨格を燃やし、溶かし、侵略する炎は、“核”の在処を確認するには有用だ。
彼の攻撃は、それだけで終わらない。
帝国兵たちが予期せぬ攻撃に戸惑うのも構わず戦場の真っ只中に入り込むと、左手の得物を地面に叩きつけた。斧型召喚武装・地竜父の能力を発動したのだ。その瞬間、足下の地面が物凄まじい勢いで揺れ動き、隆起した。
地竜父の能力により、神兵と帝国兵を分断する巨大な岩壁を作り出したのだ。それにより、帝国兵という邪魔以外のなにものでもない存在を意識せずに済むのだ。
もちろん、完璧に分断できたわけではない。そうするためには、帝国兵が頑張り過ぎていた。
神兵と帝国兵が入り乱れている以上、彼が取る方法はふたつにひとつしかなかった。つまり、少数の帝国兵を神兵側に残したまま分断するか、少数の神兵を帝国兵側に残したまま分断するか。
彼は、後者を選んだ。
少数の神兵ならば帝国兵でもなんとかなるだろう、と、考えたわけだ。が。
「久々の現世だからって張り切り過ぎじゃない?」
「後先考えずに突っ込んで、ここからどうするつもりなのかしら」
「そこはほら、わたくしたちが――」
「どうしてあなたの旦那の不始末を処理しなきゃいけないのかしら」
「お姉様」
「冗談よ」
「どっちが、冗談なのですか?」
「それ、重要なこと?」
「重要です」
「安心なさい。不始末の処理のほうよ」
「さっすがお姉様、わかっていらっしゃる」
ウルとアーリアの軽口の叩き合いを聞いていると、精神力がすり減らされていく気がするということもあり、彼としてはできる限り無視したいところだった。しかしながら、異様なほどに強化された聴覚は、嫌でもふたりの会話を聞き逃さない。
(口の減らない姉妹だ)
元々ウル自体が言いたい放題にいう傾向にあったが、実姉であるアーリアと一緒にいると、その傾向が何倍にも増幅されるようだった。
そんな減らず口の姉妹がどこで言い合いっていたかといえば、彼が作り出した岩壁の上であり、彼とは逆方向に目を向けていた。
帝国兵側に残った神兵の処理を行うためだ。
“異能”の使い手であることと類い希な身体能力を持っていること以外、ほとんど常人と変わらないはずの彼女たち姉妹が如何にして神兵を撃滅するのか、見物だったが、そちらに注目している場合ではなかった。
神兵たちは、岩壁を破壊することで帝国兵への攻撃を再開しようとして、動き出していたのだ。
眼下、何百何千もの神兵が蠢いている。淡く発光する白い巨躯を持つ怪物は、数種類に分類できるようだった。遠方から岩壁への砲撃を行う神兵もいれば、岩壁を巨大な武器で破壊しようとする神兵もいる。そして、飛行型だ。
飛行型は、岩壁を破壊するのではなく、飛び越えることで帝国兵側に至ろうとしていた。
つまり、神兵は、近接攻撃型と遠隔攻撃型、飛行型の三種に分類できるということだ。
それぞれの分類ごとにまったく同じ姿形をしているものの、近接攻撃型が手にしている武器は、これもまた、いくつか種類があった。剣、斧、槍、棍棒などだ。人間が用いているような武器を大型化しただけのようだが、ただの武器だと考えないほうがいいだろう。
なにかしらの仕掛け、能力があったとしてもおかしくはない。
だからこそ、こうして距離を取っているのだ。
岩壁は、神兵の身の丈よりも数倍の高さを誇る。神兵の攻撃が届く高度ではないのだ。無論、砲撃は届く。しかし、遠隔攻撃型は岩壁の破壊にこそ執着しており、彼らを目標に定めてはいないようだった。
飛行型神兵もだ。
岩壁上の彼らよりも帝国兵を攻撃しようとしているのは、そういう風に命令されているからなのか、それとも、戦術上の理由からなのか。
神兵は神の奴隷であり、自我を持たず、思考能力を持たないという。であれば、神からの命令に忠実な動きを見せるのもわからなくはない。
(好都合だ)
彼は、胸中、ほくそ笑んだ。これならば、いくらでも暴れられる。
「さて、準備は万端整った。君らには、最高の地獄をお見せしようじゃあないか」
「まーた格好つけてる」
「そういう年頃なんですよ、彼」
「あなたがいいなら、もうなにもいわないわ」
「そうしてくださいまし」
姉妹の会話が耳に刺さるが、彼は、気にしなかった。
「……見よ、これぞ地獄の業火なり」
彼は、火竜娘を掲げると、その全能力を解き放った。刹那、火竜の咆哮が轟き、杖の先から灼熱の炎が噴き出す。それはまるで真紅の龍であり、夜の闇を紅く灼き尽くしながら虚空を駆け抜けていく様は、この世界に終わりを告げるために現れたかのようでもあった。
真紅の龍は、超高熱の炎を撒き散らしながら空を飛び回り、飛行型神兵をつぎつぎと撃ち落とすと、さらに進路上に火の雨を降らせた。
紅蓮の猛火が降り注ぎ、岩壁に分断された神兵側は、辺り一面火の海と化した。ただの火の海ではない。強大な力を持った火の海からはつぎつぎと火柱が立ち上り、火柱もまた火の雨を降らせるものだから、見渡す限りの一帯が灼熱地獄といっても過言ではなくなっていく。
「やっぱり、はしゃぎすぎじゃないかしら」
「そういうのがいいんでしょ?」
「はい」
「否定しないのね」
やはり、姉妹の会話が耳に飛び込んでくるが、彼にはもはやどうでもいいことだった。
戦場は、地獄に変わった。
彼が思い描いた通りの、彼が主催する地獄に。




